おつかい

 雲が太陽を隠せば、その間から覗いた空の青は深くて鮮やかで。
 それなのにすっきりとしないのは、雲がきっと低いところを泳いでいるからで、その青の深さと鮮やかさにため息をついた。

 空って不思議だ。
 どうしてこんなにキモチと繋がってるんだろう。

 マコトは兵舎から少し離れたところにある桜の木の下に座って、また一つため息をこぼした。
 悲しいぐらいに青い青。
 それはきっとこの空だ…、と、勝手に決め付けて、ぼんやりと思い出すのは同じような背中と笑顔の彼女こと。
 固く握られた右手の中には手紙。


  Dear Makoto

   この手紙を見てる頃は、もう出撃の前日ぐらいかな?
   私はチョー元気っス。アサミちゃんもリサちゃんも元気だよ。

                                           』

 そこから始まって、3枚に亘ってぎっしりと書き込まれた近況や思い。

 電話もないわけではない。
 使っちゃいけないわけではない。
 声が聞きたいと思うけど、でも聞いたら離れがたくなりそうで…。
 言葉や声は胸に残る。だけど形には残らない。
 でも、文字は違う。
 文字は形に残る。そこにある言葉は胸に残る。声は胸から引っ張り出せばいい。

 いろいろと思いを馳せる。
 ほっとしたりドキドキしたり、励まされたり。
 けれど、時々不安にもさせる。

『 ドジって怪我しちゃったよ 』

 本当に一瞬、心臓が凍りついた。
 同じ日に届いたアサミとリサの手紙にも書いてあったし、大事ではないってわかっている。
 でも結局一睡もできなくて、“超”が500個くらい付きそうなほどのハイテンションで食堂に入ったら、ミキに怪訝そーな顔でにらまれた。

 気持ちばかりが自分を置いて、遥か時間と距離とを飛び越えて行こうとしたがる。

「…アイちゃん…」

 葉桜の向こうに広がる灰色の雲の間から見える青は、さらさらと風に乗って歌う葉の柔らかな黒のおかげでぐっともう一段の深みを増している。

 ドドドドドドドド…

 エンジンの唸る音。

  『どーしたの?』
   声を掛けて、リカはぎゅっと手の中で長細く丸まった空色の便箋に気づいた。
   昨日の夕飯を過ぎたあたりからずーっとそわそわしているマコト。
  『なんかあった?』
   少しだけ落ちた声のトーン。
   うなずくこともせず、ただ目線をあげてじっとリカを見た。
  『…そっか』
   たぶん、それだけ不安そうな目をしてたんだな…と、ふと、気づいた。

 ザザザザ…

 マコトの座る桜に向かって近づいてくる幌を外した一台のジープ。

  『イシカーさん…。私……』
  『うん』
   にっこりと微笑んで、背中を一つ叩かれた。
  『待ってて』
  『は…はい』
  『カオたんにおつかい頼まれててね、向こうに行くから』
   その瞬間、キモチが天に昇った。
   けど、待ってるその5分の間に地面にズドンと突っ込んで深く深く潜っていった。

 立ち上がって木陰から出ると、ちょうどジープが隣で止まった。
「ごめんね。お待たせ」
「いえ。すいません」
 ぺこりと頭を下げると、リカは助手席を指差した。
 ぐるっと前から回り込んで助手席のドアを開けて乗り込むと、ぬっと後部座席から誰かが頭を突き出した。
「よっ」
「フジモトさん!?」
「ひどいなぁ。マコッチャーン。ミキのこと無視しないでよー」
「いえいえいえ。そんなつもりじゃないですよぉ。目に入んなかっただけで」
「それも何気にひどいって」
「ふふふっ。たしかにね」
「あっ! ひどっ! イシカーさんまで。そんなことないですってば」
「いやいや。そんなことあるでしょ」
「ないですって!」
「あーどうかなぁ…」
 言いかけて、ミキの目にちらりと飛び込む右手に固く握られた手紙。
「あぁー…。ほら。笑った笑った」
 さすがにからかいすぎたかと、ちょっと涙目になってきているマコトの頭をイイコイイコとなでた。
「泣いてませんって。ってゆーか、何でいるんですか?」
「つきそいだって」
 リカの言葉に、単に退屈してただけなんじゃぁ…という顔をするマコトに、ふふーんと微笑みかけてぽんぽんと肩を叩く。
「まっ、そーいうことなんで」
「外出許可取りに行ったら偶然会っただけなんだけどね」
「あー。そーなんですかぁ」
「そーなんですよ。実は」
「じゃあ、いこっか」
 リカはギアをドライブに入れると、ぐっとアクセルを踏み込んだ。

 ヴゥゥゥゥゥーーーーン…
 ジャリ…ザリ……ザザザ……。

 低い唸り。
 時折タイヤが砂を噛んでザラザラと騒ぐ。

 最前線に程近いベースキャンプから第8特別航空部隊、通称さくら隊が駐屯する基地までは車をかっとばして約1時間。
 荒れたアスファルトの道路を、オープンカーよろしくジープは青く茂る広野を横目にまっすぐまっすぐに走っていく。

 カーステレオから流れる甘い恋のバラード。

 流れる地平線。
 頭の上をすれ違い、近づいては遠ざかる大きくて低い雲の群れ。
 対向車のない道路。
 ただなんとなく黙ったまま、風に吹かれること早30分。

 運転席と助手席の間からにゅっと手が伸びてきた。
 手の中には3本のロリポップ。
 オレンジとピンクと水色の鮮やかな包み紙。
「どれか一つ」
 ぬっとマコトの前に突き出すミキ。
 うーん…っと、一通り見回すと、
「じゃ、これで」
 マコトは水色の包み紙を手にした。
「んっ!?」
 抜けない。
「フジモトさん?」
「なに?」
「あのー。取れないんですけどぉ」
「うん。マコトはこれ」
 うん…って、と呆れるマコトの前に、ミキはピンクの包み紙のロリポップを差し出した。
「恋の味だからね。…たぶん」
「たぶんっスか」
 ありがとーございます。とは言ったものの、いじけるマコトの手中でくるくる回るストロベリークリーム味。
 リカはちらりと目をやって、すねた子犬のようにむうっといじけるマコトに微笑みかけた。
「まぁ、いいじゃん。いいなぁ。ピンクで」
「大丈夫。リカちゃんのもピンクだから。いちおー」
 ミキはぺりぺりとオレンジの包装紙をはがすと、
「はい。リカちゃん。あーん」
 すいっと、ピンクがかったオレンジ色のロリポップを口元に差し出す。
 パクッとくわえるとリカの口の中に強い酸味とすっきりした甘さが広がった。
「なにぃ? これ」
「ふふーん。ピンクグレープフルーツ」
「あーなるほどねぇ。確かにピンクだね。ありがとミキちゃん」
「どーいたしまして」
 ミキは手に残った水色の包装紙をはがして口に放り込んだ。
 マコトも包装紙をはがして銜えた。
 まったりしたミルク味とイチゴの風味。
 なんかケーキ食べたいなぁ…。そんなことをふと思った。
 そしてもう一つの疑問が頭をすいっと過ぎる。
「あの、フジモトさん。これって、いったいど−してるんですか?」
「ん?」
 助手席と運転席のシートに腕を置き、間から顔を出してロリポップを銜えてるミキがちょんと首をひねる。
「だって、いっつもなめてるじゃないですか」
「よく見てるねぇ」
「見てますよぉ。だいすきだもん。みんなのこと」
「うわっ! きもっ!」
 ほとんど条件反射で反応するミキ。
 リカは思わず声を上げて笑った。
「あーちょっとぉ! イシカーさーん! 笑うとこじゃないですってばぁ」
「あーごめんね。マコト。でも、戦闘中とか、あと…うん……。そうだね」
 ふふふっと目をいたずらっぽく細めてミキは笑った。
「知りたい?」
「うん!」
 きらきらと期待が込められたマコトの目。
 ちらりとミキが運転席に目をやると、ふっと目を合わせてきたリカは左手で口元を押さえてくすくす笑っている。
「ないしょ」
「えーーーっ!」
「終わったらさ、教えてあげるよ」
 ミキはぽんとマコトの頭に手を載せて、ちょっと乱暴にかき回した。
「はーい」
「あと、みんなにはナイショだからね」
「はい」

 カーステレオから流れるアップテンポのラブソングが風に流れて空に溶けていく。

「イシカーさん…あの…」
「ん? なに?」
 マコトの方は向かず、けれど笑顔で答える。
「あの…。あの……」
 リカに頬を寄せるように運転席のシートに置いた右腕に頭を乗せてマコトを見るミキ。
 マコトはきゅっと唇を噛み締めると、ちらりと手の中の手紙を、そしてざわざわと風に揺れる丈の短い草原へと目をやった。
 そして、ため息を一つ。
「…あの…。あたし……へんじゃない…ですよね…」
 視線は再び手の中の手紙。
 ミキは今度は頬にキスでもするかのように顔をリカに向けた。
 ミラー越しに見るどこか緊張してるような顔をしたミキ。
 リカはなんとなくカーステレオから流れる跳ねたメロディーを1フレーズだけ口ずさんだ。
 時速87キロでかっとぶジープが生み出す風がメロディーをさらっていく。
「へんじゃないよ」
 顔を上げて見たリカの横顔は、笑っていたけど、笑っていなかった。
「すきだよ」
「…」
 ミラー越しにリカとミキの目が合う。
「いいじゃん…それで」
 ぐっとアクセルを踏み込み、メーターの針が一気に100へと突っ込んでいく。
「マコト」
「はい?」
「すき? タカーシのこと」
 ミラー越しに見たリカの目は息を呑むほどまっすぐで、じっとマコトを見つめるミキの目は真剣だった。
 マコトはしっかりと前を見た。
 ぎゅうっと手紙を握る手の平に爪が食い込む。
「はい」
 人気のない街道の向こうに うっすらと基地の姿が見えてくる。
 ミキはぼすっと後部座席に体を投げ出すと、がりがりとロリポップを噛み砕いて飲み込んだ。

 せつなくやさしい恋の歌は、カーステレオのスピーカーから風に乗り、灰色の影を抱く雲の隙間からのぞく青へと帰っていく。

 ステレオの音を打ち消すように、耳元で唸る風に負けないように、ミキは空に向かって怒鳴るように歌いだした。
 めいっぱい、せいいっぱい、届け恋の歌。
 マコトも一緒になって声を張り上げて歌いだす。
 リカはステレオを切った。

 とんちんかんなせつないやさしいラブソング。
 めいっぱい、せいいっぱい、空に響け。

 時速100キロを越えたジープは、残りの距離をあっという間に駆け抜けた。


      *   


 さくら隊の兵舎の見えるところでジープを止めた。

 日中は暖かくなってきたとはいえ、約1時間、時速100キロほどで風に吹かれていたのは体を冷やすには十分で、届けに行く前にリカとミキは積んでおいた幌をつけて屋根を作ってから、
「マコトは車で待ってて」
 と言い残し、兵舎に向かっていった。
 なんでも、前回の乙女隊の戦況レポートを見たいとかで、カオリが作った報告書をナツミに届けるというのがメインのお使いらしいと、マコトは幌を作る手伝いをしながら聞かされた。

 まだ高速でぶち当たって髪をかき回していった風の感触が残っている。
 二人が兵舎に向かってからまだ10分。
 マコトの中ではすでに2時間。

 時折顔を出しては消える陽射し。
 間からのぞく空の青。
 握り締めてくしゃくしゃになった空色の便箋をできるだけ綺麗に畳むと、マコトは胸のポケットにしまった。

 ザッザッザッザッ…!
 近づいてくる足音。

「おーーーーいっ!」

 いつも胸の中にあった声。
 今、聞きたかった声。

 マコトはドアを開けてジープから飛び出した。

「あっ! わあっ!」
 首にかじりつくように飛び込んできたアイをマコトはなんとか受け止めた。
「アイちゃん!」
「マコトー! 会いたかったよ〜」
 ぎゅうっと抱きしめて、しっかりと確かめる。
 そして少しだけ体を離すと、驚きとうれしさとでぱっと目を見開いたアイが相変わらずの早口で尋ねた。
「どーしたん? なんかあったん?」
「どーしたって、こっちが聞きたいよぉ! アイちゃん怪我したって言うから!」
「あー」
 愛がバツの悪そうに目を細めて笑う。
 むっとマコトの口がへの字になる。
「アサミちゃんの手紙にもリサちゃんのにも書いてあったけどさ…。でも…」
「だったら、大したことないってわかっとるやろ」
「だけどさぁ…。わかんないじゃん…」
 見てないもん…と、にらみつける。
 潤んだ目で見上げられて、そのへの字口といい子犬みたいやわ…と、ふっとアイの顔が柔らかくほころんでいく。

 彼女は一人。自分は三人。
 まして戦う場所が違う。
 ズドン。
 それ一つで終わり。
 陸の上なら当たった場所にも運にも寄るけど、空の中では散っておしまい。

「ごめんなぁ。不安にさせてもぉて…」
「バカっ…」
 べしっとアイの腕を叩くマコト。
「いった!」
「バカ」
「二度も言わんでいいって。もう」
「だぁってさぁ…」
 へたれモード全開のマコト。
 アイはマコトの手を取ると、そっと自分の頭の右側の辺りに置いた。
「こぶ?」
「うん。この間の飛行訓練でな、終わったあとえっらいフラフラになってまって…降りるときに頭からおっこったンよ」
 マコトの手の中にはっきりと感じる痛々しいふくらみ。
「…そうだったんだ…」
「そうだった…って、しらんの?」
「うん。二人の手紙にも訓練で怪我したけど心配ないよ…しかなかったし」
「そーなんかぁ。あっしもその…心配掛けたくなかったから、大して書かんかったけど…」

 どっと疲れに襲われるマコト。
 たぶん、アサミもリサも不安にさせたくなかったんだろう。
 だからあえて細かくは書かなかった。
 まして出撃直前。
 余計な不安を与えたくない。
 けど、それがかえって招いた不安。
 そういえば、アサミちゃんの手紙、やけに何度も書き直されてたっけ…そんなことを思い出した。

「ホントは書かないのが一番やって思ったんやけど、でも…知っててもらいたかった…。ゴメン」
「…いいよ」
 そっとこぶから手を離すと、そのままアイの手を包むように握った。
「無事なのわかったから。私も同じだよ。きっと。だから…さ」
 そして、へへへっと照れくさそうにマコトは笑った。
「一人で騒いじゃったね。へへっ」
「ほんとやわー。でも、会えたからよかったわぁ」
「そうだね。また会いに来るよ」
「絶対やよ」
「うん!」
 そして、にひひひひって二人で顔を見合わせて笑う。
「そういえば、アサミちゃんとリサちゃんは?」
「あー。なんかアイちゃん行ってきなよ…って、自分たちはいいからって」
「そうなんだぁ」
「そのかわり、手紙預かってるから」
 軍支給の迷彩のジャケットの胸ポケットから2通の手紙を出してマコトに手渡す。
 淡い桜色の封筒とクリーム色の封筒。
 マコトは大事にそれを胸ポケットにしまった。
 アイはそれを見届けると、少しだけ声のトーンを落とした。
「マコト」
「ん?」
「明日?」
「うん」
「そっか」
 視線を地面に一度落とすと、一転の曇りのない目をまっすぐにマコトに向ける。
「マコト」
 そして、ニカッと笑った。
「おまじない」
「おまじない?」
「おまじない。絶対生きて帰ってこれるように」
 つ…と、アイが一歩だけ距離を詰めて、そっと両腕に手を置く。
 まだちょっと意味がわかりかねるマコトの頭に「?」が飛ぶ。じっと目を見つめられて、「あれ?」とは思うが頭が上手く働かない。
 きゅっと袖を掴むアイの手。

「…」
「…」

 すっと唇が近づいて、なんとなくだけど目を閉じることができなくて、吸い込まれるように瞳を見つめるマコト。

 あと2つ数えたら触れる唇。

「あのー」

 ぱっとアイの顔が離れた。
 ぽかんと口を開けるマコト。
 アイの視線の先をたどると、そこにはリカとミキ。

「あれっ。ぶちゅっといっちゃいなよ。ぶちゅっと」
 とミキが言えば、リカはリカで…。
「いやぁ…アイちゃん、なんかオトコマエ…」

 ふんっ…と息を吐き出すと、
「もうっ! あっち向いててくださいぃ!」
 真っ赤な顔でちょっと泣きそうに口を尖らすアイ。
 うがーっと急激にゆでだこ状態になってほけーっとしているマコト。
 リカとミキはクスッと顔を見合うと、
「はーーい」
「はーい」
 とりあえずあっちやそっちの方に顔を向けた。
 それをしっかり確認すると、アイははっと短く息を吐いた。
「マコト」
 囁いて、まっすぐに見つめて、掠めるように、まだ戸惑いの残るマコトの唇を塞いだ。

 時間が止まった。

 このままならいいのに…。
 そんなことを思う余韻もなく、我に返ったら目の前でアイがへへへへって笑っている。

 ぽんっと照れかくしに腕を叩かれた。
「いったいって! アイちゃん」
「や…。せやって、なぁ!」
 耳まで真っ赤にしてうつむいて視線をさまよわせるアイ。

「ふぅーっ!」
「ぃゃっほーーぃっ!」
「ひゅーひゅーっ!」

「えっ!」
「あ゛っ!」
 はっと声の方を見ると、リカとミキがニヤニヤと笑っている。
 そして、
「ちゃーんと、見てましたよぉ」
 ぱっと真横にスライドするように動いたリカとミキの間にいたのはエリ。
「うっそやろ…」
 呆然とするアイ。マコトはポカーンと口を開けたまま、目が点になっている。
「いやーーっ。あっついねぇ」
「もーっ。二人ともかわいーっ!」
「あー。なんかエリも恥ずかしくなってきましたぁ」
 はしゃぐ三人をよそに言われっぱなしのマコトとアイは互いにちらりと目を見やって、やれやれとため息。

 パタン、バタン。
 ジープのドアが閉まる。
 運転席にはもちろんリカ。助手席にはエリ。後部座席にはミキがすでに乗り込んでいる。
「じゃ、アイちゃん。またね」
「うん。またね。マコト」
 うなずいて返して、マコトはドアコックに手を掛けて、少しだけ考えた。
「アイちゃん」
 向き直ると、アイの腕を掴んでぐっと引き寄せて抱きしめた。
 これを最後にはしたくない。
 するつもりはないけれど、もう一度だけ。

 髪をさらりと舞い上げる風がいつの間に厚い雲を追い払って、輝くような陽射しが降り注ぐ。
 体にまだ残ってる抱きしめるマコトの腕の感触。
 そっと唇を人差し指でなぞった。
 なんや…イチゴ牛乳の味やったな…。
 飲むたびに思い出すんだろうな…と。
 砂煙を巻き上げて離れていくジープを、アイは見えなくなるまで見送った。

 カオリのお使いは戦況報告のレポートのお届けと…。
「はい。みんなにはないしょね」
 ミキがプリン味のロリポップをエリに渡す。
「あっ! ありがとーございまーす」
 ぺりぺりと包装をはいでパクリ。
「なんか、変わった味ですねぇ」
 エリはふふっと目を細めて柔らかく笑った。

  『さびしいのは一緒だから』
   書類を手渡して、カオリは小さく笑った。
  『マコトだけってわけにもいかないっしょ』
   そう言って、今度は苦笑いする。
  『あー。こんなに甘くっちゃいけないんだけどねー』
   って言うと、
  『でも、これからはさらに厳しくなるだけだから…』
   だからこそ…なのかもしれないけどって笑ったカオリの横顔。
   リカは何も言えなかった。
   淡い窓越しの光が描き出した陰のあるその微笑が、あまりに美しすぎたから。

 明日の出撃前にさくら隊からお迎えがやってくる。たぶん、マリとヒトミだろう。
 それまでのつかの間の時間。
 明日の今頃は青い青い空の下、泥にまみれて血の臭いと死の臭いに溢れた大地を、ただたださまよい、突き進む。
 死神たちが手招きする。天使がこの手を取ろうとする。
 誘惑を振り払って帰ってくるから、今はできるだけ笑っていよう。
 ほら、空だって晴れたから。

 対向車線にまったく人気のない道路。
 荒れた路面。
 包み込むようにだだっぴろい草原がただただ流れていく。
 時速100キロで帰り道を行くカーキ色の鉄の塊。
 カーステレオから流れるロック。
 明日がどっちか知らないけれど、とりあえず進め。まっすぐに。

 そしてベースキャンプの姿が見えてくる。
 頭の上にあった太陽は、ようやく西へと少し傾き始めた。
 フロントガラスの向こうに広がる空は、果てしなく鮮やかだった。 

 

(2004/4/16)

 

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