「はぁっくしゅっ!」
ゲホゲホと咳き込むマコト。
よしよしと頭を撫でてやるノゾミ。
窓の向こうは冬の風が舞っている。
薄い青をした冷たい空。
冷たいガラスを通り抜ければ昼下がりの陽射しがゆっくりと部屋を暖める。
床にペタンと座るノゾミはようやく咳が治まったマコトの額から濡れタオルを取ると、ざばっと洗面器に突っ込んだ。
ザバザバザバ。
「ごめんね…。のんつぁん」
「何が?」
「んぁ…。遊べなくって」
こーら。訓練じゃないの?
カオリかリカがいれば確実にそう言われたであろう言葉に、ノゾミはちょこっと首を傾げた。
「いいって。しょーがないじゃん」
そう言われてしまうとどう返していいかわからないものである。
マコトはむーっと唇をへの字に曲げて、熱のせいもあって情けなく潤んだ瞳を隠そうと布団を鼻先まで引き上げた。
「それにさ、いい休暇じゃん?」
疲れてたんだよ。
ノゾミがギューッとタオルを絞る。
ザバーッ。
吸い込みきれなかった水が洗面器の薄い水面をにぎやかに叩く。
「治ったらさ、めいっぱい遊んでもらうから」
だから、訓練は?
またしてもそんな声が聞こえてきそうである。
「んーーーっ…!」
さらにぎゅうっとタオルを絞り込む。
ポタリポタリと落ちる雫。
「…ぅん。でもさぁ、退屈でしょ?」
ポツリとマコトが呟く。
そんなに絞るとタオル、ぬるくなるんじゃないなかなぁ…。
とは、とても言えないほど一滴残らず絞ろうと耳まで真っ赤にしてタオルの水分と格闘するノゾミ。
「んんーっ! っがぁぁぁっ!」
ポタッ。
まだかすかに波打つ水面にふわーっと広がった一滴の波紋。
ノゾミはふぅっと肩を揺らすと、満足げにタオルを広げた。
「マコト」
「…ん?」
「楽しいよ」
「…は?」
「んー。だからさ、こうして、マコトの看病してるのも」
パンとタオルを伸ばすと、
「あ、ぬるい」
と、結局また洗面器につけてタオルを今度は少し弱めにきっちりと絞りなおす。
「それにさ、熱下がったり、ちょっと食欲出てきたり、そういうのがわかると…」
パン!
タオルをぴしっと広げる。
「うれしい」
へへっと笑って、てきぱきとタオルを折ると、ぽんとマコトの額に置いた。
やわらかいタオル地からひんやりとした冷たい感触。
「それにさ…アイちゃん、心配しちゃうじゃん」
「ぁ…」
「アイちゃんのことだからさ、もぉすっごい落ち込んじゃって、暴れだすかもしんないじゃん」
「えー…アイちゃんに限って…」
あるかもしんない。時々何考えてるのかわかんないこと言い出すし…。
「うーん…」
「マコト…」
否定しなよ。ちょっとは…。
「それにさ、あんま長引くと……ぅん。のぉもさ、その……待ってるキモチは…ぅん。わかるから…」
「…」
眩しい空。
やんちゃな太陽。
陽炎揺れる夏の日。
ノゾミとマコトの間に嵐を呼んだ、少し切ない色をした空色の手紙。
「なんてーかさ、ぅん。さびしいのって…イヤじゃん」
マコトのほんのりと赤いもちっとしたほっぺをうりうりと突くノゾミ。
ちょっと照れくさいのか、視線は少しだけ床に落ちていた。
「いたっ…くすぐったいって。のんつぁん」
「うん」
ふにふにと相変わらず突き続ける。
「…早く治してさ、手紙書いてあげなきゃ」
「…」
「だから、少し寝なよ」
「…あぁ、そうだね。うん」
マコトはちょっと目尻を押さえると、少し咳き込みながら横を向いていた頭の位置を正面に置き直した。
なんとなく布団をパシパシと叩いて整えてやると、ノゾミはよいしょと立ち上がった。
「じゃ、またご飯の時来るね」
「うん」
「じゃ」
「うん…」
マコトが目を閉じる。
それを見届けて、ノゾミはドアに向かって歩き出した。
きしっきしっと床が鳴く。
「のんつぁん…」
「んー?」
ノゾミの足音が止まる。
「…」
はぁ…。
言葉の代わりに聞こえたのはため息。
「大丈夫だって」
ノゾミは明るい口調でそう言うと、ベッドに引き返してちゅっとマコトの頬にキス。
「マコト、おやすみ」
「…ぅん」
パタパタパタ。
ベッドから離れて行く足音。
キィ…。
パタン…。
ドアが閉まって、小さくなっていく足音を聞きながらマコトは目を開けた。
「…」
天井の木目のうねりをなんとなく眺めて、ぼんやりと吐き出した重いため息。
朝からなんか体が重いなぁ。寒気するし…。セキは出るし…。
そう思ったおとといの昼下がり。
食欲もなくて、
『マコト? 顔赤いよ?』
カオリに言われて、熱を測ったら38度5分。
別にシャワー室で遊んだわけでもなく、寒いカッコをしていたわけでもなく…。
何でこんなときに……。
ごろりと横を向いて、小さく軋む床板の音になんとなく耳を澄ました。
キシ。
キシ。
ゆっくりと階段を下りていく。
ノゾミはぼんやりと床を見つめたまま階段を降りきると、ぺたりと階段の上に座り込んだ。
「はぁ…」
零れ落ちたのは湿った重いため息で、ひざを抱えて唇を尖らせて床を見つめる。
明後日は出撃予定。
大丈夫って言った。
でもそんなものは気休めにもならない。
だからマコトも言わなかった。
言えばノゾミが気にするから。
そして、返ってくる答えだって、わかっていたから。
でも、言った。
それでも少しぐらい気持ちが晴れるかもしれないから。
大丈夫じゃない、なんてシャレじゃ言えない。
だって、大丈夫じゃないからマコトは寝てるんだ。
だから、大丈夫。そう言った。
「…」
ノゾミは立ち上がると、食堂のドアを開けて中に入った。
窓辺のテーブルで読書にふけるカオリ。
レイナとサユミはつまんなそうに軍学で出されたレポート制作。
リカとミキはとりあえず七並べ。
静かな静かな昼下がり。
いつもに比べたら何か足りない。
ノゾミは相変わらず唇を尖らせたまま、なんとなくとてとてと歩き出すと、カオリの隣に座った。
「…のんちゃん?」
「…ぅん」
どこか思いつめたようにじーっとテーブルを見つめるノゾミ。
カオリはマニアックでサイケな恋愛が綴られた文庫本を閉じると、頬杖をついて顔を覗き込んだ。
「ん? どうした?」
ポンポンとあやすように背中を叩き、そのまま抱き寄せる。
ノゾミはゆっくりと視線を上げて上目遣いにカオリを見つめた。
「ぅん…」
どこか思いつめているような目。
カオリがよしよしと頭を撫でる。
リカもノゾミが気になるのか、盛り上がらない七並べをやめてカードをまとめると、ミキの手を取ってカオリとノゾミの向かいに座った。
サユミとレイナもまだ日があるから…とレポートを切り上げてテーブルにやってくる。
ノゾミはじーっとカオリを見つめたまま。
「…」
「…」
「…」
「…」
そんなノゾミをじぃっと見つめるリカ、ミキ、サユミ、レイナ。
「のんちゃん?」
カオリがもう一度声をかける。
「ぅん」
ノゾミが顔を上げた。
「ねぇ、カオリ」
それからしばらくして、ジープが基地を飛び出し、兵舎の倉庫ににぎやかな音が響き渡った。
*
目が覚めたら、カラスが鳴いている声が遠くに聞こえた。
すっかり暗くなった部屋。
なんだかまだ体がずしっと重くて、少しぼんやりとしたまま天井をじいっと見上げる。
いつもならおなか減ってしょうがないのになぁ…。
腹の虫も熱のおかげでずいぶんとおとなしい。
なんとなく額の上に乗ったタオルを取ったら、すっかりとぬるくなっていた。
「今…何時だ…」
あんまり静かなのもさびしく思えて、なんとなく自分と会話を試みる。
窓から射すわずかな明かりでベッドサイドの小机の上の目覚まし時計に手を伸ばす。
「んー…。5時かぁ」
ちょっと過ぎた頃合を示す時計の針。
目覚まし時計が机に置いた小さな衝撃でカチンと鳴った。
マコトはうーと腕を伸ばして、窓を見上げた。
星がちらちらと部屋を覗き込んでいる。
はぁ…。
なんとなくため息をついて、ぼんやりと星と見つめあう。
星はちかちかと瞬いていて、熱と寝起きでけだるい体。
藍色に染まった部屋にぽつんと一人。
机の上の写真立ても藍色の中に溶け込んでいて、中で笑っている仲間の姿は見えなかった。
4人で肩を組んでおっきな口を開けて…。
眩しい笑顔のリサ。
くしゃくしゃな笑顔のアイ。
写真から飛び出すんじゃないかって勢いで馬鹿笑いするマコト。
目を細めて笑ってるアサミ。
ポーズを決めて撮った後、ノゾミとアイに思いっきり笑わされて、そのすきにとヒトミが撮った1枚。
後ろには青い空。
「はぁ…」
アイちゃん…何してるかなぁ?
ごろりと転がって、また一つため息が零れた。
アサミちゃん、今日は何食べたのかなぁ?
ガキさん、元気かなぁ?
向こうは…今日、何食べるのかなぁ?
あー。今日、こっちはみんな…何食べるんだろう…?
トントン。
イイダさん、やさしいから…今日かぼちゃ料理とかってことはないと思うけど…。
トントン。
あーあぁ。たいくつだなぁ…。
「はぁ…」
トントン。
「はぁ、そーいえば…なんか静か?」
一人ごちって、ようやく…。
トントン。
ドアがノックされているのに気がついた。
向こうでなんかボソボソと声が聞こえる。
“まぁこぉとーっ。はーやぁくぅーっ!”
“もぉ! ののっ!”
“ツジちゃん、しーーっ!”
んん? なんだなんだ?
マコトは少しだけよっこらしょと体を起こした。
「はぃ?」
ごほごほと咳き込みながら返事をすると、
ぎいっ…。
ドアがゆっくりと開いた。
「あれ」
誰もいない。
なんかぼそぼそと声が聞こえたし、よく耳を澄ますとギシギシと床板の軋む音もする。
なのに開け放たれたドアから誰かが入ってくる気配はない。
と、思ったら…。
「ふぇ?」
ひょこっとドアの下の方から顔を出したのは一匹の少し不恰好なカーキ色のタヌキのぬいぐるみ。
「…わぁ…」
ひょこひょこと手を動かしてるタヌキは、なにやら軍支給のジャケットやシャツなど古着を寄せ集めて作られたものらしい。
それによく見るとタヌキの着ぐるみをかぶった人形という方が正しいようで、大きく開けた口の間から覗く簡単な刺繍で描かれた顔は誰かに似ている。
「…ぁれ? のんつぁん?」
『んー。のん、なにかなぁ?』
『そうねぇ、のんちゃんは…タヌキかな?』
『でもなんか、それってポンちゃんっぽい気もすったい』
『うん。そうねぇ。でもほら、のんちゃん、よくおなか叩いてるしね』
『そうそう。ごはん食べた後にね』
ってリカが笑って、てへへっと笑うノゾミ。
「こんばんはぁ」
ちょっと機械みたいなだみ声でタヌキがぺこりと頭を下げるから、マコトも慌てて頭を下げた。
「あぁ、こんばんはぁ」
「キミィ」
わざとだみ声にしているらしくて、ドアの向こうから、ミキが笑いを押し殺す声が聞こえる。
「あ〜はぃはぃ」
「キミィ、さみしくないかね?」
「え…?」
「一人でずーっと寝てるだろ?」
「あぁ…うん…」
「だから、トモダチを連れてきたんだ。一緒に遊んでくれるか?」
ちょっとだけ高めのだみ声で妙な命令口調でそう言うと、タヌキは後ろを向いてひょこひょこと手招いた。
パッと現れたのはネコのぬいぐるみ。
「んにゃぁ!」
『レイナはいいでしょ』
『なんで? みきねぇ』
『いや…だってねぇ、いいじゃん。ねぇ、リカちゃん』
『え? あー。うん。やっぱネコだよねぇ』
『うん。ネコよねぇ。かわいい子ネコ』
とカオリ。ノゾミがけってーとノートに書き込む。
『やっぱネコなんかぁ…』
なにやらフクザツそうな顔をするレイナの頭をよしよしと撫でるリカとサユミ。
「レイナ!」
「ち…ちがうっ! ちがうっちゃ!」
「でも、口の中の顔、どー見てもタナカちゃんだし」
マコトが指差すと、ネコがむーっと体を丸める。
後ろの方ではくっくっくっ…と相変わらず笑い声を押し殺すミキの声と、一緒になってこらえながらミキをなだめるリカの声が聞こえる。
「でも、かわいい」
えへっとマコトが笑ったら、ネコは照れくさそうに頭をかいて、
「なら…よか。にゃぁ、マコっちゃん」
「うん? なぁに?」
「まだトモダチおるとよ。おーい!」
「はーい!」
「あっそびっましょっ!」
ひょこっと現れたのはサンドカラーと遠目には黒っぽく見えるオリーブカーキの2匹のウサギ。
『私、うさちゃんがいい!』
『あたしもー!』
『サユはともかく、リカちゃんはもーウサギってゆーんでもないんじゃない?』
『じゃあ、何がいいの? ミキちゃん』
『えー…。うーん…なんだろ』
『ネコ、ダメですか? イシカーさん』
レイナがきらきらした目でリカに向かってちょこっと首を傾げて見上げる。
ムッとミキが微かに眉を顰めた。
『あぁ、やっぱいいんじゃない。ウサギで。ほら、リカちゃんそればっか描くし』
『そうねぇ。ネコも捨てがたいけど、サユとリカは雰囲気も似てるしね』
とカオリが後押しして、にやりとレイナに向かって笑うミキ。むっと睨み返すレイナ。
そんな二人をよそに大喜びでうさちゃんピースをするリカとサユミ。
ちょっと耳の長い黒ウサギが、
「マコト、まだお熱下がらない?」
甘ったるい声で心配そうに尋ねてちょこんと首を傾げる。
「さびしくってもぉ、うさちゃんたち、みんなそばにいるよ?」
白ウサギがよしよしって黒うさぎの頭を撫でると、2匹はきゅっと肩を寄せ合ってマコトに向かって大きくうなずく。
「だから、元気出して?」
「ね。マコト。ほらぁ、何泣きそうな顔してるのぉ?」
黒ウサギがへにゃっと口をへの字にして目の端を拭うマコトの頭を撫でようと、ふにふにと手を振る。
「そうだぞー。泣いてんじゃねぇ」
がーっと黒ウサギの隣から現れたオオカミが両手を大きく広げて怒ったような仕草を見せた。
「だ…だって…フジモトさん…」
「…」
ピタッと固まったオオカミ。
ネコがくすくすっとおなかを押さえて笑っている。
『ミキティはオオカミ』
『えー…。まぁ、そーくるとは思ってたけどね。もー少しかわいいのがいいかなぁ、なんて』
『なんて』と言ったリカと顔を見合わせて笑うと、すぐさまノゾミが一言。
『トラ』
『ええっと…。ツジちゃん。それってかわいい?』
『かわいいじゃん。シマシマが。んーじゃなきゃぁ…ライオンとか?』
『っていうかミキ、あくまでも肉食獣なんだ』
『だってミキティ、肉大好きじゃん』
『たしかにねぇ、ミキちゃん…肉食だもんね』
リカにまでそう言われると、もう反論しようもない。
そこに、
『ふふっ。もうウサギ一匹、食べちゃってるしね』
とカオリが微笑んで、真っ赤になるリカとミキ。きょとんとしているノゾミとサユミ。少し唇を尖らせたレイナ。
ミキはそのウサギに時々食べられてるんですけど…とは、言えなかった。
「あー。まぁ、とにかく、ほら。ね? だって…じゃなくってさ。てーか、泣くな!」
「だって…そんなこと言ってもさぁ」
ぐすぐすと鼻をすすっているのはもはや風邪のせいだけでもないようで、目尻を拭って困ったように笑って見せる。
「こーら。オオカミさん。あんまり困らせちゃダメよ」
オオカミの上から現れたのはキツネのぬいぐるみ。
「うれしいんだもん。ねぇ」
『じゃあ、次はカオたん?』
『イイダさん…うーん。なんだろう』
サユミが首を傾げる。ノゾミはその横でぽつりと呟いた。
『ロボ』
『…』
しんと静まり返って、それは沈黙という名の同意。
カオリは鉛よりも重いため息を吐くと、みんなに背を向けて膝を抱えてイスに座った。
『…カオも…動物さんがいい…』
呟きにようやくはっとリカが我に返った。
『あぁ! かっ…カオたん! ね、こっち向いて? ごめんね? もぉ! のの!』
『え…あ、だって…それしか浮かばなくって…あぁ、ごめんね? カオリ!』
『あー、えっとぉ、どうしよ!』
それから10分後。
『カオたん、スラッとしてるからキツネってどうかな?』
『スレンダーでなんか奇麗な感じだよね』
なるほど、とミキがうなずく。
『でしょ? それに、お話に出てくる銀色のキツネって、かっこいい感じもするし』
「いつもマコトがみんなを元気にしてくれるから、今度はみんながマコトが元気になるようにって、ね?」
キツネが下にいる仲間達に『ね』とうなずきかけると、みんなもこっくりとうなずき返す。
「だから、ほら」
キツネのぬいぐるみを手にカオリは部屋に入ると、廊下に向かってキツネの手を使って招くように振った。
「ほーら。また泣くー」
「マコト、泣かないの。笑って」
オオカミをだっこするミキ。黒ウサギの手を小さく振るリカ。
「オガーさん。ほらっ」
「まこっちゃん! えいっ!」
サユミとレイナはぱたぱたとベッドに駆け寄ると、マコトのほっぺに白ウサギとネコを押し付けるように抱きついた。
「わぁっ! おーもいってぇ!」
ちょっと泣き笑いだけど、明るい笑い声にカオリ、リカ、ミキから零れた微笑。
ノゾミがつんつんとリカの足を突くと、リカがミキの手を引っ張ってまた部屋を出て行く。
カオリはそれを見ると、ベッドの傍らにしゃがみ、まだくっついてきゃあきゃあと騒ぐマコトとレイナ、サユミの頭を撫でた。
「マコト、あっち見てごらん。まだお友達、いるから」
「へ?」
マコトがポカンと口を開ける。
サユミとレイナは顔を見合ってくすっと笑うと、廊下に向かって声をかけた。
「おーい!」
「みんなー!」
「はーいっ!」
ノゾミの声とともに入ってきた仲間たち。
「あっ!」
リスにパンダ。そして、サル。
ノゾミ、リカ、ミキに抱かれた3つのぬいぐるみ。
「あの…これ…!?」
「へへへっ。だから、お友達」
ノゾミがサルのぬいぐるみをマコトに渡すと、リカとミキもリスとパンダをマコトの膝の上にそっと置いた。
マコトはサルのぬいぐるみをじっと見つめた。
シンプルな線で刺繍された顔は、けっこうよく雰囲気が出ている。
「アイちゃん…」
カーキ色のジャケットを使ったぬいぐるみ。口の中から覗く顔はにかっと笑っている。
パンダは黒っぽく見えるオリーブカーキとカーキの二つの生地から。刺繍された顔はちょっとばかりシニカルだけど、まん丸な顔と軍支給の薄手のマフラーで作ったほっぺのピンクが愛らしい。
「こんこんだぁ」
きゅっと抱きしめると、くるっと巻いたしっぽがかわいいカーキ色のリスを抱き上げた。
「ははっ。ガキさんガキさん!」
ぎゅうっと抱きしめると、もう一度サルのぬいぐるみを手にしてじいっと見つめた。
にかっと笑ってるサルのぬいぐるみ。
マコトは顔をうずめるように抱きしめて、へへへへっと笑った。
「アイちゃんだぁ。へへへへっ」
サルのぬいぐるみがちょっと照れくさそうに笑って見えるのは、はたして気のせいなんだろうか。
カオリはそんなマコトの頭をそっと撫でると、ノゾミにうなずいて見せた。
「ほら。マコト」
「え?」
顔を上げたマコトの前でほんわかと笑っている耳の垂れたイヌのぬいぐるみ。
「これ…」
受け取って、ちょっとへたれな笑顔の刺繍のぬいぐるみを見つめる。
「やっぱさぁ、4人じゃん。いつも」
「…あぁっ!」
たぶん、これは自分なんだろう。
…かわいい…。
「ぁ…ありがと」
ぐずっと鼻をすすって、ぎゅうっと4つのぬいぐるみを抱きしめた。
ポンポンとあやすように背中を叩くカオリ。
よかったねぇ…と、リカとミキが顔を見合って笑う。
レイナとサユミがノゾミと一緒にぐすぐすと泣き始めたマコトの頭をやさしくやさしく撫でる。
『ねぇ、カオリ』
『ん?』
『あさって…いつもどおりなんだよね?』
出撃の予定は変わらない。
マコトがいなくても隊は戦場に赴く。
そうなるとここにはマコト一人。
たぶんダメって言っても知ったら彼女は来るだろう。
でも向こうはこっちよりもスクランブル出動率も高い。
だからさくらの方からだれかに来てもらうわけにもいかないし…。
『うーん…』
カオリが視線をテーブルに落して口元に手を置いてなにやら考え始める。
息を呑んで見守るノゾミ、リカ、ミキ、レイナ、サユミ。
ポン。
カオリが手を叩いて、5人がぐぐっと身を乗り出す。
『そうだ。お人形さん、作ろっか?』
「これでさ、さびしくないでしょ?」
「…ぅん。たぶん」
マコトは涙に濡れた目を腕で擦りながら顔を上げた。
「なんだよぉ。たぶん…って」
「だって、みんな…行っちゃうじゃん」
「…」
ノゾミがふ…とやるせなさそうに唇を噛んで目を逸らす。
マコトはそんなノゾミにちょっと申し訳なそうに眉毛を下げて笑った。
「ごめん。ごめんね。のんつぁん。でも…大丈夫。大丈夫だから」
「マコト…」
「ありがと」
「…うん」
ちょっと照れくさそうに小さくうなずくノゾミ。
マコトはうれしそうにぬいぐるみを抱えると、
「でも…これ、大変だったじゃ…」
「んー。まぁねぇ」
ノゾミがタヌキの手をうりゃうりゃと動かしておどける。
リカとミキは街まで綿を調達に。
レイナとサユミとノゾミは倉庫で古着や着れなくなったボロを探しに。
カオリはささっとデザインを書くと、今度は事務室から方眼紙を何枚か持ってきて型紙作りに悪戦苦闘。
『あっ! これどこぉ!』
『しまった! ヘンなトコ切ってた!』
『えー! このミシンどうやるのぉ!』
『イタッ!』
『あぁーっ! 布が足らんっちゃ! レイナ探してくるっ!』
『ちょっとぉ! これの片側どーこー!』
ある意味、それはまさしく戦場で、なんだかんだと11個。
型紙さえ作れれば、縫っていくのはキチンと分類しておけばなんとかなるもの。
仮縫いを済ませたら、
ダダダダダタ…。
倉庫に響くミシンの音。
それでも兵舎の中にあった二つじゃ足りないから、他の兵舎のミシンを借りて…。
カオリはその間を縫って夕飯作りに。
出来上がる頃には夕日も沈んで、ゆっくりと空が藍色に染まり始めていた。
「でも、思ったより早くできたよね」
とリカが言うと、ミキもうんうんとうなずいた。
「ね。なんとかなっちゃったよね」
「めっちゃ楽しかったっちゃ!」
「うんっ! すっごくかわいくできたもん!」
とレイナとサユミ。
「それだけ、みんな気持ちが籠もってた。一つになってたって証拠だよ」
カオリはそう言うと、
「乙女隊に、不可能という文字はありませんから」
と、一人一人の顔を見回した。
そんな隊長に力強くうなずき返す隊員達。
それぞれの手の中いる森の仲間たちも力強く笑っている。
ちょっと不恰好だけど、それはどれもとても愛嬌が合って素敵な表情で、心がふわっと温かくなる。
マコトは腕の中の仲間たちを見つめると、ゆっくりと顔を上げて一人一人を見つめた。
ノゾミがもらい泣きしてるのか、指を押し付けるように目頭を拭っている。
隣を見ればレイナの瞳も潤んでいた。
じわっとあふれ出して頬を伝っていく涙。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…」
ぐっと布団を握り締めてうつむくマコト。
「あたし…こんなときに……」
厳しくなる戦況。
一人抜ければ、どれだけ負担が圧し掛かるのか…。
悔しい。
「ごめ…なさい……っ…」
自分がいたって、全員が生きて帰って来れるとは限らない。
だからといって、じゃあ、いなければいいのかというものではない。
そんなことわかってる。
わかってるから、悔しい。
そして同じ辛さ、苦しさを分かち合えないもどかしさ。
思うほど悔しさとふがいなさがこみ上げる。
一人少ない。
その負担のせいで、もし…誰かが……。
「…っく…ごめん……なさ…っ……ぃ」
「マコト」
カオリはふわりとマコトを包み込んで頭を抱き寄せた。
「大丈夫だから。乙女隊はね。無敵だから。でしょ?」
はぃ…と涙で声を詰まらせながら答えると、
「うん。だからね、泣かないの」
カオリはゆっくりと背中をさすって、こつんと額をあわせた。
「マコトが笑ってくれると、みんな元気が出るから」
「…はぃ」
「だから、今はゆっくり休みなさい。病気の時はね、うんと甘えていいんだよ」
「イイダさん…」
「ね?」
カオリの包むようなあったかい微笑に小さくこくりとうなずくマコト。
カオリはキツネのぬいぐるみをマコトの隣に置いた。
「みんな…そばにいるから。ね」
「そうだよ。マコトの笑顔、だいすきだよ」
リカが黒ウサギをキツネの隣に置くと、ミキはその横にオオカミを置いた。
「そうそう。元気出るからね」
「まこっちゃんの分もがんばるっちゃ」
リカに寄りかかるようにネコを置くレイナ。
サユミは白ウサギをネコの横に置いた。
「だから、ゆっくり休んで、早くよくなって」
森の仲間たちも涙でくしゃくしゃなマコトにやさしく微笑んでいる。
マコトは愛しそうに一匹一匹の頭をなでると、えへっと笑った。
「ありがとう」
笑顔のその一言だけで、もう十分。
当日は、自分達がちょっと頑張れば済むこと。
だって、戦うのは一人じゃない。
ここでたった一人で待つマコトと比べれば、苦しさはまだ分け合える。
待つということの辛さほど、たぶん苦しいものはないだろう。
「さぁ、ご飯にしようか」
カオリがそう言うと、ノゾミが思い出したようにおなかを押さえた。
「あぁ…そういえば腹減った…」
そしてどっと部屋中が明るい笑いに包まれる。
その日、マコトの夕飯はかぼちゃの牛乳粥。
牛乳のほんのりとした甘さにかぼちゃのやわらかい甘さが妙に引き立つ。
ちょっとお菓子のような不思議な味。
「あは。おいしぃ〜!」
なんか、明日にでも熱が下がって治るんじゃないかって、そんな気がした。
■ ■
ゆっくりと目を覚ましたら、窓の向こうはすっきりしない曇り空。
ミキは少し鼻をすすって、ごろりと横に転がった。
セミダブルのベッドに一人だとやけに広く感じる。
けだるい重さとすっきりとしない頭。
熱っぽいのに包まった布団の中でも少し寒く感じる。
「っ…くしゅ!」
昨日から熱を出して今日も仕事はおやすみ。
うつすとよくないから…と、リカはリビングで寝ている。
だからなんだか物足りない。
時計を見たらそろそろリカの出かける時間だ。
『あたしも休もうか?』
昨日からずっとそう言うリカに大丈夫だから…とは、言ったものの…。
「はぁ…」
零れ落ちたため息。
どたどたと近づいてくる足音に、ミキは慌ててドアに背を向けた。
「ミキちゃん」
「んー」
「どう?」
ベッドの前に座ってミキと目の高さをあわせると、リカはミキの額に手を置いた。
ひんやりと冷たいリカの手のひらに気持ちよさそうにミキが目を閉じる。
「うーん…。まだ熱いね」
「…うん。ちょっと寒いし…体重い」
「…そっか」
そっとリカが額から手を離すと、ちょっと名残惜しそうに目で追うミキ。
「ねぇ、ほんとに大丈夫?」
「うん。大丈夫だから…」
離れた手を捕まえて、なんとなく揉んでいじるように握り締める。
リカは包むようにもう片方の手を添えた。
ミキはその手に頬を寄せると、心配そうに見つめるリカを覗き込むように上目でちらりと見上げた。
「なんかさぁ…懐かしい夢見た」
「夢?」
「うん。ぬいぐるみ」
「あぁ…。ふふっ。懐かしいね」
結局、軍特製の薬もしぶとい流行病の風邪は難敵で、当日になっても熱は下がらなかった。
マコトは布団の中でぎゅぅっと仲間たち抱きしめていた。
無事に帰ってきますように…。
ただひたすらに思いを込めて。
帰ってきたポンコツトラックの音で飛び起きて、足音が階段を上がりきったときにはもう涙で顔はぐしゃぐしゃだった。
ドアが開いて、
『おがえ゛りーーっ!』
うわーんって泣いて……。
みんなに代わる代わる抱きしめられて、撫でられて…。
それから3日後。
マコトの熱は無事に下がり、乙女隊に広がる元気な笑い声と騒々しい足音。
帰ってきた騒がしい日常。
「大事にしてくれてるみたいだしね」
おととい届いた手紙の中に入っていた写真には、ベッドに並んだ森の仲間たちに囲まれて幸せそうなマコト。
「うん。でもさ、たしか何匹かはさくらに行ったんだよね」
「そうそう。ネコとイヌと白ウサギ」
アイとエリ宛に届いたマコトからの小包。
アイにはイヌの、そしてエリにはネコと白ウサギ。
『カメちゃん、向こうじゃ一人だから』
一人じゃないけど、一人だから。
自分はこっちに同期がいないけど、ね? カメちゃんはそうでしょ…って笑ったマコト。
『へへ。自分の代わりに…そばにいてほしいなぁ…って』
アイちゃん、あれでけっこうさびしがりやだから。
サルのぬいぐるみを抱きしめて、顔をほんのりと赤く染めて笑うマコト。
アサミとリサには4匹と一緒に撮った写真。
それから更に数日後。
マコトの元に着いた手紙はどれもうれしさで字が躍っていた。
「そういえば…その後、結局全員作ったんだよね」
リカはそう言って、自分の手を撫でたり揉んだりして遊ぶミキに愛しげに目を細めた。
「うん。なんだかこれじゃさびしいからって。よっちゃんさんがクマで、ヤグチさんがパグ。で、アベさんもタヌキだっけ?」
「そう。たしか。カメちゃんとあいぼんがネコ」
「うん。そうそう。ははっ。懐かしいよね」
「ねぇ。ちょうど今くらいの頃だよね」
リカの手がミキの髪をいじる。
穏やかに過ぎていく冬の朝。
ちらりと時計を見たら、もう出かける時間が迫っていた。
だけど手を放す気配のないミキ。
リカはそっと鼻先にキスをすると、ミキの手を解いて立ち上がった。
「あぁ、ごめん」
「うぅん」
「…いってらっしゃい」
「うん」
安心させるようにふんわりと微笑むと、リカは寝室を出て行った。
遠くなる足音。
ミキは小さくため息をこぼすと、ごろりとドアに背を向けて丸くなった。
あーぁ…。
気持ちがなんだか青く沈んでいく。
退屈で、でもだからって何もできることがなくて、はがゆくて…。
熱のせいでだるいのになんとなく落ち着かない。
それでもゆるゆると落ちていくまぶた。
たぶん、あの日のマコトもこんなだったんだろう。
ミキはまた一つため息をついて目を閉じた。
キィ。
ドアが開く。
足音が近づいて、ベッドの隣に座ったらしい。
ほどなくして、そっと髪に触れた指先。
梳くように撫でられて、ミキはその指先を捕まえると体を転がして振り向いた。
「リカちゃん…仕事は?」
「ん? 休んじゃった」
「ぇ…」
「ユイちゃん、おだいじにって。治ったら焼肉ランチサービスしてくださいねーって。あとエリカちゃんが早くよくなってくださいね、だって」
「…ぅん。でも…」
どうして?
「だって、心配なんだもん」
ずっと手、離そうとしないし、なんか…さびしそうだから。
「この方があたしも安心できるし」
「…」
どう言っていいのか戸惑うミキの赤い頬にリカの冷たい手が添えられる。
「ごめんね…リカちゃん」
言葉の代わりにふわりと重なった唇。
「風邪、うつるよ」
「いいよ」
そしたら、しばらく一緒にいれるよね。
いたずらっぽく笑って見せるリカにミキはむっと頬を膨らませた。
「何言ってんの…もぉ」
心配させないでよ。
ミキはリカの首を抱き寄せると、唇を奪ってそのまま抱きしめた。
「…ありがと」
「うん…」
リカは頬にキスをすると、少しだけ体を起こした。
「ねぇ、ミキちゃん。病気の時は、うんと…甘えていいんだよ」
「…そう。そうだったよね」
ミキの腕が少しだけ離れたリカを抱き寄せようとするから、リカはベッドに入って熱ったミキを抱きしめると、また梳くように髪を撫ではじめた。
「リカちゃん」
「ん? なぁに?」
「かぼちゃと牛乳のおかゆ…食べたい」
「うん。わかった」
カオたんからレシピももらってるし、後で準備しないとね。
リカはちらりと時計を見てまだ時間に余裕があるのを確認すると、ミキをよいしょと抱きなおした。
しばらくしてリカの耳に聞こえてきた穏やかな呼吸。
しっかりと抱きしめていた手からわずかに力が抜ける。
白い光が照らす静かな部屋。
時間がいつもよりゆっくりと進んでいくのを感じながら、リカは夢の中へと遊びに行ったミキの額に口付けて目を閉じた。
(2005/3/12)
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