赤い夕暮れ、藍色の夜

 夕暮れの赤い空。
 早い早い、駆け足の冬の夕暮れ。
 朱色に染まった大きな雲が流れる。

 ぶぅんぶぅんと唸りをあげてひたすらに走るポンコツトラック。

 行く先はベースキャンプ。

 ようやく顔を出そうとしている太陽の白い光に薄められた青い青い冬の空。
 相棒に乗り込むおとめ隊にまとわり付く吐きそうなほどの緊張感。
 冷たい冬の朝の空気はひどく新鮮で、そんな張り詰めた空気を解くような吐き出した息の白さがなんかうれしかった。

 そして、それから10時間。
 ところどころわずかに凹んだ車体を赤く染め、長い影を引き連れて走る相棒。

 ラジオから流れる歌はやけに軽やかで、リカはなんとなく2フレーズ口ずさんで、ラジオを消した。

 開け放した窓から流れる冷たい冬の風。
 それでも軍支給のボアライナーのコートに守られ、奥底でまだくすぶったまま消えない興奮が冷たい空気をほしがった。
 ミキはリカが口ずさんだフレーズを口笛で吹くと、少しだけシートを倒してダッシュボードに足を乗せた。

 ひゅう、ごぅと唸る風の音。
 タイヤがアスファルトに削られて時速87キロでまっすぐな道を行く。
 赤く染まった荒野の中の一本道。

 ゆるやかなカーブにあわせて動かすハンドル。
 なんとなく零れた疲れたため息。
 ミキはうーんっと一度体を伸ばすと、そのまま腕を頭の後ろにやって、ごそごそと座り直した。

    ドーンッ!

    大地が泣いた。

    ダダダダダダダッ!
    タタタタタタタッ! タタタタッ!

    タタタタッ!
    タタタンッ! タララッタララララララッ!

    歯を食いしばって振動を受け止める。

    全身が震えてる。
    怖いから?
    それとも手にした銃が震えるから?

    一つ二つと着弾する砲弾の音に紛れた銃声は味方のもの。
    音もなく瞬きだけが知らせる凶弾の存在。

    塹壕に身を潜め、また顔を出して、また隠れて、また顔を出して…。

    タタタタタッ!
    タタタタタタッ!

    引き金を引く。
    この音も、きっと彼らには聞こえてない。

    たぶん。

    感じる死の気配。
    聞こえるのは天国への足音。

    くそっ! こっちくんじゃねぇっ!

    ギリッ…。

    味のなくなったロリポップの棒を奥歯で噛み潰す。

    ひゅーーん……っ…。

    頭の上を飛んでいく砲弾。

    タタタタタタタッ!
    タタタタタッ!
    タタタタタッ!

   『はっ! ちきしょおっっ!』

    また誰かが天国への階段を駆け上がっていく。

    タラララララッ!
    タララララララッ!

    ドンッ!

    大地が泣いた。
    震えながら悲鳴を上げて。

 零れ落ちて風にさらわれた疲れたため息。
 ミキはコートの胸ポケットからロリポップを出すと、けだるそうに包装を剥して銜えた。
 ピンクグレープフルーツのすっぱさが妙に心地いい。
 少しだけ眉をしかめると、ころころと舌で転がしながら、ポンコツトラックに寄り添うように走る夕焼け色の雲をなんとなく見つめた。

 ドゥルルルルルル…。

 ヴンと唸るエンジン。
 ザリザリと砂利を噛み、黒い息を吐き出して必死に走るタイヤの音にまぎれて、荷台から聞こえてくる気の抜けたブルースハープの音。
 微かにビブラートして、歌にもなっていないバラバラのメロディーは夕暮れの空に力なく消えていく。

 ノゾミはカオリに体を預けて、わずかに差し込む夕日に照らされた疲れた荷台の底材の木目を虚ろな目で見つめている。
 銜えたブルースハープから弱弱しく漏れ出すメロディー。

   『きゃぁぁぁぁぁっ!』

    風がゴウと怒った。

    塹壕にうずくまり、風の唸りが消えるの待つ。

    ゴウ、ゴゥッ。

    風が唸る。
    その間を掻き分けて、飛び込んでくる鉛玉。

    トトトトトトッ!

    トトトトッ!
    タラララッ! タラララララララッ!

    ドン!

    大地が叫ぶ。
    体が一瞬小さく浮いて、舞い上がった砂埃の茶色い景色が涙で歪んだ。

   『はぁ…っ。んぐっ!』

    ひゅーん…。

    頭の上を金切り声を上げて飛んでいく砲弾。

    ドドドドドッ!

    5メートル先の地面が吹っ飛んだ。
    激しく足元が揺れて、大地が泣き叫んでる。

    青い空に向かって立ち上がった爆風からやってきて小さな体にぴたっとしがみついた死の臭い。

    “ おいで。こっちに。 ”

    『ぅぁ…ぅあああぁぁぁぁぁぁぁっ!』

     ダダダダダダダダダダダダダダダッダダダダッ!

 淡い呼吸と一緒にふわーっと音符を吐き出すブルースハープ。
 ぷわーっ…。
 和音を奏でる疲れたため息。
 すとんとブルースハープを持つ右手が落ちる。
 ノゾミはカオリの胸にしがみつくと目を閉じた。

 マコトはブルースハープを握ったままの右手の上にそっと手を重ねた。

   『のんつぁんっ!』

    びりびりとすすり泣く大地。

    怯えた目をしてゆっくりとうなずくから、力強くうなずき返して前向く。

    タタタタタタタタッ!

    パチパチと瞬く赤い火花。

    くっと体が強張る。

    はぁ…っ、はぁ…っ…。

    ダダダダダダタッ!
    ダダダダダダダダダダダダダダッ!

    赤い火花を噴く銃口。
    人差し指に痛いくらいに込められていた力が段々と記憶からかすれていく。

    ひゅーん…。
    ひゅーーーーーーーんっ…。

    やだ…やだ…っ!
    あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

    ダダダダタッ!
    ダダダダダタッ!

    人差し指の感覚が記憶から消えた。
    パパパパッ、パパパパッと閃いた赤い火花は妙に冷たい。

    ドン!

    ドーン!

    目の端にゴミのように吹き飛んだ人の姿。
    腕、足、たぶん体のどこか。

    歯を食いしばって、ただ前を見た。

 マコトはぎゅっとノゾミの右手を握り締めた。

 ぶるるるるん…。

 ポンコツトラックは赤い夕焼けの中をひた走る。

 カオリはノゾミとマコトの髪をそっとなでると肩を抱き寄せた。
 二人から零れたため息には微かに安堵の色。
 小窓から射す夕焼けの赤い光は今日の終わりを告げるというのにきらきらしていて、カオリはなんとなく目を細めて微笑んだ。

    スコープの向こう。
    二つの小さな背中が微かに震えていた。

    潜んでいる塹壕からいくらも離れていないところが次々と弾けては吹き飛んで大地を抉り取る。
    そのたびに照準がぶれ、じりじりと募る苛立ち。

    ふぅーっ…はぁ…。

    スコープの向こう。

    耳に聞こえる砲弾。

    ドンッ!

    ドンッ!

    消えろ…。消えろ…。

    タタタタタタタッ!
    タタタタッ!

    消えて…。うるさいっ!

    タタタタタッ!

    ドンッ!
    ドゥンッ!

    悲鳴が聞こえた。
    唸るような声。痛みを切れずに張り上げた声。

    目を閉じて、もう一度ゆっくりと息を吐く。

    …。
    …ぁ…。
    ぉ……ぃ………ぁ…。

    目を開けて、スコープの向こうを睨む。

    ……。
    …。

    引き金にかかる指に力を込める。

 きらきらと光る赤い夕焼けの光。
 疲れた体をやさしく包んでくれるようで、カオリも目を閉じた。

 ガタンガタン。

 ポンコツトラックが小さな石を踏んでガタガタと飛び跳ねながら、その振動がゆりかごのようで気持ちがよくて…。
 帰り道。
 ゆらゆらと漂って疲れた体は夢の中に遊びに行きたがる。
 エンジンの音。
 タイヤが荒れた路面を走る音。

 レイナはサユミの手を握ったまま、じっと小窓の向こうの赤い景色を見つめていた。

    タタタタタタッ!
    タタタッ! タタタタタッ!

   『うぁぁぁぁっ!』

    パチパチパチ!

    銃口が閃く。
    鋭い光は刃物のように胸を突き刺す。
    飛んでいった銃弾は兵士の体を一つ二つと弾いて消えた。

    行く先はたぶん青い空の中。
    そういうことにしておこう。

    パララララララッ!
    パララッ!
    タタタタタッ!

    銃の振動で体が痺れる。

    ひゅーんっ…。

    ドンッ!

    ドンッ!

    砲弾が着弾した地面の衝撃が漣のようにさーっと広がって足元を揺する。
    大地が震えて、体がふわっと浮いて、心臓がひやりといった。

   『くぁっ…。くっ!』

    血が出るくらいに強く唇をかみ締めて、悔しいのか、辛いのか、痛いのか。

    怖い。
    負けない。
    逃げたい。
    逃げない。

   『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』

    引き金を引く。
    ひたすら引く。

    タタタタタッ!
    タタタタッ! パタララララララッ!

    唇の端を血が伝っていった。
    袖で乱暴に拭き取って、しっかりと前を見る。

    戦場の姿。
    人と人とがただひたすらに殺しあう、ただ結局はそれだけの場所。

    しっかりと前を見る。
    息を一つ吐いて、引き金に指をかけなおす。
    目を逸らさずに見つめていた向こうの空が砂埃で茶色く煙った。

 夕焼け小焼け。
 カラスがどこかで鳴いて、レイナはサユミの手を握り締める手に力を込めた。
 ノゾミとマコトはカオリにもたれかかって目を閉じている。なんとなく安心したような、だけどまだ残った余韻は神経を興奮させたままで、重く重くのしかかる疲労感の中に身体を沈みこませるだけで、結局は目を閉じただけ。

 サユミはうっすらと赤く照らされたレイナの横顔をぼんやりと見つめていた。
 そっと繋いでいる手を引いて引き寄せると、ふらりが倒れこんできたレイナの体を受け止めようとすっと体を寄せてもたれかかった。
 肩と肩を寄せて、繋いだ手を膝の上において、サユミはまだ眉をくっと吊り上げて怖い顔をしているレイナに微笑みかけた。

 レイナ。今日は、もう終わったんだよ。

 サユミはもう片方の手で痛いくらいに手を握るレイナの手を包んだ。

    小さな背中がさらに小さく感じた。

    一つ後ろの塹壕から目だけを出して前方を伺う。
    再び火を噴き始めた銃口の振動を受け止める体。
    深くかぶった迷彩柄のヘルメットの薄いひさしの影の瞳もきっと震えてるんだろう。かすかに。本当にかすかに。
    なのに、歯を食いしばって…。

    ダーン!

    ひゅうと音を立てて、砂色の長い砲身から弾き出された砲弾があっという間に頭を越していく。
    塹壕に屈んで壁に強く身体を押し付けた。

    ドンッ!

    唸りを上げて地面が揺れて、頭を抱えてさらに身体を丸めた。

   “ うぁぁぁぁぁぁぁぁっ… ”

    まだ大地が唸ってる。

    泣かないで…。

    それでもまだ足元の震えは止まらない。
    体を起こして、前方に背を向けて塹壕の壁にもたれかかった。

    熱のこもったヘルメット。
    汗で張り付いた前髪。
    つぅっと頬に向かって落ちる雫。

    内側の汗でまとわり付く袖でゆっくりとぬぐって、大きく息をつく。

    ターン…。

    ヒュッと頭の上の方を何かが過ぎった。

    タタタタッ!
    タタタタタタッ!

    パララッパララララッ!

    テンポよくリズムを刻む破裂音。

    銃を構えると、少しだけ塹壕から目を出して前を伺う。

    パチパチときらめく銃口。
    迎え撃つ小さな背中はまだかすかに震えてて、それはいったい、何のせい?

    後ろの方からかすかに遅れて聞こえる銃声。
    兵士が一人、『あっ』といって倒れた。

    大きく息を吸い込んで、2拍ほど止める。

    …ターン…。

    引き金に指をかけ直すと、ゆっくりと息を吐き出した。

 かすかに肩にかかる吐息。
 眠ったのかと思って顔を覗き込んだら、まどろんだ瞳がゆっくりとサユミを映し出して、ふわっと笑った。
「…ありがと」
 エンジンの音にかき消されそうな呟きにも似た言葉。
 サユミは寄せていた肩を引くと、そのまま膝の上にレイナの頭を乗っけた。
「…ぁ…」
 何か言いかけて、でも疲れた体が無駄な言葉を言わせたくなくて、おとなしくサユミの膝に甘えるレイナ。
 そっと頭に手を乗せると、まだこわばっている体を落ち着かせるように髪を梳き始めた。
 レイナはきゅうと顔をサユミのおなかにうずめて目を閉じた。

 ドゥルルルルルルル…。

 エンジンの音は低く低く、時々ガクンと飛び上がっては時速80キロで駆け抜ける夕焼け色の赤い道。
 小窓の向こうに目をやれば相変わらず赤く染め上げられた大きな雲が隣を一緒に流れていく。

 ゆったりと広がる雲はいつの間に群れを成して並んでいる。
 低いところから少しずつ青の濃さが増していく東の空。
 エンジンの音、アスファルトをタイヤが踏み続ける音。
 淡々と続く景色と音にリカはまたカーラジオのスイッチを入れた。

 疲れきった夕暮れには少し場違いなかわいらしい恋の歌がステレオから流れる。

 ちらりと横を見ればミキはなんとなく窓の方を向いたまま目を閉じていた。
 ギアに乗っけたままの左手を伸ばしてそっと目にかかった前髪に触れたら、「んん…」と小さく唸って、ゆっくりと目を開けた。
「リカちゃん…?」
「起きてたんだ」
「なんかね…。寝れなくて」
 シートを起こしてダッシュボードから足を下ろすと、うーんっと体を伸ばして疲れて軋む体に新鮮な空気を送り込む。
「そっか」
 リカの左手が今度はハンドルへと戻ろうとしたところをミキはすかさず捕まえた。
「うん…」
 捕まえた左手に右手の指を一つ一つ絡める。
 リカはちらりとまた視線を投げてその手を見ると、視線を上げた。
 繋いだ手を大切そうに包んでいじりながら、少しまどろんだやわらかい表情で微笑むミキ。
 ふ…と、なんとなくリカの肩から力が抜けた。

    スコープの向こうは砂埃で煙っていた。

    乾いた血の臭い。
    乾ききった冷たい風が長袖のカーキオリーブの厚手のジャケット越しに肌を突き刺す。

    …。
    すぅっ…。ふっ…。

    呼吸音すら潜めるように、小さく小さく吐き出した息。
    風がさらって、つんと鼻をついた死の臭い。

    タタタタタタタッ!
    タタタッ!

    パララッ! パララララララッ!

    トトトットトトッ!
    トトトトッ!

    ひゅーん……。

    ダダダダダダッ!

    ドンッ!

    ……。
    大きな振動。
    地面にうねるようなタテの波。
    そしてざわざわどよめいて後を突いていく小さな振動。

    かすかに銃身がぶれて、ぴりぴりと緊張感と苛立ちが交じり合っていく。

    ……。

    涼しい表情に苛立ちをにじませて、前進を試みながら引き金を引き続けるミキ。
    ようやく震えが止まって耽々と前進の機会を窺うノゾミ。
    ミキ、レイナ、ノゾミの援護をするマコトの不安げな背中と強く歯を食いしばる横顔。
    わずかに動揺していたカオリの気配が消えた。
    レイナの小さな小さな体が塹壕から飛び出して、銃弾の波を突っ切っていく。
    サユミの放った弾丸が前方の敵兵を真後ろに弾き倒した。

    …。

    ゆっくりと腹の底からすべての息を吐き出す。

    スコープに映る兵士の顔。
    顔を覚えるより早く引き金を引いた。

    ジャキッ。

    空の薬莢が飛び出して、新しい弾丸を装てんする。

    …。

    また息を吐いて、その音すら出さないように今度は息を吸う。

    立ち上っていた砂煙はもう冬の風に流されて、覗いたスコープの向こうは青かった。

 夕焼けに赤く照らされた横顔。
「ミキちゃん」
「ん?」
 ちらりとリカの視線が手に流れて、
「うん」
 少しだけやわらかくほぐれた表情にミキはほっとした。
「うん」
 なんとなく手を撫でたりいじったりしながら、まだ緊張感の抜けない小さな笑顔を見つめる。

 ようやく地平線の上に見えてきた基地の影。
 ラジオから流れているやさしくてどこか切ない恋の歌は、ところどころノイズ交じり。
 ハンドルを握る右手の人差し指がトントンとリズムを取る。

「はるのうた…」

 春の風。

「はるのにおいに、まかせ…」

 開け放した車窓から、北の風がリカの歌声を藍色に染まり始めた空へとさらっていった。


      *


 ゆっくりと藍色に空を染めて、滑走路の最先端に座るヒトミの頭の上にも夜はもうやってきている。

「このこいが、そだっていくわ。そっとならば、いいよ……」

 ヒトミはそこで歌うのをやめて空を見上げた。
 零れ落ちたのはため息。
 すぐに顔は下を向いて、胡坐をかいて座る体の両脇で支えるように置かれた手はぎゅっと握り拳。
 フライトスーツの上に背中に『Team Sakura』の刺繍とワッペンがあちこちに張り込まれたフライトジャケット。襟元のファーが冬の夜風になびいて頬をくすぐった。

 格納庫の方では飛行機のスタンバイで慌しい声が飛び交う。

「はーい! 今行きます! あっ! これ、アイちゃんの、ここのところのチェックもう一度お願いします!」
 つなぎ姿のリサが飛行機の状態確認のためバインダーを片手にいそいそとを走り回る。

「あー。なんかなっちおなかすいてきちゃた」
「なんだよー。もぉ、緊張感ないなー」

 ナツミとマリがヘルメットを片手に格納庫へとのんびりと歩いてくる。

「こらムシ! うっさい! なっちだってこー見えてどきどきしてんだぞー!」
「えー。マジでー」

 そこから追いかけっこ始まって、ヒトミは元気だなぁと苦笑い。
 にぎやかな笑い声の中にもう一つ加わる。

「アベさーん!」

 エリがナツミを捕まえて、そのまま手を繋いで歩き出す。

「えへへへへ」
「なんだいカメちゃん、うれしそう」
「うれしいんだもん」

 うれしそうな表情とは裏腹に痛いくらいに強く握りしめる手。
 ナツミはなんともない顔をして包むように握り返す。

「あー! いいなぁ」
「あいぼん、おいで」

 アイはナツミと手を繋ぐと、パッとマリの手を捕まえて繋いだ。
 ぶんぶんと手を振りながら、並んで歩く4人。

 その後ろからアサミとアイ。

「あー。星が見えるー」
「ほんとだぁ。日が暮れるの、早くなったね」
「ねぇ」

 そこにリサが走ってくる。

「アイちゃーん、アサミちゃん、ちょっとこれ見てほしいんだけどさー」

 バインダーを見せて飛行機についての再確認。

 ヒトミは拳を地面から離してパンパンと手を払って砂を落とすと、藍色の空のあちこちに浮き出してきた星を見上げた。

 ぶーん…。

 2本先の滑走路から別の部隊の戦闘機が飛び立っていく。
 プロペラをぶんと唸らせて、あっという間に夜の闇の中へと消えていった機影。

 ヒトミはまだグラブをはめていない手をじっと見つめた。

 小さくもないけれど、決してすごく大きいわけではない手。
 長いすらっとした指先。
 ぐっと強く握り締めて、藍色の地平に向かって拳を一つ繰り出した。

 …。

 すとん。
 腕が落ちる。

 近づいてくる足音にため息を吐くのをやめて、振り返った。
「よっちゃん。行こう」
 アイが手を差し出す。
 その小さな小さな手をしっかりと掴むと、ヒトミは立ち上がった。
「よっしゃ。今日もがんばるか」
 フライトスーツのお尻を簡単にはたくと、アイの手を引いてヒトミは仲間達の方へと歩き出した。

 ぶぅーーーん…。

 プロペラ機の低い唸り。
 見上げれば夜の闇の中、かすかに見えるMM−10型戦闘機。

 リカとノゾミは手を繋いでピンクで落書きが施されているであろうそれを見つけると、ハンドルの真ん中を叩きつけてクラクションを鳴らした。
 もう夜だけど、かまうもんか!

 パァーーーーーーーーーーンッ!

 夜の中に吸い込まれていくクラクション。

 いってらっしゃい。気をつけて。

 あっという間に夜空は機影をその中に溶かし込んで、それでも二人はしばらくそこから動かなかった。

 さらに温度を下げた冬の風が星座を鮮やかに藍色のキャンパスに描き出す。
 夜は始まったばかり。
 耳を澄ませばようやく戻ってきた静寂が、ただそこに横たわっているだけだった。
      

 

(2005/5/4)

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