ビルの陰で息を潜める。
ファインダー向こう。狭い窓越しの彼女はライフルを右手に、無表情ともつかぬどこかやるせない横顔をこちらに向けて彼方を見据えている。
青い青い空の中、乾いた風がヘルメットからはみ出した髪を揺らす。
シャッターを押さえる指にぐっと力を込めた。
ふと振り向いたリカの警戒した眼差し。
すっとさりげなくライフルの銃身に添えられた左手。
ファインダー越しに目が合った気がした。
カシャ。
「…!?」
ぐっと息を詰める。
きりぎりまで呼吸を押し殺す。
リカがゆっくりと辺りを見回す。
その様子に左手側からなにやら怪訝そうな顔をしてミキが歩み寄り、同じように辺りを見回す。
人差し指に少しだけ力を込めて、シャッターを切った。
カシャ。
「…ぁ」
また?
すっと流れたはずのリカの視線が50メートルほど離れたこちらを見据えて、ファインダー越しに目が合う。
リカの視線を追うミキの鋭い眼差し。
右手側から駆け寄ってきて二人の視線を追うサユミ。
カシャ。
とりあえずもう一枚。
気づいてる?
辺りを警戒しながらもほとんど離れることのないリカの視線。ミキの射抜くような眼光。サユミの不安げな瞳。
ピントの微調整をしながら深呼吸をするようにゆっくりと息を吸い込んで、二つ止めてからゆっくりと静かに吐き出す。
相手はスナイパー。
そうだよね…。
こんな陰に隠れて見つめてたら、怪しまれるよね。
そこここで立ち上る重い灰色の煙。
今は占領した街の混乱を収束させながら警戒に当たっているわけで、本格的な戦闘自体は終わっている。
同行させてもらって取材しているはずなんだけど、なぜだかファインダー越しでにらめっこ。
そう思うとちょっとだけおかしかったけど、何があるかわからないとこだから、ただ息を潜めてじっと互いの様子を窺う。
パン!
パンッ!
遠くから聞こえた銃声。
傷だらけの銀色のボディを構える手のひらに汗がにじむ。
パン!
パンッ!
そして、また二つ。
どこかでささやかな小競り合いが繰り広げられているらしい。
「…!?」
引き金に指をかけたまま、すっとリカがライフルを構える。
スコープを覗く表情は相変わらず険しい。
タタタタッ!
軽快な破裂音が空に吸い込まれ、微かに聞こえてくる怒声。
「…よし」
ゆっくりとむりやり押し出すように細く息を吐き出すと、シャッター切った。
カシャ。
小さなカメラの中にまた一つ、時間を切り取る。
乾いた風がほこりを舞い上げながら走っていく。
相変わらずファインダー越しに、スコープ越しに見つめあう二人。
ドクンドクンと跳ねる心臓。
微かに震える指先。
「…ぇ?」
すっとリカがスコープから目を離した。
ライフルの銃身から右手を離すと、ミキとサユミになにやらこそこそと話しかけている。
「…なに?」
時々が笑顔が混じって、こちらの方に軽く向けられた人差し指。
ミキとサユミの顔にも笑顔が見え始めてくる。
さっきまでの緊迫感はどこへやら。ファインダーの向こうの和やかな空気。
なんだなんだ?
何があったの?
リカはにこっと笑った。そして、『せーの』って動いた唇。
「あ!」
リカとミキは指でLの字を作って顔の横でぴしっと止めてポーズ。
サユミは両手を頭の上にやってピースを二つ。
カシャ。
嫌なドキドキがすーっと消えて、なんかおかしくなってきて自分も笑っているのがわかる。
リカとミキは隣でぴょんぴょんと跳ねているサユミを見ると、にこっと笑った。
なるほど。これがうさちゃんピースかぁ。
カシャ。
シャッターを切って、3つ並んだうさちゃんピースをフィルムに収めた。
パン!
パン! パン!
風を突き破って聞こえてきた銃声。
リカ、ミキ、サユミの表情が変わった。
ファインダーから目を離すと、さっよりはずっと小さい3人の姿。
ピルの影から出て敬礼をしたら、ピシッときれいに整った3つの敬礼が帰ってきた。
そして、くるりと背を向けると銃声の方へと向かっていく。
カシャ。
小さな、しかしどこか気高く力強い後姿を見えなくなるまで見送った。
*
「はっ…はっ…」
兵舎の裏。ちょうど食堂の真ん中辺りの壁のそばで腕立て伏せをするレイナ。
穏やかな冬の太陽を浮かべて晴れた空の下、おんなじリズムで上下する体。
同じくらいの目線になるようにちょっと離れてしゃがむと、カメラを構えた。
「はちじゅうぃち…はちじゅぅに…はちじゅぅさん…」
顔にじんわりとにじむ汗。
カシャ。
くぁ…。
そばでちょこんと座っていたれいにゃが大あくび。
あ…。気づかなかった。
そそそっと少しだけ離れて、またカメラをレイナに向ける。今度はれいにゃも入るようにと構図を決める。
「きゅぅじゅぅぃち…きゅぅじゅぅに…きゅぅじゅぅさん…」
そのまましばらくテンポよく上下する小さな体をれいにゃと挟んで、黙々と腕立て伏せをするレイナを眺める。
ひゅうと時々走り去っていく木枯らしが短く揃えた髪をさらりと流す。
見上げれば薄く広がった雲。
昼下がりの太陽はもう少しけだるい様子で黄色く色づいている。
足元にもあちこちに枯葉。
「ひゃくさんじゅぅさん…ひゃくさんじゅぅよん…ひゃくさんじゅうご…」
くぁ…。
またれいにゃはあくびをすると、よいしょと地面に転がって体を丸めると目を閉じた。
ぽかぽかと小春日和。ちょっと冷たい風が時折吹くけれど、それなりにさわやかな冬の午後。
つーっとレイナの頬に汗が滑り落ちる。
「ひゃくごじゅぅご…ひゃくごじゅぅろく…ひゃくごじゅぅなな…」
相変わらずまったく衰えないテンポで上下する体。
時計を見たら5分近く経とうとしている。
カシャ。
滑り落ちる汗に一枚。
そして…。
カシャ。
淡々と筋トレに励むレイナと冬の日差しに包まれて眠るれいにゃを撮ると、とりあえず立ち上がった。
「ひゃくろくじゅぅはち…ひゃくろくじゅぅきゅぅ…ひゃくななじゅぅ…」
じゃぁ、あっちに行ってみようかな。
ひっそりたたずむ射撃場。
そちらに体を向けると、カウントを続ける小さな声を聞きながら歩き出した。
少し高い木の塀に囲まれたドアを開ける。
ギィッ…と軋んだ音を立てて板張りの床続くハンドガン用のショートレンジのスペースが続く。
しんと静まり返って誰もいないようなので戻ろうかと思ったが、どうせなら…と北側の窓から差し込む光の奥でひっそりと待つロングレンジ用のドアの方へと向かう。
ミシッ、ギシッと静かな小屋の中に響く思ったより大きな音に次第にヘンな緊張感が増してくる。
ものの数歩であっという間にドアにたどり着くと、少しさびがついたノブをゆっくりと回した。
キィッ……。
甲高い声を上げてゆっくりとドアを開ける。
そっと顔だけ出して中をのぞいて見ると、奥から2番目と3番目のスペースに並んでライフルを構えるリカとサユミ。
ぎりぎりまで抑えた呼吸。張り詰めた緊張感。
中に入ってカメラを構えると、ファインダーを覗いてゆっくりと呼吸を合わせてみる。
ぴーひょーととんびの声。
グレーのウールのジャケットでも肌寒く感じる風が揺らす木の葉の音。
穏やかな日差しと、午後のゆるやかな空気の揺らぎを肌で感じる。
あぁ…。なんかこの世界…わかるかも。
ファインダーを通して一点、リカとサユミの表情に集中する。
手のぶれ、鼓動を感じながらそれらをゆっくりと静かに呼吸の中に抑え込む。
今、世界の真ん中にいる。
絞りを調節して、ピントを合わせると1枚の画面の中にリカとサユミの凛とした横顔を収める。
ふっと息を止めた。
カシャ。
この空間では思ったより大きいシャッター音にも微動だにしないリカとサユミ。
やわらかい日差しの中の美しい二つのシルエットをカメラに収めると、そっとドアを閉めた。
さて。
ひっそりとした射撃場を出ると、レイナが黙々と筋トレをしていた方に二つの後姿を見つけた。
ノゾミとマコトだ。
行ってみると、
「しーっ」
ノゾミが人差し指を唇に当ててみせる。その手にはマジック。
見てみると、大の字になって眠っているレイナ。そしてその傍ら、右腕を枕にしてぴったりと寄り添って眠るれいにゃ。
マコトがつんつんとレイナのほっぺを突いても起きる様子はない。
「んふっ」
「ぇへへっ」
ノゾミとマコトは顔を見合わせて笑うと、きゅぽっとマジックのふたを開けた。
あーあぁ…。かわいそうに…。
さっきじっと見てたから、もしかしたらムリさせちゃってたのかな…そんなこと思いつつ、カメラを構える。
きゅっきゅっと音を立てて、レイナの顔にひげが一本、二本…。
カシャ。
まずは1枚。
シャッターを切ると、今度はノゾミからマジックを受け取ったマコトが鼻の頭を塗りつぶす。
カシャ。
そしてもう1枚。
「でーきたっ」
「あはっ。なんか兄弟みたいだねぇ」
青い空の下、仲良く転がって眠る二匹をカチリとフィルムに収める。
そしたらノゾミとマコトがこっちを見て『ぐっ、じょぶ』って親指を立ててニカッと笑うから、もう1枚。
「よしっ。マコト、行くぞ!」
「おーぅ!」
マジックを片手にばたばたとノゾミとマコトは走っていった。
残されたネコ2匹。
足音にれいにゃが頭を上げたが、またすぐに転寝の世界へと帰って行った。
*
トントントン…。
軽やかな包丁の音。
炊事場を覗き込んだら、お気に入りの淡いピンクのかわいいエプロンをつけたカオリが夕食の仕度に取り掛かっている。
考えてみれば一部隊の隊長が自ら炊事を行うというのも珍しい。そんなところがこの隊ならではなのかな…そう思いながら、軍支給のチョコレート色のVネックのニットにそんなピンクのエプロンはなんかそこはかとないエロスというかアダルトな感じがして、いやにそそる。
…。
いや、そうじゃないけど、そうじゃないんだけど…でも、なんか……セクシー。
ちょっと別世界。
そんなことを思いながらカシャッとフィルムに収めると、シャッターの音に気づいたカオリはことことと煮込んでいる寸胴にお玉を入れると、
「はい。どうぞ」
醤油でキツネ色に色づいてみごとな照りを見せるサトイモを楊枝に刺して口元へと差し出した。
「わ! いただきまーす! …あちっ!」
ほくほくのサトイモ。鶏肉と一緒に煮た甘辛醤油の絶妙なバランス。
「おいしーです!」
「ふふ。ありがと」
ふんわりと微笑むカオリの後ろで、勝手口のドアを全開にして顔をひょこっと出しているノゾミ、マコト、サユミ、レイナ。
カシャ。
むーっとうらやましそうな顔やらきらきらと目を輝かせている顔をフィルムに収める。
「みんなはお夕飯までガマン。いい?」
カオリの言葉に残念そうな「はーい」という4つの返事。
クスッと微笑むカオリ。
バタバタと走っていく4つの後姿を見送ると…。
トントントントン…。
また軽やかな包丁の音が炊事場に木霊する。
ことことと煮込んでいる鶏肉とサトイモの煮っ転がしの醤油のにおいが鼻をくすぐる。
開け放たれたままの勝手口の向こうは、もう夜の帳が落ちようとしていた。
■ ■
『
隊員を前に敬礼するカオリのどこか不安げな影の差す厳ししい表情。
』
『
整列して敬礼するリカの強いまなざし。
ミキのまるで怒ったような横顔。
ノゾミの真剣な表情。
くっと口を真一文字に結んだマコト。
キリッとした表情をしててもどこかかわいいサユミ。
不安と緊張に少し強張ったレイナ。 』
『
ガタンと揺れたポンコツトラックの後姿。
』
『 ノゾミとマコトを追いかけるマジックペンのネコひげを生やしたレイナ。
』
『
イチョウ並木。枯葉の敷き詰められたレンガ道の上、手を繋ぐミキとリカ。
背景にちらほらと見える凶弾に倒れた屍。
』
白と黒のモノクロームの中にり取られた色鮮やかな光景。
写真を机の上に置くと、窓に向かって両手を構えて親指と人差し指で枠を作り、んー…と片目で遠目から覗き込む。
指で作った枠の中には手を繋いで歩くライムグリーンのストライプの制服姿のリカと銀色のトレーを脇に抱えたミキ。
「エリカちゃん。なにしてるん?」
伝票整理をしていたユイが不思議そうに首を傾げた。
「うん。シャッターチャンスかなーって」
枠の向こうを楽しそうに覗き込むエリカ。左目をつぶってしきりに構図を決めようとしている姿にユイは手を止めると、窓の外の二人を窺いながら同じように指で枠を作って覗き込む。
今日の配達もすでに終わって、伝票のチェックを終えたエリカの机に散らばる白黒写真。
そしてふと目をやれば、シンプルな写真立ての中で肩を組んで笑うエリカ、リカ、ユイ。
エリカは1枚の写真を手に取った。
ライフルを手に、遠く、何かを見つめる横顔は、どこかはかなくて美しい。
華奢な体を包んでいたサバイバルジャケットはライムグリーンのロングスリーブのシャツに変わった。
たった1年。
見習いの戦場カメラマンだったエリカ。
戦地で父親を失って事務のパートをしながら夜間高校に通うユイ。
不思議なもんだよね。
まだ1年。
もう、1年?
ファインダーの向こうにいた存在は、今こうして近くにいる。
モノクロームの世界の中の鮮やかな表情。
追いかけて、時間の一つ一つを小さなフィルムの中に収めて…。
見つめ続けてきた世界の続きを見ている自分。
エリカは再び指で枠を作ると、歩いてくるリカとミキをフレームに収めた。
それに気づいたリカとミキは大きく手を振ると、いったん顔を見合って、指で作ったL字をぴしっと顔の横へ。
「カシャ」
そして、今度は…。
「うさちゃん…ぴーす!」
はしゃいだ笑顔のうさちゃんピース。
やっぱり後ろには鮮やかで穏やかな冬の青い空。
「カシャ」
胸の中に収めた2枚の写真。
「エリカちゃん?」
「ん?」
どこか不安そうに見つめるユイに、エリカは指で作ったフレームを向けた。
「ユイちゃん。はい! チーズ!」
リカとミキにつられたのか、ぱっと飛び出した笑顔炸裂のうさちゃんピース。
「カシャ」
新しい写真をまた胸の中に1枚。
色鮮やかな日々を胸に、そしてモノクロームのフィルムの中に収めていこう。
見つめ続ける時間と表情は、いったい何を物語るのだろう。
窓の向こうは相変わらずよく晴れて青い空。
「ただいまー。配達終わりましたー」
「こんにちはー。お皿取りにきましたー」
のんびりとしていた事務所の空気がわっとにぎやかに華やかに変わる。
時計の針がゆっくりと午後3時を過ぎ去って、他愛ないおしゃべりとともにのんびりとしたティータイムが始まろうとしていた。
(2005/10/3)
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