来訪者とネコオンナ

「あ〜ん。どれにしよぉ…」

 ランチタイムの喫茶店。
 白いレースのカーテン越しに太陽の柔らかい光が差し込む店内。
 その一番奥のテーブルでライムグリーンの事務服にはとても釣り合わない悩ましい声を出してメニューとにらめっこするユイ。  目の前にはすでに食べ終えたAランチの皿。今日はポークージンジャーにサラダとスープにライス。もちろんコーヒーもしくは紅茶付。
「あれ? さっきプリンアラモードにするって言ってなかったっけ?」
 エリカがスパゲティ・ナポリタンをフォークで巻きながら聞き返すと、
「いや、な、そう思ってたんやけど、呼んでんねんて。イチゴパフェが私を食べてって」
「はぁ…」
  そーなの?
「それになエリカちゃん。プリンアラモード…やなくて、プリン・ア・ラ・モード、やで」
 かわいらしい口調でそう言ってメニューを抱いてぷんぷんと膨れるユイ。
 エリカはもぐもぐと頬張っていた口の中のパスタを飲み込んだ。
「でもそれってどっちも一緒じゃん」
「いやいやいや。ちゃぁうって。プリン・ア・ラ・モードやって。フルーツとかアイスがドーンなんやで」

 プルンプルンの焼きプリンには香ばしいキャラメルソース。
 程よい甘さのホイップクリーム。
 パイナップルにバナナに季節の果物。
 そして乙女にうれしいバニラのアイスクリーム。その足元にはキャラメルソースが絡まって、あぁ絶妙なハーモニー。

「なぁ。素敵やん」
 きゅぅってメニューを抱きしめてうっとりのユイ。
「素敵だねぇ」
 クスクスと笑うエリカに「そうだねぇ」ってリカは顔を上げると、
「フルーツとかアイスがどーんだもん。そりゃぁ違うよねぇ」
 と、カレー・ランチを食べ終えて戦争中にエリカが撮った写真を見る手を止めた。
「で、決まったの?」
「え?」
 リカの問いにユイが固まる。食べ終えたエリカが紙ナプキンで口元をぬぐいながらおやおやと顔を覗き込む。
「あれ? 決まってないんだ」
「あれあれ? 今熱く語ってたよねぇ」
 ですよねぇ…と、エリカとリカがうんうんと顔を見合う。
「だぁってぇ…。もぉ。いしかーさんのいじけずぅ。イジワル言わんといてくださ〜い」
「えぇ〜。ちょっとちょっと、言ってないからぁ」
 慌てて顔の前でパタパタと手を振るリカ。
「まーでも、イチゴパフェが食べてって言ってるんでしょ?」
「はぃ〜。そーなんですけどぉ…」
 リカにそう答えて、メニューで顔を覆ってちらりと目だけをだすと何やらもじもじと体をくねらせる。
「そうなんですけどぉ?」
 リカとエリカが身を乗り出すように顔を近づけて覗き込む。
 3人が食べ終えた皿を片付け、コーヒーと紅茶の入ったポットとカップを持って戻ってきたミキもトレイをテーブルに置いてじっと言葉を待っている。
「そーなんですけどぉ…チョコレートケーキもえぇなぁ…って。…えへっ」
「…」
「…」
 やれやれとリカとエリカ。
「じゃあさ、全部食べたら?」
 ちょっとイジワルく笑いながらミキが紅茶とコーヒーをそれぞれカップに注いでいく。
「えぇ〜…。うーん…そーしたいんですけどぉ〜お給料日前やし〜」
 ユイがちらーりと視線を走らせると、リカはささっと再び写真を見始め、エリカは慌ててコーヒーに口をつけた。
「あちっ!」
「エリカ、慌てすぎ」
「あっはははははははははっ!」
 ミキが腹を抱えて笑いだす。
「もー。フジモトさん笑いすぎですよぉ」
 リカから手渡された水を飲んでふぅと気持ちを落ち着かせるエリカ。
 リカはまだくっくっく…と笑いが止まらないミキの背中を撫でる。
「あー! もー! ほんま迷うわぁ。何食べよぉ…」
 ユイは相変わらず。またメニューとにらめっこ。

 カランコロン。

 駅前から徒歩10分。
 海岸通りにあるランチタイムの喫茶店はそれなりににぎやかだ。
 ミキが慌てて立ち上がろうとすると、マスターがそっと手を出して止めて、ママが休憩中でしょとウインク。ありがとうございますと少し肩をすくめてぺこりと頭を下げると、リカの手の中にある写真を覗き込んだ。

  『 桜の木の下で便箋を膝に置き、何て書こうか思案顔のマコト 』

  『 抱きかかえたれいにゃの右手を持って「にゃー−−っ!」ってポーズをするノゾミ 』

「ふふっ。かわいいね」
 リカのお母さんな笑顔。ミキが「にゃー」ってけらけら笑いながらまねをしてみる。
「これもよく撮れてるねぇ」

  『 支給された新デザインのワークシャツを着たかわいさ具合を入念に鏡の前でチェックするサユミ 』

  『 何かを見つけたのか、どこかほわっとした顔で窓の外を見上げたレイナ 』

「れいなはホント子ネコだよねぇ」
「そりゃあさぁ、だってれいにゃじゃん」
 ミキはリカの手から写真を撮ると、「ね、ほら」とエリカとユイに見せた。
「やぁ〜ん! めっちゃかわいぃぃぃっ!」
「かーわいぃーー! ウチで飼いたいですっ」
 思ったとおりの反応に満足気ににかっと笑うミキ。リカは微笑み返すと、次の写真へ。

  『 食堂の窓辺でお茶しながら読書するカオリ 』

  『 相棒の中でいつものようにまったりしているリカとミキ 』

 感心するように何度もうなずきながらミキがなんとなく呟く。
「懐かしいね…」
「うん。……懐かしいね」
 ミキが小さくうなずいて、リカが次の写真へ。

 食堂。
 兵舎の前。
 グラウンド。

 泣いたり、笑ったり、怒ったり、怒られたり。

 リカは一度とんとんと重なる写真の角を整えると、見ていた写真をテーブルの上に散らばって重なっているその上へと落とした。
 ふと、それまで穏やかだったまなざしがさびしさに変わる。ミキの笑顔に影が差す。

  『 銃を構えて荒れた街中を行くリカと、リカのサバイバルジャケットの袖をしっかりと掴むノゾミの後姿 』

  『 包帯を巻いた右足をひきずりながら野戦病院から出てきたレイナと肩を貸すミキ。不安げに寄り添うサユミ。 』

  『 配置についての確認を真剣な顔で聞くマコトと指示をするカオリ 』

 リカはゆっくりと肩を上下させて息を吐いた。
「エリカは戦場にも来てたんだよね」
「はい。見習いでしたから戦闘には同行させてもらえませんでしたけど」
「うん…」
 リカの細い指が写真を一枚また一枚とゆっくりと落としていく。
 ぴったり寄り添って覗き込みながらミキが時折ため息をついた。
「いろいろあったね…」
「うん…」

 イヤってほど、数え切れないほど。

 言葉では言いたくないようなことも、思い出したくもないことも。

 そんなの二人の言葉の意味がエリカにはわかるから、何も言わずにゆっくりとコーヒーを飲む。
 隣でユイが真剣な顔をしてまだ何を食べようか悩んでいるのが、なんか微笑ましい。

 また一枚、写真がそっと重なった写真の山の上に重なる。
「あ…」
 リカの目が大きく見開く。
「イシカーさん?」
「うん…」
 ぼやけた返事をエリカに返して、リカは同じようにぐっと写真を覗き込むミキを見た。
「リカちゃん……だよね?」
「…うん」
 じわっと溢れそうになってきた目元をさりげなく指で押さえながらミキがうなずき返すと、リカは見ていた写真をエリカの前に置いた。
「これ、1枚でもいいから焼き増ししてくれないかな?」
「あ、はい…」
 でも…いいんですか? これで。
 エリカが不思議そうな顔をして写真を手にすると、リカは軽く目頭を指で押さえながらにこっと笑った。
「どうしても見せてあげたいんだ。ね。ミキちゃん」
「ね。リカちゃん」
 うれしそうに笑ってうなずくミキ。
 そんな二人の笑顔にエリカも笑顔で答えた。
「わかりました。何枚でもいいですよ。じゃあ、明日持ってきますね」
「うん。ありがとう」

 と、そこに…。

「すぃませぇ〜ん。白玉あんみつください」

 独特のイントネーションの弾んだ声が3人の間を駆け抜けていった。


                         ■                         ■


 春の気配を陽射しに感じる昼下がり。
 青い空の下に広がる街はあちこちが壊れている。
 瓦礫が散らばり、穴だらけのビルがぼんやりと建っている。

 決して大きいわけでも、でも小さいわけでもない、けれどいくつもの電車が乗り入れ、 首都へと続く大きな幹線道路が通る交通の要所。
 そんな街を制圧してから3日。
 中心地から車で10分ほどのところにある広い公園に柵を立てて拠点を構えた軍。
 その東側の入り口で交代勤務で見張りについていたレイナは、昼下がりのあまりののどかさにくぁ…と大きなあくびをした。
 んーっと大きく腕を上げて固まりかけた体をほぐそうと体を伸ばしながら、近道しようと資材置き場の脇を通っておとめ隊のテントへと歩く。

 キャンプの中に入ればのんぴりのんびりと流れる時間。
 駅からもほどほど近く、小高いビルもちらほらあるが住宅も多いそんなところにある公園。
 これだけよく晴れている日だったら、散歩をしに来たり、のんびり芝の上で昼寝をしたり、ちょっとしたスポーツしてたりなんていう光景を見ることができただろう。
 そんなことを考えながら、おなかすいたから食堂に寄って…と思ったところで、
「ん?」
 雑多に積んであるパイプやら余った金網やらの資材の間でちょろちょろと動く人影。
 どうもレイナには気づいていないらしく、そろりそろりと背後から近づいてみる。

 おなかすいたぁ〜。
 こらっ。しずかに!

「なん?」
 資材の影にいたのはぼっちゃん刈りの小さな男の子とおかっぱ頭の女の子。

 おにぃちゃん。かえろ?
 だめっ! きたばっかなんだから!

 どうやら兄妹らしい。

 レイナはぽりぽりと頭をかくと、そろりそろりと後ろから近づいて…。
「ボクたち何しよーと?」
「ひぁゃっ!!」
 びくっとおにぃちゃんの体が飛び上がった。そして、わたわたと手足をばたつかせ手後ろに下がりながらレイナを見るなり叫んだ。
「ねっ…ネコオンナぁっ!」
「はぁ!? …って、うわっ!」

 ひゅっ!

「くるなっ! くるなーっ!」

 ひゅっ! ひゅっ!

 小石を拾ってえいって力いっぱいレイナに向かって投げつけるおにぃちゃんと、しっかと服の裾を掴んでおにぃちゃんの後ろに隠れるおんなのこ。
「うわっ! ちょっ! もぉっ! こらーっ!」
 『うにゃーーーっ!』とレイナが両手を振り上げると、

「うわぁぁぁん! ネコオンナがおこったぁ!」

 と、おにぃちゃんがおんなのこの手を引っ張って逃げ出した。
「あっ! 待って!」
 資材を飛び越えると、どんどんキャンプの中の方へととてとてと走っていく小さな背中を追いかける。
 小さなコドモとレイナじゃ歩幅も違うし、ましてレイナは軍人。日々鍛えている…とはいえ、見た目はネコでも走るのは苦手なレイナ。なかなか追いつかない。

「あーーっ! もーーっ! ちょっと待ちなさーーいっ!」
「やぁだーーーーっ!」

 きれいに区画分けされて並ぶそれぞれの隊のテントとテントの間を通りを駆け抜ける3つの足音。

 タッタッタッタ。

 トテトテトテトテ。

「こらーーっ!」
 追いかけるレイナと、
「うわぁぁぁっ!」
 しっかりと手を繋いで半べそかいて必死に走るコドモ二人。
 そんな光景をたまに通り過ぎる兵士達が不思議そうな顔をして振り返る。

「はぁ…っだぁっ! もおっ!」
 なかなか手が届きそうで届かない追いつかないジレンマ。
 任務直後でふらつきそうな足。諦めようかなぁ…と思ったその時…通りの角、テントの向こうから声が聞こえた。

「へー。のんつぁん、それおいしそーだねぇ」
「でしょ? でさぁ…」

 ドン!

「あだっ!」
「うわぁぁっ!」
「きゃっ!」

 曲がり角から現れたノゾミとぶつかってころころと転がったおにぃちゃんとぺたんとしりもちをついたおんなのこ。くぅーっと体を丸めて三角座りしているノゾミのそばでおろおろしているマコト。
 やっと追いついた…。
 レイナは駆け寄りながらホッと安堵の息をついた。
「大丈夫?」
 レイナがまだうずくまってるおにぃちゃんとおんなのこの傍らにしゃがんで頭をなでようとすると…。
「うわぁぁっ! ネコオンナぁ!」
 じたばたと暴れだしたおにぃちゃん。
 あいたた…とおなかを押さえながらよろっと立ち上がったノゾミとポカーンとしていたマコトは互いに顔を見合うと、
「ネコオンナぁ?」
「ネコオンナ?」
 綺麗にそろった声にレイナがむかっと顔をしかめる。
「こらっ!」
「うっさぃやいっ! ネコオンナ!」
「ねこおんな! ねこおんな!」
 きゃっきゃとはしゃぐおんなのこと一緒に、
「あっははははっ! ねこおんなぁ」
「あっ…のんつぁんっまでっ! あぁーもぉっ!」
 真っ赤になって怒るレイナにごめんごめんって笑うノゾミと、一緒になって笑いながらよしよしとレイナの頭を撫でてやるマコト。
 レイナはやれやれと大きく肩を揺らして息を吐くと、
「ひざ…ケガしてるっちゃね」
 真っ赤にすりむけた小さなひざこぞうについた砂をふっと息で払ってやったら、いてって顔をしかめた。
「そのままにしとくとよくないっちゃ」
 と、おにぃちゃんの前で背中を向けてしゃがんだ。
「…」
 けれど、むすっとほっぺを膨らませてうつむいたおにぃちゃん。
「ね。行こう。大丈夫だから」
 すると、ノゾミがおにぃちゃんのほっぺを撫でながら、うにっと顔を近づけた。
「そうだよ。この子まだ子ネコだから人間食べれないから」
「のっ…のんつぁんっ!?」
 驚くレイナをちらりと見て、おにぃちゃんが「ほんとに?」と顔を上げてノゾミを見つめる。
「そうだよ。でもね、あんまりわがまま言ってると変身しちゃうんだよ。うにゃーーーっ!!!!!て。だから早く背中に乗んないと、ネコオンナに食べられちゃうよ」
 おんなのこを肩車したノゾミがにゃーーって爪を立てるようにして両手を開いた。
 その横からマコトもケラケラと笑いながら続ける。
「そーだぞぉ! にゃーーーっ!」
 もぉ…。のんつぁんもまこっちゃんもむちゃくちゃばぃ。悪ノリしすぎたい…。でも、まぁ…しょーがないか。
「ほら。まだレイナ子ネコやけん。でも早くしないと、レイナ変身しよぅとよ?」
 レイナは体を向き直すと、ぽすっとおにぃちゃんの頭に手を乗っけてくしゃくしゃとかき混ぜた。
「…」
 よいしょとしぶしぶレイナにおぶさったおにぃちゃん。
「ははっ!」
 ノゾミがおんなのこを肩に乗せたままぴょんぴょんと跳ねる。
 レイナがにこっと笑ってみせると、
「じゃ、行くぞ!」
 と、歩き出して、ノゾミとマコトがぴしっと前方を指した。
「しゅっぱーつ!」
「しゅっぱーつ!」

 ―――
 ――

 ネコオンナとお団子頭とヒバゴンの子分二匹に連れられて入ったテントには巨大ロボットがいた。
 その奥では白いお姉さんと黒いお姉さんがトランプをしてる。
 そして、その後から入ってきたふにっとした白いお姉さん。

 一瞬「あれ?」という顔をしたカオリ、リカ、ミキ。そして二人の顔をのぞこむサユミ。
 カオリはおにぃちゃんのひざこぞうのケガに気づくと、近くにあった丸イスを持ってきてレイナにそこに下ろすように促した。
「これから消毒して、ちゃんとキズが治るようにするっちゃよ」
 強張るおにぃちゃんの頭を撫でるレイナ。
 トランプを止めて救急箱を取ってきたリカから消毒液とコットンを受け取ると、カオリはよいしょとおにぃちゃんの前に屈んだ。
「ちょっと沁みるからね」
 すりむいたキズの下にコットンを当てると、ピンセットで摘んだボール・コットンに消毒液を浸し、とんとんとん…と傷口に当てる。
「いてっ!」
 きゅっと目をつぶってひざを引くおにぃちゃん。
「こら。おとこのこならガマンだぞー」
 ミキが頭を抱き寄せるように手を回してわしわしとおにぃちゃんをかき混ぜる。
 こう言われたら、そこはおとこのこ。グッとガマン。

 とんとんとん。
 とんとんとん。

「はい。おしまい」
 ぺたんとひざに絆創膏。
 よしよしとカオリが頭を撫でてやると、照れくさいのかぷいっとそっぽを向いたおにぃちゃん。
 ノゾミにだっこしてもらってにこにことご機嫌なおんなのこ。サユミがちょっと崩れかけた髪を手早く直してあげると、ぅふふふっと恥ずかしそうに笑った。
 そんな二人にミキがはいっとジャケットのポケットから2本のロリポップ。
「ありがとー」っておんなのこ。
「…」って唇を尖らしてむくれたままのおにぃちゃん。
 あれあれ?とちょこんと首を傾げて、
「ほーら」
 包装紙をはがしてそっと口元に差し出す。白と黒のコーラ味のアメ玉をちらりと見て、でも受け取らない。
 くるくるくるくるぅぅぅ…。
 おなかが鳴って。
 にかっとミキは笑った。
「…」
 ノゾミに抱っこされてうれしそうにロリポップを頬張るおんなのこ。
 おにぃちゃんはそぉっとロリポップを手にすると、一度唇をかみ締めてからパクッと銜えた。
「おいし?」
 楽しそうにニコニコと笑うミキに小さくうなずいて返すおにぃちゃん。
 リカもミキの隣にしゃがんで楽しそうにかわいい来訪者を見つめる。
 カオリは満足そうにやわらかい微笑を浮かべて一つうなずくと、ポンとおにぃちゃんの頭に手を置いた。

 おにぃちゃんの名前はケンタ君。
 おんなのこの名前はヒナコちゃん。

 タコさんウィンナー。スパゲッティ・ナポリタン。ちょっとしたサラダ。綺麗なお椀型のケチャップライスの天辺には二人の似顔絵が描かれた旗。
 一枚のお皿に豪華なキャストが勢ぞろい。
 ネコオンナに会った緊張なのかなんなんのか。よほどおなかが空いていたらしく、カオリが食堂の厨房を借りて作ってきたお子様ランチをはぐはぐと一生懸命食べるちびっこ二人。
「おいしい?」  尋ねたらヒナコが小さな口の周りにケチャップをつけて「うんっ!」と元気にお返事。カオリが口の周りについたケチャップをナプキンで拭いてるやるとくすぐったそうに肩をすくめた。
「二人は?」
 隣でようやく遅い昼食を食べているレイナとサユミも、
「はいっ! おいしーですっ!」
「すっごくおいしいですっ!」
 口の周りにケチャップをつけてにっこり。
 そんな二人の横で、
「いいなぁ。ちょーだい」
 ってノゾミに、
「のんつぁん、さっき食べたじゃん」
 ってマコト。
 ちぇって唇を尖らせたノゾミの頭を撫でながらカオリはケンタにそれとなく尋ねた。
「ねぇ。どうしてこんなところに来たのかな?」
「…」
 フォークをグーで握っているケンタの手がぴたりと止まった。
 パスタをくるくると巻きながらレイナがじっと見つめる。
「…」
 うつむいて崩れたケチャップライスの山の中のグリーンピースをじっと見つめるまなざしが重く沈んでいく。
 寂しげで、悲しげで、怒りの入り混じったケンタの瞳。
 その隣であいかわらずにこにことご機嫌のヒナコ。

 入り口の向こうにはけだるげな午後の陽射し。
 時折聞こえる同僚達の話し声。足音。

 ふと聞こえた小さな呟き。
「……ぶっ飛ばすんだ」
「…ぶっ飛ばす?」
 言葉を繰り返したのはレイナだった。
 コクリとうなずいたケンタ。
「ぶっとばすんだ! パパのかわりにボクがみんなみんなぶっとばしてやるんだっ!」

 ガタッ!

 ケンタが勢いよく前のめりに立ち上がってイスが揺れてカタンと倒れた。不思議そうにそんな兄を見つめるヒナコ。
 目にいっぱい溜まった涙がポロリと零れる。

「パパはカッコイイひこうきのりだったんだ! いっぱいいっぱいてきをやっつけたんだっ!」

  抱き上げる力強い腕。
  最後にパパに会ったその日、飛行機に乗せてくれた。
  暑い太陽の日差しを受けて輝く計器。
  中央で静かに時を待つ操縦桿。

  パチリ。
  飛行機の前で写真を撮った。
  力強く腕を広げる鋼鉄の翼。きらめきを放つ機関銃の銃口。
  青い空を背景にダークグリーンの機体は凛と空を見上げていた。

「パパは…パパはつよかったんだっ!」

 胸の中のありったけの怒りを乗せて涙で掠れた声。

 ある日帰ってきたのは少し角が焦げているあの時撮った写真と愛用していたゴーグル。
 青い空に散って、パパは星になった。

「だからっだから…ボクがっ…!」

 びくっとケンタの体が震えた。
 ひざまずいて、ぎゅうっとレイナが強くその小さな体を抱きしめる。
「なっ! なんだよっ! はなせっ! はなっ…!」
 引き剥がそうとしてふいに見えたレイナの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「…ごめ…。ごめん…」
「…ぁ…」

 なんだよ…。泣いてるじゃないか。
 ネコオンナが泣いてる。あっちじゃ子分だって泣いてる。
 そうだ。
 ボクの方が強いんだ。

 けど、けど…どうして?

 だって…泣いてるのに……。

 カオリはレイナの小さな背中に手を置くとゆっりとなだめるようにさすった。
 不思議そうにその様子を見つめるヒナコ。

 ケンタは唇を固く結んでレイナの背中を流れる手を見つめる。

「わかんないよ……」

 ケンタの呟きに乙女隊の面々が顔を上げる。

「てきのおまえたちに…ボクのきもちなんてわかんないよ」

「わかるよ」

 はっとケンタが顔を上げる。答えたのはリカだった。
 言葉には不釣合いなくらいの穏やかな微笑み。ミキは後ろ手にみんなには見えないようにリカの手を握った。
「あたしのパパも戦争で死んじゃった」
「……ほんとに?」
 リカは微笑んだまま小さくうなずいて返した。
「ママも…お姉ちゃんも妹もおばあちゃんも……みんな」
 一度ミキの手を強く握り返すと、手を離してケンタの前に行くとしゃがんだ。
「あたしも一緒だよ。みんな戦争で死んじゃった」

  青い空を埋め尽くした黒い機影。
  そして、空を焦がした真っ赤な炎。

「飛行機がいっぱい飛んできて…爆弾がいっぱい落とされて……」

  燃え上がる人、人、人。

  怒り。悲しみ。痛み。
  いくつもいくつも重なった声にならない叫び。

  無造作に転がった人のような形をした消し炭の山。
  愛を誓う神聖な場所もにぎやかな商店街もなにもかも煤けた瓦礫に変わった。

  真っ黒な荒野を歩きながら見上げた空の呆れるくらいに澄んだ青。

「みんな焼かれて…一人になっちゃった」
「…」
 ぐっと息を呑んで目を見開いて強張ったケンタの手を取って包むようにリカは包むように握った。小さな手の指先は少しひやりとしていたけど、ゆっくりと伝わってくるぬくもりはやさしくてあたたかい。
 サユミもリカの隣に座ると、二人の手を包んだ。
「サユミもね、いないんだ…」
 更に大きく目を見開いて、じっとサユミを見つめるケンタ。
「お父さんとお兄ちゃんは戦場で死んじゃった。お姉ちゃんは……」

  そろそろ秋の気配を感じる頃。
  木の箱に入って戻ってきた父と兄。
  姉は暴力と欲望によって壊された。

「お姉ちゃんは……」
 呟いて、はかなげな笑顔がひどく痛々しい。
 リカが腕を回して頭を抱き寄せるとサユは手の甲を押し当てるように目じりをぬぐって笑って見せた。
 ケンタは重なっている手を見つめていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「…ママは?」
「ママ…お母さん?」
 こくりとうなずいて返すケンタにサユミはさびしげに微笑んだ。
「いないよ。お父さんとお兄ちゃんの後、追っかけてっちゃった」

  夫に続いて息子。
  無言で兄が帰宅してから3ヶ月。心を患った母はあっという間に二人の後を追っていった。
  やせ細った手。こけた頬。
  病院の白いベッドの上で静かに息を引き取った母は、ひどく小さかった。

「…」
 目を見開いて、大きく息を吸って…。
 言葉にしようと口を開いても何を言っていいのかわからなくて、ただサユミを見つめた。
 にこっと微笑み返すサユミ。
 隣にいるリカを見たら、どこか色褪せた瞳で微笑んでいた。
 レイナはまだカオリの腕の中でしゃくりあげている。

 抱きしめる腕の強さとあたたかさ。
 重なった小さな3つの手。
「…」
 父親を殺した敵の国の兵士たちの手。
 なのに、やわらかいぬくもりはどこまでもやさしかった。

 ―――
 ――

 午後の太陽の光が広がって、見上げる空の薄いブルーがどこか春の近さを思わせる。

『二人をちゃんと送り届けてらっしゃい』

 カオリの命を受けて、ところどころ壊れた町並みを眺めながら、ちびっこ二人を間に挟んで肩にアサルトライフルをかけて武装する迷彩姿のレイナとサユミが手を繋いで歩く。
 二つ目の通りの銀行の角を曲がって路地に入り、小さな公園の前を通り過ぎてこの辺の中ではちょっと高さのある集合住宅の角を曲がったところ。少し離れたところにはちらほらと工場の姿。
 拠点にしている公園から歩くこと10分。
 青い屋根の家を指差して、ヒナコが「あそこ!」と笑った。

 レイナとサユミは迎えに出てきたユウコぐらいの年の若い母親に二人を届けると、母親に敬礼。ヒナコが手を振ってくるから振り返しながら来た道を戻る。
 見えなくなるまで手を振って角を曲がると、そこそこに辺りを警戒しながらゆっくりと歩いた。
「レイナ」
「なん?」
「さっき……」
 言い淀んだサユミの言葉と心配そうに上目遣いで伺ってくる表情で察したレイナは、あぁと小さくうなずいて、なんとなく首をコキコキと動かしながら呟いた。
「なんかさ…思い出しちゃったっていうかさ…」
「レイナ?」
 薄いブルーの空を見つめている目はさらにその先を…どこか遠くを見つめている。
「レイナ、実家にあのコくらいの弟いるけん…なんか…切なくなったっていうか……なんかさ、なんて言っていいか…わからんちゃけど……悲しくて…」

 なんだかんだと生意気だけど、やんちゃなあの子があんな重たいを目をして、あんなことを言ったら…。
 自分がケンタのパパと同じようになったら、そんな風に思ってくれるのだろうか?
 そして、そんな風に思うようになってしまうのだろうか?
 寂しさと悲しみと怒りの入り混じった瞳の色を持つように変わってしまうのだろうか…。

「でさ…」
「ん?」
 サユミが小さく首を傾げる。
 レイナはゆっくりと息を吐き出してから続けた。
「なにしてんだろーなぁ…って」

 生きるために、守るために、銃を手にして誰か殺す。

 それが戦場。
 それが戦争。

 そんなことは言われなくてもわかってるんだけど、わかってるんだけど……。

 この指が引いた引き金で、その銃弾で…悲しむ誰かがいる。

「わかってるんやけど…」
「…」
 唇を噛んでうつむくレイナ。
 大きく肩を揺らしてため息を空に投げたサユミ。
「サユ…」
「ん?」
 ちょこんと首を傾げて見つめるサユミ。
 どこか不思議そうな顔。

『ねぇ…おねえちゃんたちは……つよいの?』

 リカとサユミは互いの顔を見合うと、どこか困ったようにさびしげに笑うだけだった。

 いつもはどこかとぼけたその黒くて丸い瞳。そのずっと奥を覗き込むようにレイナはじっと見つめていたが、ふわっと笑った。
「んん…。なんでもない」
「レイナ?」
 ちょこんと首を傾げてきょとんとするサユミ。
 レイナはへへっと笑うと、サユミの手を取って繋いだ。

 欠けたビル。崩れた壁。燃えた街路樹。
 心の奥底にじりじりと這うような緊張感を感じながらも、午後の空気は穏やかだ。
 砂利やコンクリートの破片のくずで散らかったアスファルトをコツコツと分厚い軍用ブーツの硬質ゴムのソールが叩いて鈍くて重々しい響きを弾き出す。
 手を繋いでなんとなく無言で歩くレイナとサユミの隣を、街の郊外で始まった銃撃戦の応援に向かう仲間たちを乗せたジープが走り去っていった。


   *


 ひゅ〜う。

 まだまだ冷たい冬の風がテントとテントの間を駆け抜けていく。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぃっ!」

 コドモは風の子。

 ドタドタドタ!

「まぁてぇ〜!」

 ドタドタドタ!

 テントとテントとの間を駆け抜けるちゃっちゃいボクとおこちゃまな軍人さん。

「べーだ! つかまんないよぉだっ!」
「言ったなぁ!」

 ドタドタドタドタ!

 逃げるケンタ。
 追いかけるノゾミ。

「のんつぁ〜ん! こっちこっち!」
 マコトがプルルルルと顔を振って冷やかし、
「のーんつぁんっ!」
 レイナがテントの角から顔を出してひらひらと手を振ってみせる。

「あーもーっ! あったまきたぁっ!!」

 ドタドタドタ!

「まぁてぇ〜っ!!」

 にぎやかな足音がアイスブルーの冬の空にこだまする。
 のどかな休憩中のひと時。
 昨日の夜の会議が長引いてお疲れのカオリはテントの中でお昼寝中。
「怒られないといいけどねぇ…。」
 テントの前のベンチでささやかなティータイムを楽しんでいたリカは、猛然とダッシュしてケンタの後を追っかけていったノゾミの後姿にやれやれと苦笑い。
 周辺パトロールを終えて遅い昼食を取って戻ってきたミキはマグカップを手に右隣に座ると、ずずっとコーヒーを一口。ふうっと一息をついてにぎやかな音に耳を澄ませた。
「まっ、いいんじゃない? 楽しそうで」
「でもさぁ…意外だったな」
「うん…。まぁねぇ」

   『ねーこおーんなっ!』
   『おねーちゃん!』

    にひひひひと笑っておとめ隊のテントの前に立っていたケンタとヒナコ。
    目を真ん丸くしてぽかーんとレイナ。

   『どっから入ってきたと?』
   『へへへっ。ひーみーつ!』
   『ひーみーつー!』

    やんちゃな笑顔。
    なんかよくわかんないけど、でもほっとして、うれしくて…。
    言葉になんかうまくできないから、ほろっと涙が零れた。
    そしたら、『またないたー!』ってからかわれて、

   『あー泣いた泣いたー!』
   『ほらほら〜泣いたらダメでちゅよ〜』

    なぜかノゾミとマコトにもからかわれたけど。

    あの日から3日後の出来事。

    それから毎日毎日やってきて、気がつけば1週間。

「なんかさぁ、みんなおこちゃまだね〜」
「ふふ。新しい弟と妹ができたから、うれしくってしょうがないんだよね」
「ねー。ちょーっとうるさいけど、見てて飽きないし、ま、かわいいからね」
「うん。それにさ、怒っても懲りないし」
「まぁねぇ〜」
「でも…このままであってほしいよね」
「リカちゃん?」
「…うん」
 カオリが会議からテントに戻ってきたのは予定より2時間遅い午前1時。ひどく疲れた様子で、寝付けにとリカが淹れた紅茶に重たい表情のままため息を一つ零して『来るわよ…』と呟いた。
 たかだか2週間前は戦場だった街。
 奪ったとはいえまだ小競り合いは終わらない。
「取られたら取り返す……だからね」
「…まぁね 」
 ミキはマグカップを傍らに置くと、べりっと臙脂色のロリポップの包装を剥がして銜えた。包装紙をくしゃくしゃと丸めてポケットに押し込むと、はぁ…と背もたれに寄りかかって足を組む。
「平和かぁ…」
 なんだろうね。
 さぁ…。
 リカはなんとなくマグカップに口をつけてすっかりぬるくなって渋くなった紅茶を一口すすった。
 薄いブルーの中をロリポップの白い棒がふらふらと右へ左へとさまよう。
「ミキちゃん」
「ん?」
「それ何味?」
「チェリー」
 いる?
 にっこりと目を細めて微笑むリカの顔がすぅっと近づく。
 ふらふらとさまよっていた白い棒をひょいと唇の端に追いやると、入れ替わるように重なったリカのやわらかい唇。
 すぐに離れたからミキは首を少しだけ伸ばして追いかけると、そっと押し当てた。

 背中の方からテント越しにわいわいとにぎやかな声。
 ひゅうと走り去る冬の風。

 もっと…。
 一度離れて、リカの肩に手を伸ばして抱き寄せよう…としたその時。

 ん?

 視界の端にちらりと映った小さな足。
 リカも気づいたらしく、ちょっとだけ眉間にしわを寄せて小さく首を傾げている。
 互いに見つめあうこと3秒。
 くるっと首を向けると、
「あ…」
「あ…」
 ヒナコがにこにこと笑っていた。
 そして、その後ろには両手を腰に当てて困り顔のサユミ。
「もぉ〜。何してるんですか。二人とも」
「えー…何って…ねぇ。リカちゃん」
「ねぇ…。ミキちゃん」
 見ての通りです…。
 だ〜か〜らぁ〜。
「二人ともおねえさんなんだから、まだちっちゃいコにヘンなこと教えないでください」
 それにミキがえーと反発する。
「そーかなぁー。いいじゃん。すきでしてんだもん。ねぇ」
「ねぇ。それにサユだってこの前さくらの所に遊びに行った時アイちゃんに……」
「私のことはいいんですっ!」
「えー。シゲさんずるーい」
「自分ばっかりー」
「だってさゆみこの間はしてないもんっ! っていうかさせてくれないもんっ!」
 じゃれてるだけですっ!
 あ。問題発言。
「っていうか、そっちの方が問題なんじゃないの?」
 にやにやと不敵に笑って背もたれに上半身を乗っけて己を乗り出すミキ。
 むーっと頬を膨らませるサユミ。
 ヒナコはくいくいっとサユミのシャツの裾を引っ張った。
「あ、そうだ」
 パンと手を叩くと、
「ひなこちゃん、ここ座って」
 とリカとミキの間をポンポンと叩いた。
 とてとてと走ってヒナコがリカとミキの間に座ると、サユミはリカの後ろに腰を下ろし、がっとリカの顔を両手で挟んでくるっと左に向けた。
「さっ…さゆ!?」
「はいはい。いいこだからおとなしくててね〜。じゃ、よく見ててね」
「うんっ!」
 元気のいい返事にうれしそうにうなずくと、さっさっと手際よくリカの髪をとって結っていく。  

 ここをね、こうしてね、こうしてね…。
 うん。うん。
 ほら、やってごらん。
 うんっ!
 そうそう。上手上手!

 ミキもやっていい?
 えーっ! ちょっとっ! ミキちゃん!?
 どうぞどうぞ。遠慮なくやってください。

 そんなこんなでひーふーみーよーと太さのまちまちな編み込みのなんちゃってドレッドヘアに大変身。
 おなかを抱えてがっばっはと笑うミキとむーーっと唇尖らせるリカ。
 そこに鬼ごっこをしているおこちゃまたちがやってきて…。

「うっわっ! りかちゃーんっ!」
「ぅは−−−っ! いしかーさんすっごぃあたまだぁ」
「ひゃーーっ! いっ…いっしかぁさんっ…ふはっあはははっ」

 むっとするどころか泣きそうな顔になっていくリカ。
 ケンタもおなかを抱えて笑ってる。

 乾いた薄い色をした青空に高々と響く笑い声。
 涙まで流して笑っていたミキは、テントの入り口の布がひらりと舞い上がったことに気がついた。
 やべ…。
 どうやら、深き眠りを妨げしまったらしい。
 魔人よろしく恐怖のロボが目を覚ました。

「こらーーーーーっ!」

 それから6人正座でカオリにこってりと説教されること1時間。
 そんな軍人さんたちの様子をベンチに座って足をぶらぶらさせながら見ているケンタとひなこ。
 ようやく開放されて痺れる足に悶絶しながら見上げた空はうっすら黄金色に染まっていた。

 ………
 ……

  夕焼け小焼けの帰り道。
 いつものように並んで手を繋いで途中まで送りながら、レイナはそれとなく聞いた。
「たのし?」
「うんっ! ボク、みんなことだいすきだぞっ!」
「ホントに?」
「だってみんなやさしいし、なかまだもんっ!」
「…なかま?」

 戦場で銃を手に戦う。

 それも仲間。

 同じ痛みを知っている。

 それも仲間。

 へへっと笑って、照れくさそうに鼻をこするケンタ。
 しっかりとおにいちゃんの手を握って、
「おともだち!」
 って笑ってレイナの手を握る小さな小さな手に力を込めたヒナコ。

「…」

 言葉はきらきら眩しい笑顔と一緒にまっすぐに胸に飛び込んだ。
 大きく見開いた目からほろっと零れて赤い夕日にきらりと光りながら頬を滑り落ちた雫。
「またないてるー。ネコオンナはなきむしだなぁ」
「うっさぃ」
 ごしごしと袖でぬぐってレイナは笑って見せた。
 そんなレイナを穏やかな瞳で見つめるサユミもぐすっと鼻をすすって目じりをそっと手の甲で拭った。

 かぁ…かぁ…。

 遠くでカラスが鳴いている。
 お家に帰ろう。
 並んだ4人の影はオレンジ色に染まったアスファルトに細長く伸びていた。


   *


 闇の中。
 荒野の中の一本の滑走路。
 わずかな明かりを頼りに一基、また一基、プロペラが唸りを上げて星の瞬く空へと飛び立っていく。
 機体はすぐに闇の中に消えた。

 ―――
 ――

 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!

 サイレンがけたたましく叫ぶ。
 キャンプを超えて、街全体に怒鳴るように叫ぶ。

 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!
 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!

 早く!
 急げ!
 もたもたするなっ!

 赤いランプがグルグル回る。
 闇を斬るように速く、鋭く。

 急げ! 急げっ!

 サイレンが叫ぶ。

 ウゥーーーゥゥゥゥゥゥー!!

 片道2車線の道路一本を挟んで銃口からパチパチと火花が閃く。
 街路樹の陰。ピルの角。
 車を盾にして、地面に伏せて、体勢を低くして引き金を引く。
「ちっ!」
 ミキは背中のバッグパックのサイドポケットから手榴弾を取り出すと、口でピンを引き抜いて放り投げた。
「下がれっ!」
 その声にレイナ、サユミ、マコト、ノゾミが一斉に走りだしてリカとカオリがいる一つ後ろの建物の影に滑り込む。
 ミキも後に続いて建物の影に入ると、前方を睨んでからぐるりと周囲を見渡した。
「囲まれてるね」
 ライフルを担いだリカが傍らに座る。ミキはうなずいて返した。

   ドンッ!

   静かな夜を突き抜けた一発の号砲。

   20時58分。
   ほとんどの部隊の食事も終わってあとは寝るだけという、そんな時間。
   街の南東部、東部、北東部から侵入してきた無数の戦車と兵士に、キャンプは瞬く間に騒然と動き始めた。
   2分で着替え終えて戦闘準備を完了させたおとめ隊の面々もその5分後にはキャンプから飛び出していた。

   突然の襲撃。
   予想はしていたものの、その想像を少しだけ超えた数の兵力に高まる敗色。

 カタカタカタとキャタピラー音があちこちから聞こえる。
 決して深く入ってくるわけでもなく、街の郊外で繰り広げられる激しい攻防。

 ドン!
 ドン!

 砲弾がアスファルトに穴を開け、ビルに大きな風穴を作り上げる。
 途中に置いて隠してきたポンコツトラックまでは今いる場所から西へ500メートルほどの距離。

 タタタタッ!
 タタッ! タタタタタッ!

 煽ってくる兵士達を銃で牽制しながら、少しずつ後ろに下がる。
「ちきしょぉっ!」

 タタタタッ!

 ミキの放った銃弾が兵士を一人地面に転がす。
 その後を続いてノゾミの放った銃弾がまた一人兵士を倒す。

 タタッ!
 タタタタタタタッ!

 レイナとマコトが弾幕を張って、また少しずつ下がっていく。
 カオリはサユミの顔色が悪いことに気づくと、ぎゅっと胸に抱きしめてポンポンと背中を叩いた。
「大丈夫。絶対帰れるから」
「…いーださん…」
「うん」
 やさしい微笑みに、ふわりと心があたたかくなる。
 一人じゃない。
 みんながいる。
 あの時とは…違う。
 サユミはゆっくりとカオリから離れると、銃をしっかりと持ち直して前を向いた。

 タタタタタッ!
 タタタタッ!

 パラララッ!

 パラララッ!
 パララララララッ!

 火花が弾ける。

 ドン!

 ドンッ!

 砲口からゆらりと立ち昇る灰色の煙。
 巨大な鋼鉄のバケモノがカタカタと足音を立てて通り過ぎるのを息を潜めて待つ。
 微かに揺れる足元。
 ガラガラと崩れるビルの壁や塀。

 レイナは下を向いて体を小さく丸めて息を潜めていたが、遠くからふと聞こえた音に顔を上げた。
「なん?」
 きょろきょろと空を見渡す。
 マコトも何か気づいたようで辺りを見回している。
 次第に大きくなってくる音。

 …ゥーーーーーーーッ…

「飛行機…」
 夜空の中にチカチカと瞬く不自然な青い明かりを見てサユミが呟いた。
 その刹那、

 ドーンッ!

 おとめ隊の面々が隠れてる建物の右手側、5キロほどのところで火が上がった。

 ドーン!
 ドーン!

 ひゅーと甲高い音を伴って地上で炸裂した爆弾がわっと膨らんで炎を広げていく。
 紺色の夜空があっという間に真っ赤に染まる。
「あっちって…」
 呟いたノゾミのあとをマコトが続けた。
「工場があったとこ。なんのか忘れたけど」

 ヒューーーン…。

 そしてまた一つ轟音が響き渡り、炎が立ち上がって空がまた一段と明るく赤く染まる。
 およそ3キロほど南東の方向。
 ぶーんとプロペラを唸らせて爆撃機が頭の上を通り過ぎていく。
 壁に身を寄せて体を小さくして通り過ぎるのを待つ。
 じっと息を凝らして、静かに、石のように…。

 ……。

 通り過ぎていったのを確認すると、赤く燃え上がった夜空と吹き込んできた熱気と灰にリカは体を強張らせた。
「リカちゃん…」
 ミキが肩を抱き寄せる。
 リカはじっと赤い空を見つめたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返して肩に置かれたミキの手を握った。
 あの時ほどではないけれど、それでも所々に上がる炎、赤く焼け付いた空はあの日を思い出させる。

  ブゥーーーーーーン…。

 今度は左手の方から迫ってくるプロペラの音。
 ちかっと瞬いたライトが二つ。
 レイナが向かってくる音の方に目を凝らしたその時、

 ドンッ!
 ドンッ!

 一つ。二つ。

 ほぼ真横、2キロほどの所で火柱が上がって空が真っ赤に燃えた。
 少し目立った高さのある集合住宅がぐらりと揺らいだ。
 キャンプはその少し先。
 レイナは目線を少しだけ手前に戻して今爆弾が二つばかり落ちたそこへと目を戻した。
「あっ…!」

 無邪気な二人の笑顔が、すぅっと胸を駆け抜けた。

 バァンッ!

 工場にあった何かの薬品に引火したのか、次々と爆発して足元がひりびりと震えて泣き叫ぶ。
 体を大きく広げて迫ってくる炎に魅入られたようにレイナが呟いた。
「サユ…あそこ…」
 焼かれて崩れていく集合住宅を力なく指差すと、サユミもごくりと息を飲んで目を大きく見開いてうなずく。
「うん…」

 大きな集合集宅の角を曲がってちょっと行ったところ。
 近くには工場がちらほら…。

「あっ…ああ…!」

 燃える…。
 燃えてる…!

 死んじゃうっ…!

 死んじゃう!
 死んじゃうっ!

 やだっ!
 そんなのダメッ!
 絶対にダメッ!

 いや…待って…。

 待って!
 まだ生きてるかもしれない!
 逃げてるかもしれないっ…!

「助けないとっ! 助けないとっ!」
 飛び出そうと立ち上がると、後ろからミキに抱えるように止められた。
「バカ! どこ行くんだよっ!」
「二人がっ! ケンタとひなちゃんがっ! 」
「バカッ! おまえも死ぬぞっ!」
「離してっ! みきねぇ離してっ! レイナ行かんとっ! 」
「バカっ! 死ぬっつってんだろっ!」
「やだっ!! 離してっ! レイナ行かんとっ! レイナ行かんとっ!!」

  『うっさぃやいっ! ネコオンナ!』
  『ねこおんな! ねこおんな!』

   歯を食いしばって目にいっぱいの涙をためて拳を握り締める横顔。
   そして、そんな横顔を不思議そうに見上げる横顔。

  『だってみんなやさしいし、なかまだもんっ!』
  『おともだち!』

   ちょっとはにかむような無邪気な笑顔と、小さな小さな手のぬくもり。

 ゴゴゴゴゴ…。

 集合住宅が足元から崩れて炎の中に重い灰色の煙が舞い上がる。
 炎は煌きながら真っ赤な手を広げて空を焼く。

 ウーーウーーウゥゥーーー!

 サイレンの音が変わって、やがて途切れた。
 他の隊が街から撤退を始めている。

「ちょっ! レイナやばいって!」
「ねっ! 無理だよっ! こっちも危ないよっ!」
「ケンタぁっ! ひなちゃぁんっ!」
 なんとかしようともがくレイナの力にノゾミもマコトも撥ね退けられて手が出せない。
 爆風が生んだ風が風を呼び、煽られて勢いを増していく炎が気がつけば近くへと迫ってきている。
 リカは立ち上がると、レイナの肩を掴んで思い切り拳をみぞおちに叩き込んだ。
「あ…ぁ…」
 カクンとレイナが落ちる。
 ミキがそのまま担ぎあげて肩に乗せると、カオリは後方を指差して叫んだ。

「全員、退却!!」


   *


   『れいちゃん。なんでおひげないの?』

    まだこどもだから?

    ヒナコが首を傾げる。

   『えっとぉ、だからぁ。レイナは…』
   『あー。ちょっと待って』
    へへっと笑って、ノゾミはテントの中に入ってすぐに戻ってくると、
   『はいはい。ちょっと動かないでね〜』
    ヒナコから隠すようにレイナの前に座った。

    キュポッ。

   『ちょっ! あっ! のんつぁんっ!!』
   『へっへっへ〜。いいからいいからぁ』

    キュッ、キュッ。
    キュ〜ッ、キュッ。キュッ。

   『ほら。おひげだよ〜』

    マジックペンのネコひげを生やした仏頂面のレイナ。
    それを見てキャッキャッと大喜びのヒナコ。

   『あっ! ねこおんなにひげが生えてる!』

    ケンタも大喜びでおなかを抱えて笑った。

    なんかみんな笑うから、頭きたけど恥ずかしいけどなんかおかしくなってきて、なんか涙が出た。

「…っ!」

 跳ね起きたレイナの目の前に広がる薄闇。
 はっと辺りを見渡せば小窓から遠くの街路灯が流れては消えていく。

 ユメ…。

 声にならない呟きはすぐに闇に溶けて、ふいに感じたひどく冷たい空気。
 腹に痛みを感じてじわりと記憶がよみがえる。

    真っ赤な空。
    ひらひらと舞い踊る火の粉。
    焼け付くような熱い風。

    ネコオンナ!
    れいちゃん!

「っ…く………」

 ぽたりぽたりと落ちていく大粒の涙。

 低く唸るエンジンの音がやけに耳につく。
 小さな窓向こうは藍色の空。闇よりも深く静かな冬の夜空が垣間見える。

「っく…ぁっ…ぁぁっ…うぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 バン! バン! バン!

 固く握り締めた拳が何度も何度も床を叩く。
 小さく体を丸めてうずくまってレイナは声を上げて泣いた。

 どうやったって圧倒的な暴力の前に人間は無力だ。
 その暴力を生み出すのもまた、人間なのに。

 胸の中でぐずぐすと鼻をすすって泣いているノゾミの頭を撫でるカオリ。そのカオリの目も泣いて腫れている。
 きゅっと唇を結んで、窓の外を見つめるマコトの頬にも涙の跡。
 目が覚めるまでずっとレイナに膝枕をしていたサユミが、そっと後ろから背中をさすってやる。何の慰めにもならないだろうけど、やさしく、ただひたすらにやさしく。頬を滑り落ちる涙を手の甲でぬぐいながら、小さく丸まって震える背中を撫で続けた。

 ハンドルを握るリカの真っ赤な目は夜の車内ではわからなかった。
 助手席でいつものようにダッシュボードに足を乗せてシートを倒して寝転がるミキは、滲んできた涙を押さえるように袖で拭った。
 リカはシートベルトの位置を少し直すと、ふいにミキに話しかけた。
「ミキちゃん」
「…ん?」
「歌って?」
「…うた?」
「うん。なんでもいい」
「…」

 レイナの泣き叫ぶ声と、エンジンの音と。
 流れる景色はどこまでも藍色でどこまでも静かで、ふいにすっと星が流れる。

 ダッシュボードから足を下ろし、シートを戻して座りなおしたミキが口ずさんだのは神への賛美の歌。

 驚くべき恵みだ!
 罪深い私を神は救ってくれた。

 こんな歌を歌ったところで、神は何を救ってくれるのかわからないけれど、他に何も思い浮かばなかった。
 でも、せめて、本当にいるんなら…。

  涙で掠れた声はエンジンの音に重なって消えた。


                              ■                            ■


 ドンドンドンドン!
 ドンドンドンドン!

 勉強に飽きたのか疲れたのか、いつのまにか眠ってしまったサユミを夢の国から連れ出したのはけたたましいドアの音だった。

 ドンドンドンドン!
 ドンドンドンドン!

「ん〜っ…。もぉ。なぁに〜」
 ちょっと口の端をぬぐって、ぷんぷんってドアに向かう。

「サユッ! おるんやろ? 早くっ! 早く開けてっ!」
「レイナ?」
 ドアを開けると、
「もぉ〜! いつまで待たせよぉとぉ」
 と、言うなり、「ほらっ!」と満面の笑顔で手紙を見せた。
「何? あれ? イシカーさん?」
「そう! もぉね、すごいのっ!」
「何が?」
 パタンと開きっぱなしのドアを閉めると、ベッドに座るサユミ。レイナはその隣に座ると、手紙の中から1枚の写真を取り出して見せた。
「あっ!!」
「ねっ! すごくない!? もぉっ…レイナさぁ。へへっ」
 そのあとは言葉にならない。
 サユミはぐすっと鼻をすすった。



    松葉杖を使って歩く左足の膝から下がない男の子。
    そのシャツの裾をしっかりと掴んで笑っている眼帯をしているらしい女の子。

    顔を見合って楽しそうに笑っている横顔。
    服から覗いてる素肌にはやけどの跡。

                                                    』

 生きてた…。

 生きてる!

「ねぇ…すごいよ…。なんかよくわかんないけど」
 サユミはぽたぽたと滑り落ちる涙を拭いもせず、ただただ写真に見入る。
「うん…」
 レイナは胸に着けたシルバーのクロスを握り締めた。

  Dear レイナ

   元気ですか? 勉強、訓練がんばってますか?
   きっとレイナのことだから、がんばりすぎちゃってるかな?

   レイナは、ミヨシエリカさんのこと、覚えてるかな?
   隊にいた頃、取材で来ていたカメラマンさん。
   今は私と一緒の会社で働いてるんだよ。なんか不思議だね。
   そのミヨシさんがすごい写真を持ってたので同封するね。

   びっくりするから!
                                          』

 そんなとても短い手紙と一緒に届いた1枚の写真。
 あの時よりちょっとだけ大きくなっていた。
 どんなに変わっても間違えるわけなんてない。
 今だって、ほら、耳を澄ませばいつだって声も聞こえる。

 『なかま』だから。
 『ともだち』だから。

「会いたいね」
「うん…」
「覚えるてかな?」
「覚えてるよ! だって、レイナ、ネコオンナじゃん」
「あっ! さゆ〜!」
「だーってホントのことだもん!」
「あーこらー!」
 にゃーっとレイナがサユミに襲い掛かってきゃいきゃいドタバタとベッドの上で転げまわる。

 すっかり忘れ去られた教本とノート。
 どうやらもう勉強は終わりのようだ。
 ベッドに寝転がって写真を見るレイナとサユミのうれしそうな笑顔。
 はしゃぎ疲れてゆっりとまどろんでいく体を窓から差し込む夕焼けの橙色がやさしく包み込む。

 どこかでネコがにゃーって鳴いて、カラスがかぁかぁと連れ立って帰っていく。
 寮の食堂からいいにおいがしてきて、ほどなくレイナのおなかがなって、二人で笑った。
 今頃、あの子達は何してるかな?
 寝転がったまま首を少し伸ばして窓の向こうの夕焼け空を覗いたら、きらりと一番星が光っていた。

 

(2006/9/21)

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