2分57秒

 色づく気配のない木の葉。
 暦はとっくに秋を迎えているのにいまだ疲れ知らずの太陽。
 飛び立つ訓練機のプロペラの音。
 まばゆい光が熱い地面に濃い機影を落とす。

 兵舎から少し離れた大きなクスノキの木の枝の上。
 アイは読んでいた文庫本から目を離すと、重なり合う葉の向こうできらきらと輝く青い空を見つめた。
 今日もよく晴れていて、雲ひとつない青。
 こんな空だったら、飛んだら気持ちいいだろうなぁ。
 きらきらと木漏れ日がアイの顔に降り注ぐ。
 ふいに飛び込んできた一粒の光にうっと目を細めた。
「あーあぁ…」
 暑いなぁ。
 すでにわかりきってることを口にするのは悔しくて、額に滲んだ汗を拭いながら軍支給のカーキ色のチノシャツの胸ポケットに文庫本をしまった。
 一通りの基礎訓練と雑務を終えてささやかな休憩時間。
 昨日はスクランブルもなかった。なんとなくのんびりできるのはなんか久しぶりで、大きくうーんと腕を伸ばすと、葉の向こうにわずかに垣間見える青をつかもうと手を伸ばした。

 みーんみんみんみん。

 セミがあちこちで鳴いてる。
 残暑厳しい今日この頃、いかがお過ごしですか?
 こっちもムカツクくらい暑いです。

 マコト…。
 今日は…戦場だっけ。

 木漏れ日は相変わらずきらきらと降り注ぎ、間から覗く青は高く、濃く、鮮やかだ。
 なんとなく口笛を吹いてみて、ふと、1フレーズ吹き終わってから歌ってみた。

 みーんみんみんみん。

 さらっと風が流れて、木陰に少しだけ熱を奪われた風がアイの頬を撫でていった。

「おーいっ!」

 下の方から声。
 見ると格納庫の方から油で黒く染まった淡いブルーのつなぎ姿のリサがこっちに向かって走ってくる。
「がーきさーん!」
 ぶんぶんと手を振ると、リサも手を振り返してきた。

 たったったっ…。
 テンポのいい足音が高く響いて空に吸い込まれていく。
 リサは大きく枝を広げるクスノキの木陰に入ると、
「なーにやってんのー」
 木の上で楽しそうに目を細めているアイを見上げた。
「んー。本読んでたー」
「またぁ?」
「うん」
「ほんっとお気に入りなんだねぇ。そこ」
「へへへへっ」
 だってここは空が近いから。
 無邪気な太陽に澄み渡る青。爽快な空に思い描くあの子の姿ににへっと笑ってみて、アイはするすると木から降り始めた。
「だけどさぁ、危ないよ?」
「だいじょーぶー。あっしサルの仲間やし」
「あーもー。何言ってんのー」
「へへへへっ。まぁ、大丈夫やって。落ちないから」
「…まったく」
 まぁ、アイちゃんの気持ちもわかるけどね。
 苦笑いを浮かべて、リサは隙間から覗く鮮やかな青に目を細めた。

 みんみんみんみん。
 セミがやかましい。
 短い命で必死に鳴いている。

 よいしょとアイが地面に降り立つと、
「おまたせー」
 と抱きついてきた。
「こらこらこらっ! あーついってば!」
「んー。夏だもん」
「って、あーそーだけどさぁ、ほら、あたし汚れてるからね? つなぎ油塗れだからさぁ!」
 それでも離れようとしないアイは、甘えるようにくしゃっと笑ってぬいぐるみを抱くようにリサを腕の中に閉じこめた。
「ちょーっとまってよー。相手が違うでしょって。ほらっ、アイちゃん、服、汚れちゃうってば!」
「いいの。だって、飛行機の点検してくれてたんやろ?」
「んー。そーだけど…」
「じゃあ、いい」
「アイちゃん?」
「だって、あっしは飛行機やもん」
「は?」
 わけわかんない。
 だけど、わけわかった気もする。
 だって、だから自分も全力でメンテナンスしているんだもん。
「…」
 満面の笑顔のアイ。
 リサはどこか呆れ返ったような笑顔を見せると、自分の体をぎゅっと抱きしめる手を取って繋いだ。
「ほら。行こう。そろそろ来る頃だよ」
「あっ! そっか!」
 そう言うと、アイは手をしっかり握ったまま駆け出した。
「うわわっ! アイちゃん!」
 急にぐいっと腕を引っ張られてつんのめるリサ。

 高く高く空に響き渡るあわただしい二つの足音。

 まだまだ陽射し溢れる午前10時半。
 郵便局員が持ってきた配達物がそれぞれの隊の兵舎へとたどり着く頃合。

 兵舎に戻ると、
「あっ! アイちゃん。ガキさん」
 アサミが手を振って走ってくる。
「アサミちゃーん!」
「うわっ! だからアイちゃん、ひっぱんないでって!」
 そんなリサにかまうことなくアサミに駆け寄って抱きつくアイ。
 リサはなんとか転ばないように、だけどしっかり手を繋いだまま、やれやれと笑った。
「もー。あぶないよ?」
 といってもアイはへへへへっと笑ってるだけ。
 アサミはそんな二人のやり取りにふわっと目を細めた。
「まぁいいじゃん。二人とも転ばなかったんだし」
「もー。アサミちゃんまでー」
 のんきだなぁ…と、ちょっと苦笑いしてリサは言った。
「アサミちゃんもポスト見に行くんでしょ?」
「うん。もうそろそろだよね?」
「ほら、早く行こ」
 アイはアサミの手をしっかと握ると走り出した。
「うわっ! アイちゃん!」
「わぁっ! あっ…アイちゃん!?」

 3つになった足音。
 ぐるりと回って兵舎の玄関をくぐって事務室へ。
 そして自分の名前の書かれたレターボックスを確認する。
「あっ!」
「おっ!」
「きたっ!」
 アサミ、リサ、アイの目がきらきらっと輝いた。

 ―――
 ――

 大きな腕を広げてゆったりそこに立つクスノキ。
 その木陰の下には手紙を持って座るアイ、リサ、アサミ。
「アイちゃんの、なんか厚ぼったいね」
 リサはつなぎのファスナーを下げて袖から腕を抜いて上半身だけ脱ぐと袖を腰のところで縛りながら、アイの手紙を首を傾げて覗き込む。
「うん。なんか固いもん入ってる」
 そっと手紙の封を開くと中からでできたのは一本のカセットテープ。
「アイちゃんへ…だって」
 ラベルに書かれた文字をなんとなく読み上げるアサミ。
 アイはカセットテープのケースの表と裏を少し怪訝そうに見返すと、手紙に目をやった。
「…マコト…」
「アイちゃん?」
「どーしたの?」
 アサミとリサが心配そうに覗き込む。
 アイはふぅっと肩を揺らして息を吐くと、にこっと笑った。
「誕生日プレゼントだって」
 アサミはふわっと笑った。
「そっか。もうすぐだもんね」
「うん。けど誕生日は…こっちが出動予定入っとるし…」
「だからかぁ。少し早めの誕生日プレゼントだね」
「よかったね。アイちゃん」
 うれしそうに笑うアイにリサも目を細めて笑った。

 みーんみんみんみんみん。

 淡い風にクスノキの葉が揺れる。
 アイは自分の部屋にラジカセを取りに走って戻って行った。
 その間にリサとアサミは自分に届いた手紙を読みふける。

 だいたい2週間に一度くるカオリの手紙には、カードに書かれたキレイなイラストかポエム。
 カードを部屋の壁に貼っていくのがリサの楽しみだ。
 けっこう不定期なリカの手紙には乙女隊の様子や気遣いの言葉やアドバイス。
 時々相談したいことをどこからか察して書いてくる時もあるから、ほんとにすごいなぁとアサミは思う。
 ミキの手紙も不定期だけど、前に書いたことに一つ一つていねいに答えてくれる。
 そしてボケと天然がひしめく乙女隊員へのツッコミ武勇伝が事細かくおもしろい。
 文字やらイラストやらにぎやかなノゾミの手紙。
 わりとマメだが、大体内容はあれ食べてこれ食べて。そういえばあんなことあったこんなことあった。
 見かけによらずかわいいレイナの手紙はけっこうマメ。
 ここのところは『れいにゃ観察日記』のようで微笑ましい。
 ピンクの便箋がかわいいサユミもかなりマメ。
 意外にしっかりした文章で、のんびりマイペースに日々の出来事を書きつつ、淡い夢がちらほらと…。

 一つ一つの文字に込められた言葉を記憶の中の声に置き換えていく。
 不安に気持ちには心強く、沈んだ気持ちに明るく、だけど時には少し厳しく。
 心に染み込んでいく一つ一つの言葉。

 ふわりと風が流れて、さら…と木の葉が囁く。
「アサミちゃん」
「んー」
「こないだマコト、かぼちゃプリン食べたんだって。イーダさんお手製の」
「えっ!?」
 すごい勢いでアサミが顔を上げて迫ってくるから、自然とリサはその勢いに少し身を引いた。
「あと、焼きいもしたって」
「えええーーっ!」
 予想できたアサミの叫びにリサがぱっと耳を塞ぐと、がしっとアサミが肩を掴んで揺さぶった。
「うわっ! あっ…あさみちゃんっ! 痛いって! わっ! ちょっ! ちょっとっ!」
「だっ…だってぇ! ほんとにぃ!?」
「う…うん。ほら」
 なんとか肩から手が離れると、アサミに手紙を見せてその場所を指で示す。
 ほんっと…おイモとかぼちゃになると人が変わるよねぇ。
 おもしろい。
 食い入るように文章を睨みつけるアサミにくすくすと笑いながら、リサももう一度手紙に目を通した。
「あっ!」
「ん?」
 不機嫌なままのアサミが眉をひそめて不思議そうにリサに目を向ける。

『 アサミちゃんにはナイショだよ。 』

「あちゃー。ごめんね。マコト…」
 しゃべっちゃった。
「ううん。ありがと。ガキさん」
 にっこり微笑んだアサミの目がきらりと光った。…ようにリサには思えた。
「まっ、いっか」
 書いたまこっちゃんも悪いし。
 リサはとりあえずふむ…と一人納得した。

 たったったった…。

「おまたせーっ!」
 四角いラジカセを手にアイが戻ってきた。
 はぁ、はぁ…と息を整えながらとりあえず座ると、おや…と拗ねたようなアサミに気がついた。
「どしたの?」
「おいも…」
「は?」
 アイの目がきょとんとしている。
 リサを見ると、はははっ…と乾いた笑い。
「あのね、乙女でおやつにイーダさんのかぼちゃプリンと、あと焼きいもしたって」
「あぁ! 書いてあったー! で?」
「へへっ。ナイショって気づかなくって…」
 えへへと笑うリサにアイはなるほどと笑った。
「なぁ〜んだ」
「あぁー! なによぉ〜」
 むっとアサミがアイいじけた目で睨みつける。
 アイはよしよしと頭を撫でてやると、
「アベさんにお願いしたらえぇやん」
「あっ! そういえば誰かの家からさつまいも、差し入れで送られてきてたよね!?」
 ポンと手を打ったリサ。
 ぽわぁっとアサミに笑顔が戻ってくる。
「そっかぁ! あとでお願いしに行こっ」
 もうすでにうきうき気分にのアサミにアイとリサが顔を見合わってくすくすと笑う。
 アイは自分に宛てられたマコトの手紙にもう一度目を通した。
「それにしても焼きいもって…」
「まだ暑いのにねぇ…」
 リサもしみじみと空を見上げた。

 かんかん照りの太陽。
 たしかに初秋らしく空は高くなったような気がするけど、それにしたって太陽の頑張りには驚き、呆れ返る。

「そういえばさぁ、乙女は…今戦場なんだよねぇ」
 リサは空を見上げた。
「…」
 便箋を丁寧に封筒に戻すとチノシャツの胸ポケットにしまうアサミ。
「だいじょうぶやって」
 アイはケースからテープを取り出すと、ラジカセにテープをセットした。

 青い青い空。
 強い陽射しにじんわりとにじむ汗をシャツが吸い込んでいく。

 長袖の迷彩の戦闘服。
 中身の詰まったデイパック。
 陽射しに暑く焼けた銃。革のグローブ。

 ぴーひょろーととんびが鳴く。
 リサはなんとなく呟いた。
「…暑いねぇ」
「うん…」
 くるりくるりと輪を描くとんびを眺めてうなずくアサミ。
 アイはポンッポンッと二人の肩を叩くと、
「だいじょうぶやって」
 無敵やもん…と笑った。
「ほら。早く聴こー」
「うん!」
「そうだね」
「っと、その前に…」
 アイはラジカセのボリュームを少しだけ上げると、
「じゃ、いくよー」
 カチッと再生ボタンを押した。

 じーっとテープが回りだす。
 四角いラジカセのスピーカーを息を凝らしてじっと見つめるアイ、リサ、アサミ。

   ごっ。ごっ。

   マイクを叩く音。
   そして…。

   『あー。てすてす』

「わっ! マコトやぁ!」

   『こほん』

   『ええっと、アイちゃーんっ! げんっきですかぁーーーっ?』

 いつもより高い声。
 なんかちょっと微妙なハイテンション。
「あはははっ。元気だよーーっ!」
「なんかマコト、緊張してるねー」
「らしくないなぁ」
「えぇやん。かわいーって」

   『ええっとぉ、アイちゃん。アイちゃん、ええっとぉ…このテープが…』
   『マコトー。なにやってんのー』
   『あ゛っ!?』

 少しマイクから遠いのか小さい声。
 走ってくる足音。
「あっ。のんつぁんだ」
 アイが身を乗り出す。

   『ああっ! えっ、えーっとね』
   『なに? なんか歌うの? 吹いてあげよっか?』
   『え!? あー。うんうん。だから、そのっ』
   『っていうか、マコト、顔真っ赤』

「あーあー…マコト、すっごい慌ててる…」
「あー。なんかのんつぁんのハーモニカ、聴きたいかも」
「うん! 聴きたいね」

   『で、何歌うの?』
   『な…何歌うって!?』
   『だって、これ、アイちゃんでしょ?』

「あー…。バレバレやな…マコト」
「アイちゃん、赤いよ」
 ぽつりと言ったアサミに、アイは真っ赤な顔をしたままバシッと、
「いった! ちょっとーっ! アイちゃーん、あたしじゃないでしょー!」
 リサの腕を叩いた。

   『なになに!? とうとう言っちゃう!?』

「…」
「アイちゃん、顔から湯気でてるよ…」

   『のっのんつぁんっ!? そっ…そんなんじゃ…』
   『ののー? ん? マコト?』
   『ツジさん? オガーさん?』

「あっ、イシカーさんとしげさん」
「あー。マコト、ピンチですねー」
「あぅー。なんかあっしもドキドキしてきた…」
 そんなアイにリサとアサミがくすっと笑う。

   『どうしたの?』
   『何してるんですか?』
   『あー、うん…あっ、あの、あのっ。えっとね』

    くっくっくっと笑ってるノゾミとわたわたして言葉になってないマコト。

   『マコト? 大丈夫? 赤いよ? 熱?』
   『なんかへんですよ? ヘンなものでも食べたんですか?』
   『ええーーっ! なーに言ってんのぉー。ふつーですっ。ふ・つ・うっ』
   『…』
   『…』
   『へんだよねぇ…? サユ』
   『はぁい…』
   『っくはぁーっ! マコトおもしろーいっ!』
   『もぉーーーっ! のんつぁんっ!』

「あ、マコト、キレた」
「まーねぇ〜。そりゃそーでしょ」
「でも、おもしろい…」

   『あれ? なんか録るの?』
   『あっ! イシカーさんっ!?』
   『愛のメッセージだって』

   『ええーーーーーっ!?』
   『うそーーーーーっ!?』
   『うわーーーーーっ!!』

  きれいに揃った3つの声。

 あまりの大音量にとっさに耳をふさいだアイ、リサ、アサミ。
「あー! びっくりしたーっ!」
「マコト…声大きいよぉ…」
「しんぞー止まるかと思った…」
 バクバクと弾ける鼓動を抑えようと胸に手を置いて呼吸を整える。

   『そっかぁ。ついに告白するのかぁ』
   『何歌うんですか?』
   『それがまだ決まってないんだよねー』

「なんかもう話し進んじゃってるよね」
「うん…」

   『なぁにぃ? うるさいよー』
   『あっ、カオたん』
   『どうしたの? もう、急におっきい声出すからびっくりしたじゃない』
   『あのね、カオリ。マコト、ついに告白するんだって』
   『だから、みんなで何を歌ったらいいか考えてたんです』
   『そっかぁ』
   『……あ…あのぉ…』

「あー。もーマコト、逃げられないねぇ」
「でもさ、いいんじゃない?」
 リサとアサミのやわらかいまなざしが真っ赤になってうつむくアイを包み込む。

   『そういえば、もうすぐアイちゃんの誕生日だもんね』
    くすくすっと笑って、『ね、マコト』とカオリ。
   『いいなぁ。誕生日に告白かぁ。アイちゃん、幸せだね』
   『サユもそうゆう人、ほしいなぁ』
   『ふふっ。案外近くにいるかもよ』
    と、カオリが言うと、『はい!』とサユミの元気のいい返事。
   『あ、リカちゃんのおーじ様来たよ』
   『何やってんの?』
   『ん? まこっちゃん、顔真っ赤たい』
   『あ、ホントだ』

「もっさんとタナカちゃんだ」
「え? イシカーさんの王子様って、どっち?」
「え? もっさんでしょ?」
「そーなの?」
「うん。あの2人、なんか仲えーで」
「へぇー…。そうなんだぁ…」
「なんか意外だなぁ…」
「でも、けっこうお似合いかも」

   『で、何やってんの?』
   『あ、うん。あのね…』
    リカがミキとレイナとなにやら話し始める。
    はぁとマコトのため息。
    ぷぁーとハーモニカの音。

   『あー。なるほどねぇ。さくらまんかぁいーなわけだ』
   『あたっ! なにするんですかー! フジモトさーん』
   『あははっ! まこっちゃん、かわいーっちゃ』
   『もう、小さなむーねぇがーはりーさけそぉーって?』
    と、ミキ。リカは『ほら、おいで。マコト』と声をかける。
   『ふふっ。もう秋なのにねぇ。いいなぁ。マコトの心は春なんだぁ』
   『あれ? リカちゃんは違うの?』
   『…みきねぇとイシカーさんは年中夏たい』
   『そうね。熱すぎて言葉もないわね』
    と、カオリが言うと、少しの沈黙の後、
   『そうかなぁ?』
   『んー。どぉ? ミキちゃん』
   『だから…そーゆーとこがだって…』
    ぽつりとマコトがため息混じりに呟いた。
   『まっ、いいじゃん』
    そしてまたミキが歌いだす。
    すると、ぽんっと誰かが手を叩いた。ハーモニカの音が止まったから、ノゾミらしい。
   『それでいーじゃん』

「ふふっ。決まったみたいだね」
「あはっ。アイちゃーん。ふふっ、照れてる照れてるっ」
 リサとアサミが真っ赤に頬を染めているアイをうりうりと肘で突いたり、ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、くすぐったそうにアイは目を細めて笑った。
「やっ! こらーっ! もぉ。恥ずかしいって」
「ふふっ。アイちゃん、かわいー」
「いいじゃん。いいなぁ。アイちゃん」

    その間に…。
   『メインがマコトで…』
    てきぱきと隊長がパートを割り振って、
   『あっ、でもこのフレーズはマコトが歌ったほうがいいよね?』
   『でさ、ここんところをさぁ』
    リカが修正を加え、ノゾミがさらにアレンジを加えていく。
   『音外さないでね。リカちゃん』
   『はーい。がんばりまーす』
    ミキがさらりとつっこんで、どっと溢れる笑い声。

「なんや…楽しそう」
「ホントだね」
「いいなぁ」

   『よっし! じゃあ、がんばってぇ、いきまーっ』
   『しょーーーいっ!』

「しょーーーいっ!」
「しょーーーいっ!」
「しょーーーいっ!」

   『…』

    しばしの沈黙。

   『じゃあ、アイちゃんのために…歌うね』

 風がさらっと流れて、アイの髪をふわりと泳がせる。
 アサミはアイの右手を、リサは左手を握った。

   淡い想いを伝えるから、抱きしめて?
   あなたしか映らない。
   気持ちは固いんだ。着いていくよ。

   想いを伝えるから、ね、抱きしめて。

「…マコト」

   ふぅ…とマコトのため息。

 じーっとテープが回る音。

    わずかな沈黙の向こうから、ひそひそと声が聞こえた。

   『せぇ〜のっ!』

    7つの声がにぎやかに重なり合う。

   『たんじょーびっ、おめでとーーーーっ!』

「…」
 アイの目が大きく見開く。
「あっ…アイちゃん!?」
「アイちゃん?」
 アサミとリサが顔を覗き込むと、ぎゅうっとアイは二人の手を握り締めた。
「…うれしい」

   『ラブリー、おめでとーっ! はっぴー!』
   『あはははっ! はっぴー! おめでとーっ!』
   『アイちゃん、おめでとー!』
   『アイちゃん、お誕生日おめでとう!』
   『はっぴばーすでーあーいちゃーんっ!』
   『おめでとー! おねぇちゃんっ!』
   『あーいちゃーーんっ! おっめでとぉぉぉぉぉっ!』

「アイちゃん…」
 ぼろぼろと零れて乾いた地面に消えていく涙。
 アイは乱暴に目をこすって涙をぬぐいながら、照れくさそうに笑っていた。
「えへっ…。うれしい……。…ありがと…」
「よかったね」

 リサが肩を抱き寄せ、アサミがよしよしと頭を撫でる。
 一緒になって零れ落ちた自分の涙を指でぬぐいながら。

 カタン。

 短い短い15分弱。にぎやかなA面。

 みーんみんみんみん。
 セミが鳴いてる。

 さらさらと木の葉が歌い、秋の色を少しだけ見せ始めた高い空。
 太陽は今日も頭の上で輝いて、暑い陽射しがまだまだ肌をじりじりと焼く。
 この空の向こう。
 ずっとずっと行けば、その下には荒野。
 響く銃声。飛び交う砲弾。
 血の臭い。死の気配。
 今キミは、そこで何を見てる?

 アイは空を見上げた。


    *


 ぶぅーん。
 プロペラの唸りを響かせて練習機が飛んでいく。

 クスノキの枝の上。
 いつもの場所でヘッドホンステレオを手に目を閉じるアイ。
 イヤホンから流れる愛しい声。やさしい歌。

   『アイちゃん。お誕生日おめでとう。

    あー…。うん。

    うんうんうん。あーなんかね…。えへっ。

    改まって、なんかヘンだよね。

    へへへへへっ。

    あの、あのね。うん。

    …。

    もう一度、歌うね』

 昨日。マコトから手紙が来た。
 テープが届いた日から数えて3日。
 それだけでほっとした。それだけで胸がいっぱいになった。

   『はっぴばぁすーでーとぅゆぅー。

     はっぴばぁすでーとぅゆぅー』

    一つ一つのフレーズに想いを込めて。

   『はっぴばぁすーでぇ、でぃぁ、あーいちゃーん。

     はっぴばぁすーでーとぅーゆぅー』

「アイちゃーん?」
「おーい!」
 下から見上げるアサミとリサに気づいてニカッと笑ってアイが手を振る。
「あー。また聞いてるんだ」
「ほんとにうれしかったんだね」
 クスノキの方へと向かいながら、リサがそうだねと大きくうなずいて、いいなぁとアサミがふんわりと微笑んだ。

   『誕生日、おめでとう。アイちゃん』

 テープが届いたその日、涙が止まらなかった。

   『すきだよ。アイちゃん』

 離れていることがこんなにつらいと思わなかった。
 何度も何度も聴いた。
 擦り切れたら困るから、慌ててテープを探してダビングして…。

 B面2分57秒。
 緊張して時々起こる微妙な沈黙。
 マコトらしくない上ずったゆったりした口調。
 一つ一つの息遣い。

  会いたいよ。マコト。
  会って抱きしめたい。きつく…きつく、ぎゅっと…。

 かちっ。
 テープを止めて巻き戻しボタンを押す。

 きゅるきゅる…。

 甲高い音を立ててテープが巻かれていく。
 アイは空を見上げると、木の葉の隙間に見える澄み切った青を掴むように手を伸ばした。
 次にこの手がキミに触れるのはいつだろう?
 A面に入っていた歌を1フレーズだけ口ずさむ。
 ふいに飛び込んできた光に目を細めて伸ばした手を引いて手をかざしたら、なんだか青い空が笑ってるように感じた。

「おーい!」
「アイちゃん、お昼ご飯だよ」

 カチンと巻き戻しが終わったボタンが跳ね上がる。
 アイはイヤホンを外してヘッドホンステレオに巻きつけると、軍支給のカーゴパンツのポケットに入れて、
「今行くー」
 下で待っているアサミとリサの元へとするするとクスノキから降りていった。

 ぶぅーん。

 訓練機が戻ってくる。
 基地に響く低い唸り。
 午後は飛行訓練だ。
 どこまで行っても届くことない高い空。澄んだ青。
 ようやく秋の色に染まった風が3人の頬を優しく撫でていった。

 

(2004/12/15)

TOP   BACK