並木道

 イチョウの葉がさらさらと秋風に揺れて、並木道は風の歌に包まれる。
 見上げれば、高い空の青に鮮やかな黄金色。

 吸い込まれるよう空へと伸びるイチョウの木。
 黄金色の道。
 さらさらと風に吹かれて並んで歌う秋の歌は、どこかさびしくもあり、悲しくもあり…。

 リカはそっと、ミキの手を取った。


■                       ■


 ターン。
 ターン。

 遠くで銃声が鳴り響く。

 コッ、コッと軍用ブーツの硬質ゴムがひそやかに錆びたスチールを叩く。
 息を潜めて上がる階段。
 狭いビルとビルの間をひゅうと吹き上げる風がヘルメットからわずかに出た後ろ髪を舞い上げ、不気味な唸りを耳に残して去っていく。

 数階上ったところでそっとドアを開けてビルの中に入ると、リカは静まり返った薄暗い空間に耳を澄まし、目を光らせる。

 …。
 …。

 廊下をゆっくりと進んでいく。
 タイプを打つ音が今にも聞こえそうなオフィスビル。
 時間が止まったまま、ペンもタイプライターもデスクもイスも窓から差す光の中にひっそりと佇んでいる。

 一つ一つ部屋のドアを開けていく。

 …。

 ハンドガンの照準の向こうでカーテンが揺れてはためいていた。
「…」
 また一つ部屋を通り過ぎる。

 ドクン…。

 心臓が鳴る。

「……」

 声に出さずにゆっくりと細く息を吐き出す。

 …。
 …。

 リカの神経に触れるものは張り詰めた空気とかぜと自分の鼓動だけ。
 辺りをもう一度見回すと、一つの部屋に入って窓際に腰を下ろした。
 ハンドガンをガンケースにしまうと、ストラップを肩から外してライフルに持ち替える。

 ふと、窓の向こうの公園が目に入って、薄い雲が広がる淡く白い空に秋色に染まった木々の紅や黄色が眩しいくらいに鮮やかに思えた。

「…」

 タタタタタタッ!

 マシンガンの銃声が軽やかに空へと駆け上る。

 わずかに壁から半身をずらして窓の外をうかがうと、道路の端と端で撃ち合いが始まっている。
 建物の角から応戦するミキとレイナ。
 ライフルを構えると、スコープで飛び交う弾丸の流れを確認しながらすぅっと銃口を動かす。

「…」

 スコープに映った人影。

 タタタタタッ!
 タタッ!
 タタタタタッ!

 流れるようにマガジンから飛び出す弾丸。
 歯を食いしばって振動を受け止める男の顔から少しだけ照準を下げる。  引き金にかける人差し指に満ちる緊張感。

 ターン…。

 砲弾の音にまぎれた銃声。
 ミキとレイナに向かっていた弾丸の雨が止んだ。
 あっという顔をして崩れ落ちた男。
 ふと振りかえってミキは空を見上げた。
「…」
 そして前を見る。

 マシンガンを手にしたまま息絶えた男。
 体を囲むようにゆっくりと広がる赤がオフベージュの薄手のセーターを染め上げていく。

 その様子をじっと見つめるレイナ。
 ミキは突き飛ばすように肩を叩いた。

「行くよっ」
「あっ…はいっ!」

 レイナがびくっと体を震わせて、いそいそとサブマシンガンを構え直して身を低くする。
 ミキが辺りを見回して後方に構えるサユミとマコトの位置を確認すると、今度は前を向いてT字路の角にある建物の影で身を潜めるノゾミの姿を確認する。

 タタタタタタッ!

 パラララッ!
 パララッ! パラララララッ!

 銃声が追い立てる。
 ミキはレイナを先に行かせると、新たに現れた敵に向かってサブマシンガンを構えた。

 タタタッ!

 威嚇するように足元に弾丸を撃ち込むと、パチッパチッとアスファルトから火花が生まれる。
 ミキはその間にビルの角から一つ先のビルの入り口に飛び込むと、少しを身を乗り出してサブマシンガンを構えた。

 2人の男の姿。

 タタタタタタタタッ!

 サブマシンガンの銃口が閃いて、一人がああっとうめいて胸や足から血を吹いて倒れた。

「…」

 パラララッ!

 その直後、もう一人もマコトのアサルトライフルの銃弾を全身に受けて崩れた。

 少し後ろの方から戦車の砲弾がアスファルトを弾く音が聞こえる。
 かすかに揺れる足元。
 伝ってびりびりと体に響いて、息が苦しい。
 ギリッとロリポップの棒を奥歯で強く噛み締める。

 街路樹や車を盾にして縫うように低い姿勢のまま走る。
 汗が頬を幾筋も滑り落ちる。
 サバイバルジャケットの袖で拭い去ると、レイナとノゾミが待つビルの影へと滑り込んだ。

「無事ついたみたい」
 マコトはふぅ…と息を吐き出すと、きょろきょろと辺りを見回した。
 自分がいる郵便局の隣のビルにはリカ。そして…。

「うわっ!」

 ひゅんっと弾丸が目の前を突っ切っていった。
 ぱっとドアの影に身を隠すと、
「オガーさん、よそ見しちゃダメ!」
 同じように身を隠すサユミに怒られた。
「いゃっ…あぁ、そうゆーんじゃないんだけどぉ…」
「もぉ! ぼーっとしないでくださいっ!」
「はっ、はぃぃ」

 パタラララララッ!

 ボコボコと壁に穴が開く。
 ドアから離れてカウンターを飛び越えると、裏口から出て細いビルの間の道を中腰で進んでいく。
 前をサユミ。後ろをマコトが警戒する。
 ぐるりと回って道路の向こうを見ると、まだ郵便局の中をうかがっている様子のサブマシンガンを構えた青いパーカーの男がいた。
「民間人…?」
 呟いたマコトが痛々しげに眉をひそめる。
「…みたいですね」
 と呟いて、サユミはぎゅうっと唇を強く噛み締めた。

 とりたてて今は銃声は聞こえない。

 サユミが少しだけ身を乗り出して目の前の通りの先を確認する。
「無事みたいですね。フジモトさんにレイナとツジさん」
「うん」

 ドーン…。

 戦車からの砲弾が足元から二人の体をゆする。

 サユミはアサルトライフルを構えると、男に照準を合わせた。
 マコトはサユミの背後を警戒してアサルトライフルを構える。

 ゆっくりと息を吐き出して、ためらう指先にきゅっと力を込めるサユミ。

 男が郵便局を伺うのをやめ、歩き出す。

「待って」
「え?」

 サユミが振り向くと、すばやく体を向き直したマコトが男に銃口を向けて引き金を引いた。

 トトトトッ!

 パチパチパチッと銃口が橙色の火花を噴く。

 二人の目の前で男は弾かれたように体を躍らせると、ぱたりと崩れ落ちた。

「オガーさん…?」
「うん。行こう」

 マコトはすくっと立ち上がると、前にいる3人を援護すべくビルの陰から飛び出した。
「はい!」
 サユミもさっと立ち上がると、銃を構えて飛び出した。

 タタタンッ!

 タタタタッ!

 マコトとサユミを見つけた兵士が火花を閃かせた銃口を二人に向ける。
 ビルの陰に飛び込みながら、時々威嚇射撃をして交互にわずかな前進を試みる。

「あっ!」

 二人の様子を見ていたレイナが声を上げた。
 兵士はよろりと下がったかと思うと、どうっ…と音を立てて倒れた。

 ターン……。

 微かに聞こえる銃声。
「イーダさんっちゃ」
 レイナは隣のビルを見上げた。
 そんなに高い建物でもないのにひっそりと空に向かって聳えるような威圧感。
 その先に薄く広がる雲の白さが冷たく感じた。
 ふぅ…とゆっくり息を吐き出して銃を構え直すと、レイナは通りに目を戻した。
「マコトとシゲさんも来たみたいだね」
 ノゾミが後ろを見てカオリの潜むビルの陰に身を隠した二人をに軽く手を振る。
 返ってきたうさちゃんピース2つにノゾミもうさちゃんピースで返すと、銃を構え直した。

 ひゅうっと風が唸って木の葉を舞い上げ、血の臭いを運んでくる。

 小さな3つの後姿を認めると、カオリはそっと窓から離れてガランとした部屋を出た。

 薄汚れた白い壁。
 何もないガランとしたその部屋は静けさもそのままに、結局何一つ変わることはなかった。


       *


 見上げた空は白く煙っていて、青空はずいぶんと遠く感じた。
 やわらかい光は冷たくて、吹く風の音は乾いていた。

 一歩踏み出せば、しゃりっと落ち葉が泣いた。
 ざわざわと歌うイチョウ並木。

 しゃくっ、しゃくっと、一歩一歩、落ち葉を踏みしめ、黄金色に色づいた公園の並木道を進んでいく。
 軍用ブーツのゴツゴツとした足音。

 遠くに見えるどす黒い煙。
 ぐるりと見回したら、ほら。あそこにも、ここにも。
 白く薄く広がる雲に向かって揺らめきながら上っていく。

 はぁ…。

 リカから零れ落ちた重いため息。

 少しペンキの剥げた白いベンチに寄りかかるように事切れた男。
 引き金にかかったままの指先。
 どす黒く変色したジャージ。

 ゆっくりと並木道を歩いていく。
 ライフルの引き金に指をかけたまま、奪い取った街の、静かな公園を進む。

 うずくまるように転がる兵士の死体が一つ、二つ、そして三つ。
 その向こうにも銃を手にした若者や男が転がっている。

 銃を向けた来たものは、敵。
 撃て。
 ただ、それだけ。
 武装していれば民間人でも兵士。

 奪われた街を奪い返して、奪った街を奪われて。

 違うようで、でも本当は違いなんてない。

 私もあなたもただの人殺し。
 戦場という場の名を借りた、ただの人殺し。

 死んでしまえば、みな…同じ。
 守りたいものが何か、それが違うだけ。

 後ろから足音。
 聞き慣れた音ですぐに誰だかわかった。

「ミキちゃん」
「うん…」

 ミキはリカの隣に立つと、ゆっくりと気持ちを落ち着けるように息を吐き出して辺りを見回した。

 激しい抵抗を抑え付けた後に残った傷跡は、鮮やかな並木道のあちこちに転がる死体と立ち上る煙。
 公園から出れば砲弾で穴だらけの道路と屋根のないビル。

 薄いベールのような雲から射す白い光。
 太陽はまだそれほど低くないのに辺りの景色を薄青くくすませて、そこは自分の知っている世界なのかわからなくなるような錯覚。

 きっとこれは、たぶんユメなんだ。


■                            ■


 ミキはリカの手を握った。

 さらさらと歌うイチョウ並木。
 見上げたら高く澄んだ空。
 青く青く、どこまでも青くて、手を伸ばしたら吸い込まれそうな気がした。

 ぎゅっとリカが力を込める。
 だからミキも強く握り返した。

 少し冷たくなった風が二人の頬を撫で、髪を舞い上げておどけながら駆けていく。
 あちこちに恋人達の姿。
 楽しそうな笑顔。

「行こうか。ミキちゃん」
「うん」

 しゃり、しゃりと一歩踏むたびに歌う枯葉。
 レンガ道を並んで歩く。

 穏やかな午後。
 歩く速さにあわせて少しずつ変わる景色。

 ふと足を止めて、ミキはリカの唇を塞いだ。
 軽く触れて、すぐに離れて…。
 またさらさらとイチョウの木の葉が歌って、少し熱を感じた頬に秋の風はやさしかった。

 しゃりっ、しゃりっ…。
 そして再び歩き出す。

 二人を包み込むようにまっすぐと前に広がる金色の道。
 冬の色をまとい始めた風に、淡く金色に染まり始めた太陽の陽射しはやさしかった。


 

(2005/1/30)

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