目が覚めたらベッドに一人。
シングルベッドに一人はなんらおかしいことはないのだけれど、ミキは隣にいたはずの彼女がいないことに気づいてむくっと起き上がると、にらむように目を細めて太陽の光をがんばって遮るカーテンに目を向けた。
どうやら今日もよく晴れているらしい。
ちゅんちゅっんとすずめたちが歌うさわやかな朝。
パタパタと足音がする。
裸の肩に直接当たる空気に少しだけ身震い。
ミキはとりあえずベッドの下からパジャマの上着を拾い上げて腕を通すと、ボタンを二つだけ留めて ベッドから抜け出した。
足にまとわり付く空気がなんとなくまだ冷たく感じる。
ドアを開けると、玄関にリカの後姿。
「仕事?」
「うん」
靴紐を締めて、『らびっと運輸』のロゴが入ったライムグリーンのストライプのユニフォーム姿のリカがデイパックを手にして立ち上がる。
「おはよ。ミキちゃん」
「おはよ」
ミキはペタンペタンととりあえず玄関先に立った。
「起してくれればよかったのに」
「でも、ミキちゃん今日お休みでしょ? なんか…よく寝てたから」
「まぁねぇ。誰かさんのおかげでね」
「こら」
ぺしっと手にしたキャップで腕を叩かれて、ふふっと思わずミキから零れる笑み。
リカはシンプルな走るウサギのワッペンの付いたキャップをちょっと深くかぶった。
「朝ごはん、作ってあるから」
「ん。遅くなる?」
「ううん。たぶん大丈夫」
「ん。わかった」
ミキはキャップのつばに手を掛けてくるりと逆向きにかぶせると、リカの唇を塞いだ。
「いってらっしゃい」
「うん。いってきます」
なんだかんだとまだ起ききっていないような顔でふわっと笑って、リカは玄関のドアを開けて朝の光の中へと消えていく。
なんとなく頭をかきながらその背中を見送ると、手近に合ったサンダルを突っかけて閉まりかかったドアにもたれかかって顔を出した。
赤いミニのドアを開け、乗り込む前にドアとルーフの境辺りに軽く口付ける。
それを見つめるミキから零れたあいまいなため息。
パタン。
運転席のドアが閉まって、ミニがぶんと唸って小さく震えた。
パァン!
クラクションが一つ。
ゆっくりと動き出したミニはすーっと車道へと流れていった。
ドアを閉めると、やけに静かだった。
ミキはキッチンに向かうと、テーブルの上でぽつんと待っていたおにぎりを手にした。
「今日のお昼…か」
流しには炊飯器の釜としゃもじ。
あっという間に平らげると、とりあえずシャワーでも浴びようかと浴室に向かう。
「…」
引っ掛ける程度に着ていたパジャマの上着を脱ぎ捨てる。
鏡に映るどこか不機嫌そうな、だけど泣き出しそうな自分。
鎖骨のあたりの赤いしるしに、そっと指先で触れた。
■ ■
ガタンガタン!
荒野を行くポンコツトラックが小石に乗り上げてがたがたと揺れる。
小康状態の前線を少しだけ切り開いて後継の部隊へと引き渡した隊員たち。
最前線を離れても前線には変わらない。
ベースキャンプに戻るまでが戦闘です。
道なき道を走るここはまだ、なんとなく自軍よりだが敵の陣営かもしれないグレーゾーン。
黙ってハンドルを握るリカ。
その隣でぐてっと座席にもたれかかってダッシュボードに足を乗せ、ロリポップの白い棒をふらふらと動かしながらぼんやりと外を眺めるミキ。
後ろでは興奮状態から抜けきらないマコトがずーっとしゃべり通しで、放心状態のノゾミがうなずきもせずに腕にひしっと抱きついている。
そんなノゾミの頭をなでながら、カオリがマコトに相槌を打つ。
カオリの腕の中には、とにかくトラックに戻ってきたことで緊張が解けて震えが止まらないレイナと、そんなレイナの手を強く握ってぼんやりとまどろむサユミ。
最前線のポイントから野戦病院と臨時キャンプ経由、ベースキャンプ。
安全圏までの道のりは20分。少しずつ遠くなっているベースキャンプまでの道のり。
『あんたが気を抜いたらみんな死ぬぐらいでいなさいよ』
運転を教えてそれを引き継がせたケイの口癖。
『帰るまでが戦闘よ』
所詮殺し合い。
ルールなんてあるのかないのか。
それが戦争。
現場行ってみぃ。決まりごとなんてなんちゃってルールやねん。と、かつて隊をまとめた青い目のリーダーはそうはき捨てた。
何があるかは、わからない。
その日、リカは朝からなんとなく嫌な感じがした。
ハンドルを握った瞬間なぜかぴりぴりと震えて、相棒が何かを教えてくれたような気がした。
注意深くミラーを確認しながら、速度をできるだけ上げていく。
ミキはちらりと横目でぐっと口を結んでハンドルを操るリカを眺めていた。
カラダにへばりついた自動小銃の振動のせいかじりじりと興奮の残る神経。
なのにやけに体は重い。ダッシュボードから足を下ろして座り直しただけで全身が悲鳴を上げた。
雨が降りそうだ。
厚い灰色の雲が延々と広がって、けだるい景色が眠気を誘う。
うっと腕を伸ばすと、ミキはサイドミラーに目を凝らした。
「リカちゃん…」
「なに?」
ミキはシートの後ろからサブマシンガンを取り出しながらミラーにちらり映ったそれに目を凝らした。
「ジープ?」
「どっち?」
ミラーからふっと消えて、ミキは急いでぐるぐるとウィンドウを下げて頭を出した。
リカがアクセルさらに少しだけ踏み込む。
サンドカラーの四輪駆動車。
兵士が1、2、3、4…5人。
一人がスナイパーライフルを構えている。
奇襲!?
すうっと頭が冴えていく。
「向こう! 左後方に敵車確認っ!」
ミキの声に弾かれたように荷台が慌しくなる。
マコトはきっと口を結んで自動小銃を手にした。
放心状態だったノゾミも自動小銃を抱えると体勢を低くして荷台の壁に張り付いて息を潜める。
レイナとサユミも銃を手に、応戦のためにつけられた小窓から外を窺いながら、自分の銃をぎゅうっと抱きしめる。
進行方向左の壁。前側の小窓にマコト、レイナ。後側にノゾミとサユミ。
カオリは銃を手に荷台の後部ドアの窓から確認した。
「全員構えて!」
「はいっ!」
勢いのいい返事が6つ。
「リカは速度維持! 運転に集中! ミキ! サポート頼むねっ!」
「はい!」
「はいっ!」
ターーン!
ライフルから飛び出した弾丸がミキの15cmほど前を突っ切っていった。
「はじまりってか?」
ミキはサブマシンガンを持ち直すと、身を乗り出した。
タラララララッ!
軽やかに火花を拭いて歌うサブマシンガンが四輪駆動車の足元を威嚇する。
「ちっ…。あたんねぇ!」
ぐーっと速度を上げて横につけると、サンドカラーの四輪駆動車は車間を50mほどに保ちながら、いよいよ本格的に潰そうと襲い掛かってくる。
タラララッ!
タララララララッ!
火花が見えた。
向こうの兵士の必死な顔。
左に右にハンドル切りながらかなりのスピードで蛇行するポンコツトラック。
ぎゅいっ、じゃりっと、タイヤが泣き、荒野を踏みにじる。
がたんとそのたびに大きくよろけて浮き上がる車体。
マコトはぐっと踏ん張ると、小窓を半分ほど開けて銃口突き出した。
「いけっ!」
タタタタタタタンッ!
タンッ! タタンッ!
レイナはぎりっと歯を食いしばった。
「くうっ!」
タタタン!
タタタタタタタタタタッ!
火花を飛ばして飛んでいった弾丸の雨は四輪駆動車の足元で弾けて減速を促す。
ふらりとよろめいて一時的にだが車間が開いた。
その間に呼吸を整える。
「追い込まれてるっ…!」
頭に叩き込んだ地図。
確かにここはグレーゾーン。たしか近くに敵軍のポイントがあったような気がする。
このまま向かえば敵の中へつっこんでいくことになるだろう。
待ち伏せられていた。
リカはぐっと奥歯をかみ締めて、あえてゆるやかな旋回を試みて四輪駆動車との車間をつめていく。
タララララララララララララッ!
四輪駆動に添えつけられたマシンガンの銃口がぱちぱちと光る。
ドン!
ドカドコドカドカドコドコベコッ!
「うわっ!」
「きゃっ!」
マコトとレイナが体をすくめる。
頑丈さだけがとりえの相棒の迷彩色の車体のあちこちがへこんで、3箇所ほど乱暴にのぞき穴が作られた。
「うわぁぁぁぁっ!」
ダダダダッ!
マコの銃が火を噴く。
ふらりと四輪駆動車がよろけて、一人がのけぞりながら車外に投げ出された。
ガッツポーズもなく、ギラギラした目はそれを追いかけることもせず、マコトは四輪駆動車をにらみつけたまま。
ノゾミはレイナの隣でさらに勢いに乗ろうと畳み掛けるように引き金を引いた。
タタタタタタンッ!
また一人、車の中にかくんと消えた。
肩の辺りから血が出ているのが見えたような気がした。
「よしっ!」
と、小窓から体を少しだけ引いてノゾミがぐっと拳を握ったその直後!
タララララララッ!
ドコッ!
ドコボコッ!
ガシャンッ!
「きゃあっ!」
「わあっ!」
きらきらとガラス片が光に反射して振り注ぐ。
カチンカチンとガラスが跳ね、その中に肩を抑えてうずくまるレイナ。
カオリはガラス片が肩に刺さったレイナを窓から引きずるように離して抱きかかえると、ノゾミにレイナがいたところに入るように指示して、サユミを呼んだ。
「できるよね」
「はいっ!」
救急箱をサユミに手渡すと、カオリはマコトの隣について銃を構えた。
揺れる車内でサユミはナイフでレイナのジャケットを裂いて傷口を確かめると、突き刺さったガラス片を一気に引き抜いた。
「んっ!」
レイナが眉をくっとひそめる。顔には大量の汗が浮かんでは流れる。
「大丈夫。血管からは外れてるみたいだから。思ったより…浅いかも」
そして頭から必死にキオクを手繰り寄せ、一つ一つ確実に処置を施していく。
スピードメーターの針は80キロを越えていた。
体に鞭打ってかっとぶポンコツトラックとやけに若々しい四輪駆動車との車間は気づけば20メートルに程近い。
緩やかに回り込ん追い抜いたところで振り切れるのか。このスピード。どうせおびき寄せられて相手の望むポイントに近づいてるに決まってる。
それでもリカは速度をじりじりと上げ続ける。
なんだったら相棒で横からぶち当たって吹っ飛ばしてやるっ!
『大胆な小心者ほど、戦場では長く生きられるもんなのよ』
そう教えたケイはもういない。
『いざとなったらつっぱっしってけばいいのよ』
迷ったらおしまい。腹くくっちゃえば後悔は無いから、って笑ってたっけ。でも、けっしてそうすれば死なないとは言わなかった。
『でも死んじゃったらおしまいじゃないですかぁ!』
『まぁねぇ』
はははっと声を上げて笑ったケイ。
ゆっくりと息を吐き出してがちがちになっている肩の力を抜く。
「ミキちゃん…」
「ん?」
「うん」
二人の目が合う。
ふっ…と、ミキは笑って見せた。
「くそっ! あっちいけぇっ!」
ミキはタイヤを狙ってサブマシンガンの引き金を引く。
タンタンッ…と小気味よく弾けて四輪駆動車はふらふらと蛇行をさせられる。
かっと目を開いたカオリのスナイパーライフルが一発必中よろしく、備え付けのライフルを弾いて方向を変えさせた。
「なんかすげぇ…」
思わずミキはつぶやいた。
そしてまたサブマシンガンの引き金を引く。
「とどめっ!」
タタタタタタタッ!
今度はタイヤではなく、フロントめがけて。
甲高い悲鳴を上げてフロントガラスが弾け飛ぶ。
運転手が前のめりに崩れたのが見えた。
ミキはぎりっと奥歯でかみ締めていたロリポップの白い棒を手の中に吐き出すと、シートの後ろのバッグから手探りで手榴弾を探してとりだした。
そして、サブマシンガンでまだ速度の落ちない四輪駆動車を牽制する。
「リカちゃんっ! 追い抜いて!」
「おっけぇぃ!」
ぐいっとハンドルを回して一気に四輪駆動車の前方へと躍り出る。
ミキは口で手榴弾のピンを引き抜くと、
「みんな体を固定してっ!」
ぽいっと後ろに向かって放り投げた。
ドーーンッ!
地面が揺れて、相棒がふらりとよろけた。
どす黒い煙を上げてひっくり返った四輪駆動車が燃えている。
仰向けになったタイヤがなおも回転を続けているのが見て取れた。
それでもまだここは戦場。
見えきたポイント。
待ち構えたように銃を構えている15、6人ほどの人影。
「前方に敵兵!」
リカが声を張り上げた。
「リカぁっ!」
「はぁいっ!」
カオリはすうっと深呼吸した。
言わんとすることは、リカにもわかっている。ぐっとハンドルを握る手に力がこもる。
「そのままつっこめぇっ!」
「はあいっ!」
「全員かまえてぇっ!」
カオリの声に全員が床に伏せる。
サユミはぎゅっと怪我をしたレイナの肩をかばうように抱き寄せて、上に覆いかぶさった
ミキもウィンドウを上げると、ぐっとドアの内ハンドルにつかまって前に屈み、足をつっぱって体を固定する。
リカは重心を下げてハンドルに乗っかるように体を寄せて前のめりになると、ぐいっとアクセルをめいいっぱい踏み込んだ。
「いけっ! 相棒!」
うぉぉんっ!
唸りを上げて、厳ついガタイが人の群れにつっこんでいく。
迷彩色のそれはまるでありえないくらいでかい砲弾。
「カモーーーーーーンナッ!」
ドンッ!
ドンッ!
ドコベコボコバコドカドコッ!
まだまだ。
ドンッ!
ガンッ!
いけっ! ガンバレ相棒!
バキッ!
ベキッ!
ビシッ!
フロントガラスにひびが入った。
さっきから何かが当たった衝撃で相棒の体が痺れている。
リカの頭の中は真っ白で、ただ前だけしか見えなかった。
妙にクリアな視界。鮮やかな色。
目の前にあるものをひたすらに蹴散らしていく。
人。銃。簡易テント。金属の資材。木材。木箱…。
簡易テントの布をかぶったまま、こじんまりとした敵軍のポイントを駆け抜ける。
ドーン!
ぶるぶるっと地面が震えた。
ミキが置き土産に放った二つ目の手榴弾。
布がはがれて視界がやけに広やかになって、リカはすーーっと我に返った。
「…おわった?」
「おわった…」
サイドミラーに映る黒煙。
リカは頭の中からなんとか地図を引っ張り出すと、大きくハンドルを左に切って街道の方へと相棒を促した。
泣き出しそうな空は結局泣き出さず、重苦しい灰色の空は時間の感覚さえも奪っていく。
のっぺりとした雲の下、誰もが話すことはなかった。
街道に無事たどり着いてようやくポンコツトラックの速度が落ちる。
『安心したときこそ、安全運転』
「…はい」
ケイの声が聞こえて、リカはつい苦笑いを浮かべた。
*
一本道をひたはしり、ベースキャンプに帰り着く頃には辺りは暗くなっていた。
ぶるん。
大きく身震いして、ポンコツトラックはふぅーっとどす黒い息を吐いて止まった。
ふらりとシートに体を預けて、リカはぼんやりとフロントガラスのひび割れた弾痕を見つめていた。
ミキもふーっと大きく肩を揺らして息を吐き出す。
「リカちゃん。おつかれ」
ゆらりと差し出された手。
ぱしっと受け止めてちっとも力の入らない手で握り返した。
「おつかれさま。ミキちゃん」
そしてはぁっ…と、ため息が零れた。
しばらくは誰も動けなかった。
しかし、カオリは応急処置だけのレイナに気づくと、そおっと抱きしめてよしよしと頭をなでた。
「がんばったね」
「…はい」
「サユもがんばった。ありがと」
「はい」
サユミの肩をぎゅっと抱きしめると、降りるように促す。
「マコト。おつかれ」
「はぃぃ。おつかれさまです…」
うん。とうなずいて、ぎゅっと抱いてやると、まだ心臓がバクバク言っていた。マコトはへへっと泣き笑いで離れると、荷台のドアを開けてサユミと一緒にレイナを支えた。
「ノンちゃん」
「カオリぃ…」
ひしっと抱きついて胸に顔をうずめるノゾミを受け止めて、ゆっくりと背中をなでる。
「がんばったね。お疲れ様。さっ、戻ってごはんだね」
「うん…」
「ほら、いこ?」
ポンと背中を叩いた。
こくりとうなずいてノゾミも立ち上がる。
カオリは最後に運転席部分の小窓を二つノックした。
「リカ。ミキ。お疲れ。ありがとう」
言葉は返ってこなかったが、ノックがひとつずつ帰ってきた。
がたがたと揺れて荷台が空になる。
ミキも何とか体を起すと、トラックから降りた。
地面に足をつけたら、体がぐらりとよろけた。
重い体を引きずって運転席の方に回りこむと、ゆっくりとドアが開いた。
ずり落ちるようにリカの体が崩れる。
「リカちゃん!」
何とか下から支えると、ごめんって言葉と一緒に疲れた笑顔が降ってきた。
「大丈夫」
心配そうに見上げるミキに微笑みかけて、慎重にゆっくりと地面に立った。まだおぼつかない頼りなげなリカをミキが腰に腕を回して支える。
パタン。
ドアを閉めて、ようやく終わったと…そんな気がした。
リカはドアに触れたまま、視線をすっと横に流す。
穴だらけであちこちへこんだボコボコの車体。
少しだけ黒くすすけた荷台の側面上部。
フロントガラスの弾痕。ウィンドウのひび。
ドアのあちこちにも弾痕。埋まったままの弾丸。
ちょうど目と同じ高さにあった弾痕の隣に、リカはそっと口付けた。
慈しむようにそっと相棒をなでるリカを見つめるミキの腕に微かに力がこもる。
カオリはポンコツトラックを見上げた。そして、
「ありがとう。お疲れ様」
目を閉じて、やわらかいキスをした。
ふふっとリカに微笑みかけると、うれしそうな笑顔が返ってきた。
ノゾミが「ありがと」って恥ずかしそうにちゅっと触れる。
マコトはへへって苦笑いしながら、「おつかれさま」とそのそばにぱっとキスをした。
レイナとサユミはなにやら顔を見合うと、
「ありがとう」
ってサユミが車体にキスをした後、
「ありがと…」
レイナが真っ赤な顔をしてちゅっとその少し下に。
目を細めてそれを見届けると、ミキはリカが口付けたその横にキス。
ささやかな外灯に照らされて、7人の勇ましいお姫様からキスで祝福されたポンコツトラックは、なんだか照れくさそうにうずくまっていた。
それ以来、楽な戦闘などないわけだけども、ベースキャンプに戻ってきたらトラックへのキスは乙女隊の習慣になった。
無事に帰れたことへの感謝と、ともに戦った仲間に対する労い。
カオリは全員の顔を一度ゆっくりと見回した。
「今日はメインの作戦の方よりも、まぁ、たいへんだったわけだけど、誰一人欠けることなく、無事、戻ってこれました。戦況確認と反省は明日以降にします。各自随時シャワーと食事を取って、ゆっくり休んでください」
カオリの言葉に聞き入る面々の疲れた顔。
「本日はこれで解散!」
残った気力で隊長らしく凛と声を張る。
敬礼が交換され、長い一日が終了した。
それぞれが重い足取りで兵舎へと戻っていく。
リカとミキはまだその場に立ち尽くしていた。
「リカちゃん…」
「うん…」
「…大丈夫?」
「うん。ゴメンね。なんかね…」
そう言ってミキに顔を向けたリカの目がうっすらと赤くなっていた。
頬に涙の伝った跡。
ミキは涙の跡に口付けて抱き寄せると、やんわりと頬を包んで唇を重ねた。
■ ■
ざぁっと音を立ててミキの体に降り注ぐ少し熱めのお湯の束。
体を滑り、または弾けてぱちぱちと足元で跳ねては歌う。
ぎゅうっと自らを抱きしめる。
サバイバルジャケットの背中を掴んだ手の力。
指先に触れた雫。
乾いた唇のかすかな震えと胸をじわりと突き刺すあたたかさ。
涙が零れた。
困ったように笑って、しなやかな指先が頬を滑り落ちようとする雫を拭い去って…。
自らをその両腕でしっかりと抱きしめたまま、とん…とうなだれた頭を壁に押し付ける。
パタパタパタと滴る水滴。
軽やかな水音はただのノイズに変わり果てていく。
まだ何も終わっていないんだと、頭が納得をして、心が理解した。
忘れかけていたぬくもりと感触は、あの時と一緒に胸の片隅からやってきて、いくら熱いお湯に打たれたところで涙と一緒に流れてはくれないらしい。
声を上げて泣いてもいいんだろうけど、そんな気にもなれなくて、泣いているのかすら今はわからない。
顔を上げた。
顔に当たっては落ちていくそのささやかな衝撃が少しだけ心地いい。
自分だって泣いてるくせにと悪態をついて、笑って見せた。
華奢な体を抱き寄せた。
首筋に顔をうずめて、少し埃っぽくて汗ばんだ首筋にしるしをつけた。
短く息を詰めて強張った体を強く強く抱きしめた。
一緒だよ…。ずっと…。
キュッ。
流れ出ていたノイズが途切れ、しんと訪れた静寂。
ぽたりぽたりとこぼれる雫の音がやけに大きく感じる。
生暖かい空気。
ゆっくりと髪をかき上げると、髪の先から溢れ出した水滴がぱらぱらと体を伝って落ちていった。
ドア一枚を潜り抜ければ、そこは朝の光に溢れていて、なにもかもが清々しいチカラに満ち溢れているような気がした。
体を拭いたバスタオルを頭からかぶって、ショーツだけを身に着けてリビングへ戻ると、手にしていたパジャマの上着をソファに放り投げてどかっと座り込む。
わしわしと荒々しくバスタオルで髪を乾かしながら、無性にリカを抱きしめたくなったキモチを追い払う。
そんなこと、無駄なのにね。
いっそサボらせちゃえばよかったかと、はう…とため息をつきながら頭からバスタオルをほっぽると、またパジャマの上着に袖を通す。
淡いピンク色のパジャマ。
膝を抱えて腕の中に顔をうずめると、コロンとそのまま横に転がった。
ぽすっとやわらかく包むようにソファが体を受け止める。
かちこちと時計の針の音。
すずめの歌声と、時折前を通る車の音。
出撃前、リカは誰よりも早くトラックに乗り込む。
相棒にキスをするのを見届けて、ミキはそれからわざと5分ほど時間を空けて助手席をノックする。
ミキがドアに口付けてトラックに乗り込むことを、たぶんリカは知らない。
知らなくてもいいことだし、マネをしたわけでもない。
彼女が信頼している相棒へのささやかなお願い。ただそれだけ…。
守ってあげて…と。
ただ、それだけ。
静かに過ぎる時間が胸に押し寄せたキオクを感情へと転がしていく。
サブマシンガンの衝撃。手榴弾のピンの味。トラックのドアの冷たさ。
いずれ遠くなっていくだろうその日々は、それでも体と胸に焼き付いて離れない。
きっとこのままなんだろう。
ミキは目を閉じた。
それも悪くない。
まっすぐに見つめていけるだろう。
抱えていけるだろう。
分かち合うことだってできるだろう。
良かったことよりも遥かに痛々しいことの方が多かったあの日々の中で、何を得て何を失ったのか、考えようと思ったら眠くなってきた。
ただ一つわかるのは、けっして忘れてはいけない記憶なのだ…ということ。
「早く帰ってこないかなぁ…」
丸まっていた体を伸ばして天井を見上げた。
窓から射す真っ白なカーテン越しの光が柔らかく部屋を包む。
緩やかに流れる時間を肌で感じる。
あたたかい静けさの中に少しだけせつなさを感じながら、再び目を閉じた。
(2004/4/24)
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