彼女はみんなの恋人。
時に甘酸っぱく、特にほろ苦く。
だけどミルクのようにやさしく、アーモンドのように手ごわくて、パフみたいにノリのいい…素敵なアナタ。
甘い甘いとろけるようなキス。
2.5センチ四方のそんなアナタの名前は、チロル。
甘い甘い、みんなの恋人。
「食べたでしょーっ!」
時に争いも呼ぶけれども……。
「えー! 食べてないって!」
詰め寄るノゾミにマコトがぶんぶんと激しく首を振る。
それまで和やかだった食堂に一転して巻き起こった嵐。
奥のテーブルで本を読んでいたカオリが眉をひそめて顔を上げた。
「なにー。どーしたのー?」
「ここに置いといたチョコがないのーっ!」
真ん中の6人掛けのテーブルの端を指差して、ノゾミがマコトをきっと睨みつける。
マコトはマコトでちょっと泣きそうな顔で、口をへの字に曲げて睨み返した。
その隣のテーブルでしゃべっていたレイナとサユミがはっと顔を見合う。
マコトがポツリつぶやいた。
「そんなとこに置いとく方が悪いのに…」
「だって、ちょっとトイレ行っただけだもん」
ノゾミもアヒル口で応戦する。
二人とも瞳はうるうる。
もはや我慢比べの意地の張り合い。
カオリは二人の様子をただじっと見ている。
出口側のテーブルで、スピードで揉めてポーカーを始めていたリカとミキは手を止めた。
探るように目を合わせると、まずリカが手札を明かす。
「エースのワンペア」
「2と6のツーペア」
ミキが手札を明かすと、二人は同時にため息をついた。
「なんか…半端だね」
「…ね。さてと……」
リカはゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、後よろしく」
「おっけー」
ミキは、涙目でにらみ合う二人の隣で小さくなっているレイナとサユミに手招きした。
呼ばれた二人はそーっと席を立つと、ミキの待つテーブルへ。
そんな二人の肩を笑顔でポンと叩いたリカの行く先は、への字口とアヒル口の二人のもと。
「ほらほら。ケンカしないの」
「だあってぇ〜。楽しみにしてたんだもん…」
リカはぷーっと膨れるノゾミを抱き寄せて頭をなでると、マコトに目をやった。
マコトはぐっと口を結んでふるふると首を横に振る。
「しょーがないね。まったく…」
ポケットをごそごそと探ってそれを見つけると、そっとノゾミの手の中に押し込んで握らせた。
「キモチはわかるけど、そこに置いといたノノも悪い。あとでいいからちゃんとマコトに謝りなさい。マコトも…やってないんだったら、そんな泣きそうな顔しないの。ね?」
こっくりとうなずくノゾミとマコト。
「じゃ、もうこの話はこれでおしまい」
二人の肩をぱんと叩くと、リカはくるりと背を向けてドアへと歩きだした。
ノゾミはそっと手を開いた。
「あっ!」声を出したのはなぜかマコト。
「リカちゃん!?」
「なぁに?」
振り向くと、ノゾミが手の中のものを見せた。
そこにはちょこんとイチゴ味のチロル。
マコトがポカーンと口を開け、レイナとサユミが目を丸くしてなんでもないような顔をするリカに目を向けた。
別段驚きもしないミキがちらりとリカを見る。
ふっ…と小さな微笑が返ってきた。
「いいから。あたしは後でミキちゃんに分けてもらうから」
ミキが自分を指差す。
『ねっ』ってミキに笑いかけて、リカはそのまま食堂を出て行った。
パタン…。
後姿を見送ってしんと静まり返る食堂。
ゴン!
「いだっ!」
「いてっ!」
静寂を破ったのはカオリのゲンコツだった。
「大事に食べなさいって、言ったよね。ここが前線で少しは優遇されてるからって言ってもね、もう物資もなかなか来ない状態なんだから」
長くなりそうな予感にノゾミとマコトが苦々しく顔を見合う。
「チョコレート一つでケンカしないの。それも二人よりも年下の子がいる前で。もう少し自覚を持ちなさい」
腰に手を当てて怒るカオリの迫力にしゅんと肩を落とすノゾミとマコト。
ミキはやれやれと笑った。
「なんだかねぇ」
レイナとサユミはさすがにちょっと笑えないのか、あいまいに「はぁ…」と返すだけ。
ミキは立ち上がると、二人の肩を叩いた。
「大丈夫だから。ちゃんと言えば怒らないよ。わかった?」
「はい」
「はい」
二人の返事を聞くと、ミキも食堂を後にした。
食堂を出てそのまま目の前のドアを開けると、頭の上にはたくさんの輝くコンペイトウ。
真っ暗闇の中で輝く星星は、さすがに食べれない。
なんとなくそんなことを思いながら、ミキはそのまま夜の静けさの中に歩を進めた。
シャリ…。
ジャリ…。
土や砂利を踏む足音が妙に耳に心地よい。
昼になれば見通しがやたらとよい平原。
空高く舞うとんびの声に混じって、地面を低く這う砲弾の咆え声や軽快な速射砲の雄叫びが木霊する。
静かな空間にぼんやりと平穏を感じるから、不思議と怖くない。
それどころか、一歩一歩に生きてる自分を感じることができて、なんとなく口笛を吹いてみたくなった。
星空に中に溶けていくささやかな音色は、どうやら弾ける恋の歌。
暗闇の中でぽつんとうずくまってるポンコツトラック。
口笛を吹くのをやめて、その運転席のドアを二つノックした。
…。
「ん?」
返事がない。だけど普段閉まってるウインドウは全開。
中を覘こうとステップに足を乗せると、頭の上から声がした。
「ミキちゃん?」
リカが荷台部分の屋根の上から顔を出した。
「そんなとこにいたの?」
「うん。なんとなくね」
ミキはしばしリカを見ていたが、わざと肩を揺らしてため息をついた。
「帰ろうか?」
「なんで? 上がっておいでよ」
「ん。じゃあ、お言葉に甘えて」
全開になっているウインドウに足を掛けて運転席の屋根に上ると、そこから荷台の屋根に上がった。
「いらっしゃい」
「おじゃましまーす」
ミキはリカの隣に座ると、空を見上げた。
きらきら、きらきら。
雲一つない快晴の夜空。
時折やわらかく肌をなでる夜の風が、軍用のサバイバルジャケットを着ててもまだ少し肌寒い春の夜。
リカはぴたっと体をくっつけると、自分とミキをかけていた毛布でくるりと包み込んだ。
「ずいぶん用意がいいじゃん」
「まぁねぇ」
二人分の体温をじっくりと包み込む毛布。
リカはまっすぐ前を向いたまま訊ねた。
「どうしたの?」
「なにが?」
ミキはまっすぐ前を向いたままとぼけた。
「もう」ってリカがとんっと肩をぶつける。ミキは同じようにやり返した。
「だってさ、チョコ…食べるんでしょ?」
「で、わざわざ来てくれたわけ?」
「そっ。来てあげたの」
「それはどーも。ご親切に」
「なにそれぇ。ココロがこもってないなぁ。あげないよ?」
「っていうか、持ってないでしょ。ミキちゃんだって」
『ばれた?』って顔でふふーんって笑うミキ。
ちょっとじとっとした目で一睨みしたらおどけて肩を竦めたミキに、リカはふふっと笑った。
「で、誰にあげたの?」
「レナとサユ。サユが見つけて、レナと分けたんだって」
「そっかぁ」
「まぁ、さすがにちゃんと謝れば怒らないでしょ。半分は向こうも悪いんだし」
「キモチは…わかるんだけどね」
日に日に悪くなる…。
という実感はない。
でも確実に悪くはなっている。
終わるのか。それはいつなのか。
目の前に広がる闇のように何も見えない。
せめて見上げる夜空のように目印の一つでもあったなら、隙間からのぞく星一つで雲の多い暗い夜でも歩けるかもしれないのに…。
リカは手探りでミキの手を探し当てると、ぎゅうっと強く握った。
無言でその手を握り返すと、ミキはリカの顔を覗き込んだ。
「リカちゃん」
そっと重なる唇。
ひやりとした一瞬の冷たさがじんわりと温ためられて、口移しで伝わっていく。
たぶん、いつもより30秒ほど長い柔らかな口付け。
ただ触れ合っているだけなのに、途方もなくあたたかい…そんな気がした。
なんとなく離れると、ミキはそのままリカを胸に抱き寄せた。
「こっちの方が甘いでしょ」
「…そうだね」
トクン、トクン…と心臓の音。
目を閉じるリカ。
ミキは包み込むように抱きしめると体を倒して荷台の上に寝そべった。
「ごめん。重いよね」
リカが体を起こそうと少しだけ顔を上げた。
首を横に振って答えるミキ。
リカは何も言わずに、またミキの胸にそっと頭を置いた。
トクン、トクン…。
少し早い心臓の音が次第にゆっくりと落ち着いて、耳に心地いい。
重なり合う体から布越しに伝わってくるぬくもりの愛しさ。
「きもちいい…」
「うん…」
一つに溶け合っていく熱を逃がさないように、強く抱きしめあう。
まだ肌寒い春の夜。
ぼんやりと星を眺めながら、気づいたときにはいつのまに二人とも夢の中だった。
■ ■
リビングのテーブルのバスケットの中に彼女たちはひしめいていた。
イチゴ。パフ入り。ミルク。アーモンド。ピーチなんていうのもいる。
一つを手にとって包装紙をはがすと、ミキは口に放り込んだ。
ゆっくりと広がる甘さ。
なぜかひどく懐かしい気がした。
「リカちゃん。これ、どうしたの?」
「うん。なんとなくね。スーパーで見つけて…」
トントントンと、昼ごはんを作る手を休めずに答える。
ミキはまた一つ手に取とるとキッチンに入った。
「あの日、結局夜明けぐらいまでトラックの上で寝てたんだよね」
「そー。起きたらさ、もう体痛くってねぇ」
包丁の刃についた野菜を指で落としながら、リカがくすくすと笑う。
包丁を置いたのを確かめてから、ミキは後ろから抱きしめた。
「だけどさ、なんか久々によく寝たなぁ…って思った」
「うん…」
兵舎の自分たちの部屋に戻ると、ベッドの横の小さな机の上にメモ。
『ごめんね。ありがとう』
ちょっとコドモっぽいカオリの字。
そして、ちょこんとチロルが一つ。
ミキは手にしていたチロルの包装紙をはがすと、リカの口に押し込んだ。
そして、追いかけるように口付ける。
二人の口の中に広がる淡いほろ苦さ。
本当は、本部に出向いたカオリがユウコからもらった差し入れ。
人数分取り出すと、後は冷蔵庫に判らないようにして隠した。
『いいことあったときのご褒美ね』
カオリは二人にそう言った。
「んっ…。ミキちゃん!?」
「だって、まだ食べてなかったでしょ?」
「いつの話してるのよぉ」
「いいじゃん。いつだって」
「もう…」
ちょっと頬を膨らませて、リカはコンロに火をつけた。
「危ないよ」
だけどミキは後ろから抱きしめたまま動かない。仕方なくリカはそのまま刻んだ野菜を炒め始めた。
油が跳ね、フライパンの底を叩く木べらの軽やかな音。
ミキの手によって入れられた白いゴハンが鮮やかな野菜と油によっておいしそうに色づいていく。
食欲をそそる香りに思わず喉が鳴る。
「おなかすいた」
「もうちょっとまってね。あっ、そうだ! お皿出して?」
「…うん」
ちょっとだけ歯切れの悪い返事をしておとなしくリカから離れると、テーブルに真っ白い皿を二つ並べた。
最後にしょうゆをご飯のふちに一回しして軽く炒めると、リカは火を止めた。
「よしっ…と!」
残り物を使ったしょうゆベースの焼き飯が完成。
ちょっとミキの方に多めに皿に盛り付けて…
「いただきます」
「めしあがれ」
穏やかなランチタイムの始まり。
食後の一時を何で過ごすかは、もう決まってる。
「ねえ、これ食べたらさ、あれ飲もうよ」
「いいね。そうしよ」
軋む体にムチ打って食堂に行ったら、待ってましたとばかりに差し出された2つのブリキのマグカップ。
ちょうど5分の1くらいのあたりに、ほんのりと湯気をたてた淡い褐色の水面。
ミキがレイナとサユミに渡したチョコレートを頑として受け取らなかったノゾミ。
『だって、そしたらノンが2つ食べることになっちゃうじゃん』
そこでカオリが作ったのが、ホットチョコレート。
たぶん自分が知っている中で、世界で一番、やさしい飲み物。
火に掛けたミルクパンに一つ放り込むと、真っ白いミルクが崩れた褐色の渦を描きだしてほんのりと染まっていく。
甘い甘い素敵な彼女。
みんなの恋人。
名前はチロル。
たった一粒でみんなを幸せにできる不思議な子。
溶けるように甘いくせに、切ないくらいにほろ苦い。
なんだかあの日々を思い出して、二人は顔を見合って笑った。
ゆったりと流れるランチタイム。
カーテン越しに射す白い光には、もう夏の気配が潜んでいた。
(2004/3/16)
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