ラムネの味と秋の空

 天高く…。

「んにゃぁっ!」

 レイナ、翻る秋。

 ビターンッ!

 大の字に叩きつけられて、目の前の空は青かった。

 くぁ…。
 ずっと特訓を木陰で見つめていたれいにゃがあくびをする。
 よっこいしょと立ち上がると、うーーーんっと体を伸ばして、またくるくるとその場を回ってポジションを確認。
 パタパタと木陰に泊まっていたすずめが連れ立って飛び立つ。
 れいにゃはまたよっこいしょと座って体に顔をうずめて夢の中へ。

 雲一つない青い空。
 はぁ、はぁとなだらかな胸を上下させて、ぼんやりと高い空を見つめていたら、ひょこっと目の前に現れたミキ。
「ほら。もうおしまい?」
 ロリポップの棒をふらふらと動かしながら、ぺちぺちと頬を叩く。

 いつもどおりの午後の特訓。
 かれこれ1時間。
 蹴っては殴られ、殴っては蹴られて、吹っ飛ばされて…。
 おもしろいようにコロコロと転がるレイナはすでに泥だらけ。
 振り上げた拳も繰り出した蹴りもミキにかすりもしない。
 ふらふらと動く白い棒が妙ににくったらしい。

 レイナは揺れ動く棒をじっと見つめていたが、んー…と小さく唸って、むくっと起き上がった。
「…」
 ミキも隣にぺたんと腰を下ろして胡坐をかくと、
「レイナ?」
 どこか複雑そうに眉をしかめたままうつむくレイナの背中を撫でた。
 叩きつけられた背中を労わるようにやさしく上下する手のひら。
「なんかあった?」
「みきねぇ?」
 うつむいていた顔がぱっとミキの方へと向いて、わずかに見開いた目が戸惑うように揺れている。
「今日、ずーっとぼーっとしてたよね。いつもみたいに気合も感じなかったし」
「…」
 またレイナがうつむいて、ミキはポンポンと背中を叩いた。
「…みきねぇ」
「ん?」
「ぅん…」
 ふ…と零れ落ちたため息。
 レイナはぎゅうっと握り締めた右の拳をなんとなく所在無げに包み込んだ左手でいじり始めた。
「みきねぇ、レイナ…ようわからんちゃ」
「ん? 何が?」
「あん人たち…なんで戦かっと?」
「…」
「あん人たち…違う…」

    市街地の攻防。
    敵軍の兵士にまぎれて武装した人たち。
    むき出しの憎悪。
    向けられた銃口。

「わからんちゃ…」
 左手がぎゅうっと右の拳を握り締める。
 ミキは下を向いていた白い棒をひょいっと口の中のロリポップを舌で動かして上に上げると、空を見上げた。

 延々と青い空。
 たてにも横にも延々と広がるだけの青い空。

 じーっと見つめても答えが出るわけでもない。
 ミキはポンと肩を叩くと、そのままレイナを抱き寄せた。
「きっとさ、守りたいものが…あったんだよ」
「みきねぇ…?」
「ありきたりだけどね」
 そう言ったミキの顔は空を見つめたまま。
 レイナはまた不満そうな顔でうつむいた。
「それだったら軍に入ったらいいっちゃ」
「できない事情があるんでしょ?」
「でもっ…!」
 顔を上げて、でも、その先の言葉が続かない。
「…でも……」
 吐き出された重いため息はさわやかな秋の空に溶けて消えた。
 抱き寄せていた手をぽんっと頭に乗っけてよしよしと撫でるミキ。
「いい気分じゃ…ないよね」

   自分とレイナを狙っていた街人を狙撃したリカ。
   見上げた窓。
   映っていたのは薄い水色の空と煙の影。

「でも、銃を持って向かってくるのは民間人であろうと敵だから」
「…」
 唇を噛むレイナ。
 ミキはごそごそとワークパンツのポケットを探ってロリポップを取り出すと、ぺりぺりと青い包装紙を剥がした。
「って、やっぱ割り切れるもんでもないけどね」
 ひょいとレイナの口元に差し出す。
 レイナがちらりとミキを見上げると、ほらと軽く上下に揺れた水色の飴玉。
 ぱくっと銜えると、ミキは棒から手を離してまたレイナの肩に手を置いた。
 ゆっくりと広がるラムネ味。
 なんとなく奥歯で軽くがしがしと噛みながら、それでもすっきりしない胸のうち。
「甘くなか…」
「そりゃぁね」

 戦争だからね。

「だから、捨てられないものがあるんでしょ」
「みきねぇ…」

 捨てられないもの。
 誇り? 命? 家族? 仲間? 街?

 守るもの。
 守れないもの。
 諦めるもの。
 諦められないもの。

 守りたかったもの。
 諦められなかったもの。

「自分の命…捨ててもさ」
「…」

 そこになんの価値があるんだろう?

「みきねぇ」
「ん?」
「みきねぇ、何で入ったと?」
 ロリポップを銜えたまま、真剣な瞳で見つめるレイナ。
 ミキはしばらくじっと無言で見つめ返していたが、やがてふっと空を見上げた。

    山と草しかない真っ赤な夕焼け小焼けの帰り道。

   『やーい! でーこっ!』
   『はーげっ!』
   『でこおんなーっ!』

    やんやと騒ぎ立てる男の子たち。
    これくらいならまだかわいいもの。
    腕っ節に自信のあるミキもまだ怒らない。

    しかしコドモは残酷で、

   『へへーんだ! もらわれっ子ぉーっ!』

    カチン。

    くわっとにらみつけたミキの目に騒いでいた男の子たちの声がやみ、引きつった笑い顔のまま固まった。

    のほほんとした田舎道。
    ほどなくして響き渡る男の子たちの泣き声。

「強く…なりたかったから」
 そう言えば、帰ってからお母さんに叱られたっけ…。

   『女の子がとっくみあいのケンカなんてしないのっ!』

 思い出して懐かしさと一緒にこみ上げる苦笑い。
 呟いて、じっと見つめる視線に気づいた。
「レイナ?」
「一緒っちゃ。レイナも強くなりたかった」
 ぎゅっと握り締められたままの拳。気持ちを抑えつけるように拳を包む左手。

 町では誰にも負けなかった。

    もっと強くなりたい!
    そしてみんなを守るんだ!
    悪いヤツらなんかみんなレイナが蹴散らしちゃるたい!

 そして立った戦場。

 戦う相手は兵士だけじゃないという現実。

「でも…やっぱりわからんちゃ。なんでふつーの人、撃たないかんと?」
「…」
「これじゃ…ただの人殺しとかわらんっちゃ…」
 うなだれるようにうつむいて、何度も何度も唇をかみ締める。
 ラムネの味もどこかほろ苦い。
 ミキはゆっくりと息を吐き出した。
「レイナ」
「はぃ?」
「うちらはさぁ、人殺しなんだよ」
「…! みきねぇ…?」
「兵士だろうが民間人だろうが、銃持って向かってくれば一緒なんだよ」

 軽やかな銃声。
 着弾した砲弾が地面を小さくゆする。
 あそこで、こんどはここで…。

 遠くに聞こえる悲鳴。
 怒鳴り声。

「降伏をしない者は?」
 ミキがじっとレイナの目を覗き込む。
 レイナは唇をかすかに尖らせて目をそらした。
「……」
 敵である。
「だから、撃つ。それが決まり」

 キレイゴトがまかり通らない。
 そこはそんな場所。

「強くなりたい…か」
 ミキはそう呟いて、顔を上げた。

 ぴーひょろと遠くでとんびが輪を描いている。
 秋の空にすーっと細い雲が流れ始めて、金色に色づきはじめた日の光にミキは目を細めた。

「強さって…なんなんだろうね」
「みきねぇ…?」
「ミキも強くなりたいと思った。レイナも強くなりたいと思った」
「…ぅん」
「けどさ、強いから生き残れるわけじゃない」

 もしかしたら、強いから死んでしまうのかもしれない。
 だけど弱いからといって生き残れるかといえば、それもわからない。

 そもそも何が強さで、何が弱さなのか。
 それすらわからなくなる。

 ただ運が悪いだけ?

 死神に聞けるものなら、その基準、聞いてみたいもの。

「強くたって…」

 ぴーひょろー。
 とんびが鳴いた。

 高い高い秋の空。
 澄み渡るような青が寂しげに思うのは、たぶん気のせいだろう。

「…」
 がりっと飴を噛み砕くレイナ。
 ラムネの味はわからなかった。
 唇を尖らせて、眉間にしわを寄せて、小さな小さな胸の奥、戦っているのは理想と現実。
 真剣に考え込むその横顔にミキはほっとした。

 街の住人から激しく抵抗されるのは初めてではない。
 自分の住んでる街が奪われようとしているのだから、然るべきこと。

 だけどその意味にそれだけ深く思い悩む。
 そのことの意味。そのことの大切さ。

 ミキはポンと肩を一つ叩いた。
「みきねぇ…」
 肩に乗っかている手のあたたかさ。
 ぐっと力が入って、その加減にふと安心した。
「レイナ」
「はい」
「負けるなよ」

 自分に。
 そして、戦争に。

 ただの人殺しになっちゃいけない。

 何を守るのか、何を奪うのか。

 そのすべてから目を逸らさないで、生きていく。

 それがきっと、本当の戦い。

「はい」
 レイナはうなずいて、ふと、サユミから聞かされたスナイパーの心構えを思い出した。

  『銃を手にするということは、命を奪うこと』
  『その重さを受け止めて、背負って生きていくの』

 ぴーひょろー。
 高い高い空の中、とんびがまた鳴いて、くるりくるりと輪を描く。
 すーっと流れた雲が3本ほど、青い空の中をまっすぐに南西から北東へと流れていた。

 雲が出てきて、陽射しがあっても冷たさを感じる風がひゅうと兵舎前の空き地を駆けていく。
 木陰から出て日向を求めてのてのてと歩くれいにゃの後ろ姿。

 レイナは射撃場を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
 まだカオリもリカもサユミも入っていないので、いつものようにひっそりとしている射撃場。もっともショートレンジでの練習に来たノゾミとマコトがいたとしても、ひっそりと静かな不思議な空間とも言える稀有な場所でもあるのだが…。
 ミキもそんなレイナの目線を追いながら、よいしょと立ち上がった。
「そういえば、レイナ、射撃の成績落ちたんだって?」
「うっ…。そっ…そんなことなかっ!」
「でもサユから赤点ぎりぎりって聞いたけど」
「でもちゃんと補修逃れたっちゃ!」
「ふーん。逃れた?」
「あっ…!!」
 しまったと慌てて口を押さえるレイナ。
 にやにやと笑うミキ。

「ミキちゃん?」
「レイナ?」

 どうやら射撃場に向かうらしいリカとサユミ。
 レイナはがばっとサユミに掴みかかった。
「さゆっ! こないだの射撃の成績ナイショって約束したじゃん!」
「え? そうだっけ…って、あっ!」
 サユミがぱっと両手で口を隠した。
「もぉーっ。さゆぅっ!」
「へへへっ。ごめん! ごめんね。なんかね、ついね」
 苦笑いでごまかすサユミ。
「レイナはちゃーんと約束守ってるのにさぁ」
「ほんっとごめんね! レイナ」
 とはいえ、あんまり悪いと思ってないようなサユミ。
「あぁーっ! もぉーーーっ!」
 地団太を踏むレイナ。

 リカはそんな二人に首を傾げた。
「どういうこと?」
「あぁ。レイナ、軍学での射撃、赤点すれすれだったんだって」
「ふーん。あ、それをサユが…」
「そう。ミキに言っちゃった…と」
「ふーん。そっか。それでか」
 くすくすと笑うと、リカはぽんとレイナの肩を叩いた。
「うわぁっ! もぉっ! っぁ…いしかーさん!?」
「じゃあ、これから少し練習しよっか」
「はいっ!」
 膨れっ面が一転、ぱあっと満開に笑顔が咲く。
 リカはサユミに確認して了承を得ると、
「ミキちゃん、いい?」
「ん、あぁ。うん。いいよ」
 まあ、でも、二人っきりじゃないしね。
 とは言ったものの、あんまりにもうれしそうなレイナの笑顔がちょっと気に入らない。
 レイナはにひっと笑った。
「サユ、みきねぇに特訓してもらえば?」
「えっ!?」
「レイナ!?」
 ちょっとまって言わんばかりに驚くミキとサユミ。
 レイナはにかーっと笑った。
「サユだって体技赤点ぎりぎりだったじゃん」
「レイナっ…それは」
 とサユミが言いかけるより早く、
「じゃあ、ちょうどいいじゃん」
 とリカ。
 当然ミキが黙っちゃいない。
「ちょっと待ってよ! リカちゃん!?」
「だって、特訓終わってるんでしょ? ほら赤点同士だし、たまにはとっかえっこ。いいよね?」
「あー……ぅん…」
 眉間に少ししわを寄せて、にっこりと微笑むリカに返す言葉のないミキ。
 そーなんだけどさぁ……。
 おもしろくない…と言わんばかりミキ。
 それを受け流しているのか気づいてないのか笑顔のリカ。
 みきねぇも、けっこうコドモっちゃ。
「ふふっ…。くくっ」
「レイナ?」
 サユミが不思議そうに顔を覗き込み、ミキに無言でにらみつけられる。
 ニカッとレイナはミキに笑って見せると、リカの手を取った。
「じゃっ、イシカーさん、お願いしますっ!」
「うん。行こうか」

 しっかりと手を握って射撃場に歩き出す。
 みきねぇ。たまにはレイナにもイシカーさん、独占させて。
 たまにはよかと?

 ふと口の中に広がったラムネの味は、びっくりするぐらい甘かった。

 のんびりと秋の午後。
 細く流れた雲を泳がせる青い空。
 弾けるような銃声の音。
 地面を蹴る足音。
 高く高く風に乗って吸い込まれていく。

 くるくると輪を描いていたとんびはどこかに飛び去って、白い月がひっそりと東の空に浮かんでいた。    

   

(2005/2/11)

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