手帳

 10時56分。
 前線に到着。
 ほどなくして、戦場に咲くバラ…通称乙女隊到着。

 部隊長が作戦の確認にいっている。
 僕はその間、これからともに戦う彼女達を見ている。

 トラックからあっという間に出てきて、誰も彼も厳しい顔つきで整列して隊長の指示を待っている。
 ちょうどレイコと同じくらいの女の子たち。

 もっとおしゃれもしたいだろうに…。
 だけど迷彩はよく似合ってて、銃を携えて背筋をピンと張って凛とした姿は男の僕がいうのもなんだけどカッコいい。
 そういえば、レイコは看護士を目指して勉強中だっけ。
 母さん。あいつもどっか男勝りで、そのくせおせっかいで…。たしか救護部隊に行きたいって言ってたよね。
 ここにいる僕が言うのもなんだけど、普通の看護士になるようにって、言ってね。母さん。

 今日は平原での戦闘。
 フェイスペイントを施した彼女達の緊張した顔。

 髪がキレイな隊長が戻ってくる。
 彼女が僕と同い年だと知ったのはつい最近だ。
 なんていうんだろう。すごく色っぽくって、とても僕と同い年には見えなかった。
 そんな大人びた彼女だけど、はにかむようなこどもっぽい笑顔が印象的で…。
 きっと僕なんかじゃ不釣合いだろう。でも、一度飲みに誘ってみたいな。
 いや、やっぱ…ありえないよな。

 それ以前に、生きて帰れるだろうか。
 生きて、帰れるんだろうか…。

 僕たちは……。

「おい!」
「あぁ。今行く」

 母さん。
 今日も戦闘が始まるよ。
 いってきます。


   *


 今日も今日とて、空は青くて…。
 見上げたら吸い込まれそうだ。

 ギラギラまぶしい太陽。
 戦闘服には弾薬を目一杯詰め込んで、顔には迷彩のペイント。
 手にしたアサルトライフルの重さ。焼けた銃身。
 グローブをした手がじとっと汗ばむ。
 ふぅとため息をついて、見上げていた空からこれから突き進む草っぱらを見た。

 ドーン。

 遠くに響く砲撃の音。
 かすかに震える地面。

 じりじりと姿勢を低くして敵軍との接触ポイントまで近づいていく。
 段々となくなっていく雑草。
 戦車や砲撃にさらされた草むらは荒地に変わり果てる。

 ドーン!

 ドーン!

 背後から砲弾が頭を飛び込えていく。
 伏せてじっと息を潜めて、一気に塹壕まで走って飛び込む。

『撃てっ!』
『おおおおっ!』

 ダダダダダタッ!

 体に響く振動。
 びりぴりと骨が震える。
 目の前で動くものすべてがターゲット。
 狙いを定めてひたすらひたすら、弾丸を打ち込む。

 ターン!

 あちこちで雄たけびを上げるマシンガンの後ろから微かな音。
 振り向けば20メートルほどのところに長くてきれいな髪を後ろで一つにまとめた美しいスナイパーの姿。
 まだ丈の長い草むらの中で長身の体を小さく小さく丸めて息を潜めている。

 タン!

 その5メートルほど横からまた一つ飛び出していった弾丸。
 ボルトハンドルを操作してじっと彼方を見据える小麦色の肌をしたもう一人のキレイなスナイパー。

 100メートル向こうあたりで兵士一人がくず折れて、300メートル先の戦車の上から一人が肩を押さえて中に消えた。

 彼が呟く。
『負けてられないよな…っ』
『あぁ…』
 女の子達が前線で体張っているんだ。
 頑張らないでどうする!

 一つ先の塹壕にはショートカットの元気のいいかっこいい女の子が、
『タナカァ! ぼさっとしてんじゃねぇっ!』
 鋭い檄を飛ばして、

 ダダダダダダダッ!

『おらおらおらぁっ!』
 マシンガンの引き金を引いている。

 ダダダダッ!
 ダダダタッ!

『うああああああっ!』
 実家で飼ってるネコのタマゾーによく似たかわいい顔の小柄な女の子が激に応える。
 塹壕からわずかに目だけを覗かせて、小さな小さな体に衝撃を受け止めている。

 タタタタッ!
 タタタッ!

 ターン!

 タタタタタタタタタッ!

 ドーン!

 タタタタッ!

 タン!

 パララララッ!
 パララララッ!

 ドーン!

『伏せろぉぉぉっ!』

 ひゅーんと甲高い音を引き連れて背筋を凍らせる死の気配。
 塹壕の中に伏せて壁に体をくっつけて頭を抱える。

『ああああっ!』
『んぐぁぁぁぁっ!』
『うわぁぁぁぁっ!』
『きゃあああっ!』

 ドドドドッと体が激しく揺れた。
 風が渦を巻いて舞い上がる。
 激しい動悸。バクバクいって上手く息が出ない。

 はっ…はっ…。

 甲高い悲鳴も聞こえた。
 パラパラと振ってくる土を浴びながら、銃を構え直して前を見る。
 真っ黒に日焼けした小さな子がしきりに前髪を気にしていじっているのを、
『のんつぁん! 前っ! 前っ!』
 隣にいたちょっとふっくらした子…たぶんレイコと同い年くらいの女の子が諫めている。
『わかってるってばぁ!』
 彼女はすぐに銃を構えた。

 威勢のいい声を聞いてほっとする。
 前を向いて、向かってくる敵兵の位置を確認した。

 タタタタタッ!
 パラララララッ!

 引き金を引けば薬莢が流れるように飛び出して足元に転がる。
 弾幕を張って仲間の前進を援護しながら、少しずつ前へ。前へ。

 巻き上がる土煙。
 前の塹壕に向かって飛びだす!

 タタタタタタタタタタッ!

 風が煙を払って、目の前で赤い火花が光っているのが見えた。

 シュッ!

 耳のすぐそばを何かが走りすぎた。
『…っ!』
 なんとか塹壕の中に飛び込んで、そこで頬にちりっとした痛みを感じた。
 指先についた血。

 ターン!

 真後ろからの銃声。
 目の前で瞬いていた火花がぱっと空に向かって、敵の兵士がどうと倒れた。
 振り向いたら、彼女が大きな目で静かに前を見据えてボルトハンドルを動かして薬莢を弾き出していた。
 少し離れたところにいた小麦色のスナイパーがニコッと見せたVサインに彼女がウインクを返す。

 ふっと目が合った。
 彼女は、小さく笑った。

 ひゅぅぅぅぅん…。

 きゅるきゅると気の抜けるような高い音が近づいてくる。
 また体を固定して塹壕の中でできるだけ体を小さくする。

 ドトドドドドド!

 揺れる。
 風が唸りをあげてまさに四方八方から吹き荒れて、土が舞い、味方の体が高く空に舞い上がる。
 ずれたヘルメットを押し上げて直すと、銃を構えた。
『くそっ! こっちの援護はねぇのかよ!』
 彼は苛立たしげに吐き捨てると、銃を構えた。

 タタタタタタッ!

『くそっ!』

 ダダダダダッ!

 当たってるのか当たってないのか。
 土煙の向こう、あちこちでパチパチと火花がきらめいている。

 カタカタカタカタ…。

 キャタピラが荒野を踏みにじって枯れた大地を燃やして昇った陽炎の中で揺れている。

 引き金を引け!

『ああああああっ!』

 ダダダダダッ!
 ダダダタッ!

 振動が体に響く。
 いくつもいくつも頬を滑っては落ちていく汗。
 誰かが前の方で倒れたような気がした。
『っしゃあ! やったな!』
 彼に思い切り背中を叩かれ、咳き込みながらもこぼれる笑顔。
 ごまかすように水筒を取って煽るようにのどに流し込んだ。

 目に飛び込んだ空の青。

 水筒をベルトに戻してマガジンを取り替える。
 耳をつんざく怒号。
 むかつくくらい小気味いいマシンガンの銃声。
 装甲車に踏みにじられて震える大地。

『ミチシゲッ! 伏せろっ!』
 元気のいいショートカットの女の子の怒鳴り声。
『はぁぃっ!』
 すぐに反応しておっとりとした女の子がぱっと塹壕に伏せる。
 直後、そのすぐ上をまっすぐな線が行く筋も走っていくのを見た気がした。
 女の子はすぐに塹壕から目だけ出して、かわいらしい彼女には無骨すぎるアサルトライフルを構えた。
『いけぇぇぇぇぇっ!』

 ダダダダダッ!

 そのあとをショートカットの女の子が続く。
『うぉぉぉぉぉぉっ!』

 弾丸は敵陣に向かって勇ましく消えていく。

 生暖かい風が頬を撫でていく。
 硝煙の臭い。
 そして血の臭い。
 事切れて旅立った仲間の血は焼け付く陽射しでもう乾いていた。

 びゅうと風が唸る。
 塹壕から目だけを出して銃を構え、照準の向こうをにらむ。
『…?!』
 目が合った?
 そんな錯覚。
 向こうの兵士の銃口が、わずかに動いてさまよっている。

『…あ!』

 何かが脳裏を掠めた。
 銃口がわずかに上がって、引き金を引きながらその動きにあわせて立ち上がった。

 ドンッ!

『おいっ!』

 あ…!?
 胸が……あつ…い…。

 …あ……。


       □


 みんみんとセミがやかましい。
 窓を全開にした食堂で扇風機ががんばってもちっとも涼しくはならなかった。

   10時56分。
   前線に到着。
   ほどなくして、戦場に咲くバラ…通称乙女隊到着。

   部隊長が作戦の確認にいっている。
   僕はその間、これからともに戦う彼女達を見ている。

   トラックからあっという間に出てきて、誰も彼も厳しい顔つきで整列して隊長の指示を待っている。
   ちょうどレイコと同じくらいの女の子たち。

   もっとおしゃれもしたいだろうに…。
   だけど迷彩はよく似合ってて、銃を携えて背筋をピンと張って凛とした姿は男の僕がいうのもなんだけどカッコいい。
   そういえば、レイコは看護士を目指して勉強中だっけ。
   母さん。あいつもどっか男勝りで、そのくせおせっかいで…。たしか救護部隊に行きたいって行ってたよね。
   ここにいる僕が言うのもなんだけど、普通の看護士になるようにって、言ってね。母さん。

                                                                        』

 カオリの手に強く握り締められた手帳。
 前に座っている兵士は何も言わずに窓の向こうを眺めている。

 前線の自軍のポイントで何度か見たことのある人だという記憶があった。
 素朴な感じで、やさしい笑顔の人で、おひさまみたいに笑うから、この人大丈夫なのかな…と。
 やさしい人ほど長生きしないって感じがするし。
 よくリカに、
『ほら。あの人いるね』
 って、ひじで突かれ、
『けっこういい感じの人ですよねぇ』
 と、ミキにもにやにやされながらうりうりとひじでつつかれた。 

   立ち上がったと同時に真後ろに倒れていくスローモーション。
   草むらから荒野に這い出てきたカオリは、片膝を着いた姿勢のまま固まった。
  『カオたんっ!』
   リカは飛び掛るようにかぶさると自分もろともカオリと塹壕の中に転がり込んだ。

   目の前で人が倒れた。
   そして、死んだ。
   事実はそれだけ。

   あの人がいた先に自分に銃を向けた兵士がいた。
   彼が倒れた。
   そして死んだ。
   その彼の後ろにいたカオリ。

   けれどとりあえず事実は一つ。
   目の前で兵士が一人、死んだ。
   たったそれだけ。

  『しっかりしてっ!』
   声が遠く感じた。
  『…ごめん。大丈夫…』
   戦場なんだから、目の前で人が死ぬなんて当たり前。
  『大丈夫だから…』
   言ってみたものの、ちっとも大丈夫じゃなかった。

 セミの鳴き声がやかましい。
 ぶーんと小さく唸る扇風機はのったりのったりと首を振って、カオリの髪をさらりと揺らす。

   今日は平原での戦闘。
   フェイスペイントを施した彼女達の緊張した顔。

   髪がキレイな隊長が戻ってくる。
   彼女が僕と同い年と知ったのはつい最近だ。
   なんていうんだろう。すごく色っぽくって、とても僕と同い年には見えなかった。
   そんな大人びた彼女だけど、はにかむようなこどもっぽい笑顔が印象的で…。
   きっと僕なんかじゃ不釣合いだろう。でも、一度飲みに誘ってみたいな。
   いや、やっぱりありえないよな。

                                                    』

 カオリは文字の上をそっと指でなぞった。
 兵士は何も言わずに青い青い空を眺めている。

 ノゾミとマコトとレイナのはしゃぐ声。
 笑い声にまぎれて射撃場の方から微かに銃声が聞こえた。

 兵士は青い空を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「あいつは、よかったと思ってますよ」
「…死んだのに?」
 兵士はうなずいた。

 最期のときも穏やかな顔だった。
 空を見上げて、微笑んでいるようにさえ映った。
 守ってあげられた…と、思っているのだろうか。

 ぎゅぅと握り締めて、手帳が歪む。
 パタパタと手の上に一滴、二滴…。
「死んじゃったら…意味ないです」

 それはたぶん、自己満足に過ぎない。
 守ってもらったのか、守ったのか、それすらはっきりしないのに。

 兵士はぽろぽろと涙をこぼすカオリの瞳をまっすぐに見つめた。
「生き残ってください。最後まで」

  僕たちは、なぜここで戦っているんだろう。
  もちろん、志願してきたわけだから、なぜなんてないはずなんだ。

  国のため、誰かのため。
  上手くはわからないけど、ここに僕たちが求めていた何かがあるのだろうか?
  時々わからなくなる。
  誰かが死ぬことが当たり前になる。
  誰かを殺すことも当たり前になる。

  それでも僕はここにいる。

  母さん。レイコ。
  僕は今日も戦場に立ちます。

  生きて帰ってきた時、僕はこの戦争の意味を考えることができるだろうか?
  憎しみも悲しみも、どこか遠くへ行ってしまったような気がする。
  なにもかもが麻痺していくような…。
  怖いです。

  せめて戦場で死ぬのなら、誰か守って死んでいきたい。

                                                  』

 日付は戦闘があった2日前。
 カオリは手帳を閉じると、兵士に返した。


     *


 見上げた空は今日も青かった。
 雲ひとつなく地平線の彼方まですっきりと広がって、なのに切なくなるのは何でだろう。

 ばか…。

 太陽を浮かべた青い空。
 のんびりのんびりと過ぎていく午後。

 深く頭を下げて、兵士は手帳を胸にしまって帰った。
 迷った末に彼はカオリに所に赴いて手帳を見せた。
 それがよかったのか悪かったのか、今はわからない。

 結局どれもこれも自己満足。
 だけど、それが間違っているとは誰も言えない。たぶん…。

 そっと指で涙をぬぐって、頭を激しく一つ振ってまた空を見上げた。

 たとえば自分が死ぬとしたら…。
 自分だっていつこの空に帰るのかわからない。
 生き残る保証だって何もない。

 日陰を通ってきた風がふいに気持ちよかった。
 ふわりと舞い上がる髪を押さえるようにかきあげる。

 もうこれ以上…誰かをそっちに連れてかないで。

 さらさらと木の葉が歌って、くるりと輪を描くとんびの影がカオリの上に落ちる。
 静かな午後は緩やかに過ぎていくのだった。             
    


 

(2004/8/12)

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