赤い夕暮れ、藍色の夜 | |
夕暮れの赤い空。 ぶぅんぶぅんと唸りをあげてひたすらに走るポンコツトラック。 行く先はベースキャンプ。 ようやく顔を出そうとしている太陽の白い光に薄められた青い青い冬の空。 そして、それから10時間。 ラジオから流れる歌はやけに軽やかで、リカはなんとなく2フレーズ口ずさんで、ラジオを消した。 開け放した窓から流れる冷たい冬の風。 ひゅう、ごぅと唸る風の音。 ゆるやかなカーブにあわせて動かすハンドル。 ドーンッ! 大地が泣いた。 ダダダダダダダッ! タタタタッ! 歯を食いしばって振動を受け止める。 全身が震えてる。 一つ二つと着弾する砲弾の音に紛れた銃声は味方のもの。 塹壕に身を潜め、また顔を出して、また隠れて、また顔を出して…。 タタタタタッ! 引き金を引く。 たぶん。 感じる死の気配。 くそっ! こっちくんじゃねぇっ! ギリッ…。 味のなくなったロリポップの棒を奥歯で噛み潰す。 ひゅーーん……っ…。 頭の上を飛んでいく砲弾。 タタタタタタタッ! 『はっ! ちきしょおっっ!』 また誰かが天国への階段を駆け上がっていく。 タラララララッ! ドンッ! 大地が泣いた。 零れ落ちて風にさらわれた疲れたため息。 ドゥルルルルルル…。 ヴンと唸るエンジン。 ノゾミはカオリに体を預けて、わずかに差し込む夕日に照らされた疲れた荷台の底材の木目を虚ろな目で見つめている。 『きゃぁぁぁぁぁっ!』 風がゴウと怒った。 塹壕にうずくまり、風の唸りが消えるの待つ。 ゴウ、ゴゥッ。 風が唸る。 トトトトトトッ! トトトトッ! ドン! 大地が叫ぶ。 『はぁ…っ。んぐっ!』 ひゅーん…。 頭の上を金切り声を上げて飛んでいく砲弾。 ドドドドドッ! 5メートル先の地面が吹っ飛んだ。 青い空に向かって立ち上がった爆風からやってきて小さな体にぴたっとしがみついた死の臭い。 “ おいで。こっちに。 ” 『ぅぁ…ぅあああぁぁぁぁぁぁぁっ!』 ダダダダダダダダダダダダダダダッダダダダッ! 淡い呼吸と一緒にふわーっと音符を吐き出すブルースハープ。 マコトはブルースハープを握ったままの右手の上にそっと手を重ねた。 『のんつぁんっ!』 びりびりとすすり泣く大地。 怯えた目をしてゆっくりとうなずくから、力強くうなずき返して前向く。 タタタタタタタタッ! パチパチと瞬く赤い火花。 くっと体が強張る。 はぁ…っ、はぁ…っ…。 ダダダダダダタッ! 赤い火花を噴く銃口。 ひゅーん…。 やだ…やだ…っ! ダダダダタッ! 人差し指の感覚が記憶から消えた。 ドン! ドーン! 目の端にゴミのように吹き飛んだ人の姿。 歯を食いしばって、ただ前を見た。 マコトはぎゅっとノゾミの右手を握り締めた。 ぶるるるるん…。 ポンコツトラックは赤い夕焼けの中をひた走る。 カオリはノゾミとマコトの髪をそっとなでると肩を抱き寄せた。 スコープの向こう。 潜んでいる塹壕からいくらも離れていないところが次々と弾けては吹き飛んで大地を抉り取る。 ふぅーっ…はぁ…。 スコープの向こう。 耳に聞こえる砲弾。 ドンッ! ドンッ! 消えろ…。消えろ…。 タタタタタタタッ! 消えて…。うるさいっ! タタタタタッ! ドンッ! 悲鳴が聞こえた。 目を閉じて、もう一度ゆっくりと息を吐く。 …。 目を開けて、スコープの向こうを睨む。 ……。 引き金にかかる指に力を込める。 きらきらと光る赤い夕焼けの光。 ガタンガタン。 ポンコツトラックが小さな石を踏んでガタガタと飛び跳ねながら、その振動がゆりかごのようで気持ちがよくて…。 レイナはサユミの手を握ったまま、じっと小窓の向こうの赤い景色を見つめていた。 タタタタタタッ! 『うぁぁぁぁっ!』 パチパチパチ! 銃口が閃く。 行く先はたぶん青い空の中。 パララララララッ! 銃の振動で体が痺れる。 ひゅーんっ…。 ドンッ! ドンッ! 砲弾が着弾した地面の衝撃が漣のようにさーっと広がって足元を揺する。 『くぁっ…。くっ!』 血が出るくらいに強く唇をかみ締めて、悔しいのか、辛いのか、痛いのか。 怖い。 『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』 引き金を引く。 タタタタタッ! 唇の端を血が伝っていった。 戦場の姿。 しっかりと前を見る。 夕焼け小焼け。 サユミはうっすらと赤く照らされたレイナの横顔をぼんやりと見つめていた。 レイナ。今日は、もう終わったんだよ。 サユミはもう片方の手で痛いくらいに手を握るレイナの手を包んだ。 小さな背中がさらに小さく感じた。 一つ後ろの塹壕から目だけを出して前方を伺う。 ダーン! ひゅうと音を立てて、砂色の長い砲身から弾き出された砲弾があっという間に頭を越していく。 ドンッ! 唸りを上げて地面が揺れて、頭を抱えてさらに身体を丸めた。 “ うぁぁぁぁぁぁぁぁっ… ” まだ大地が唸ってる。 泣かないで…。 それでもまだ足元の震えは止まらない。 熱のこもったヘルメット。 内側の汗でまとわり付く袖でゆっくりとぬぐって、大きく息をつく。 ターン…。 ヒュッと頭の上の方を何かが過ぎった。 タタタタッ! パララッパララララッ! テンポよくリズムを刻む破裂音。 銃を構えると、少しだけ塹壕から目を出して前を伺う。 パチパチときらめく銃口。 後ろの方からかすかに遅れて聞こえる銃声。 大きく息を吸い込んで、2拍ほど止める。 …ターン…。 引き金に指をかけ直すと、ゆっくりと息を吐き出した。 かすかに肩にかかる吐息。 ドゥルルルルルルル…。 エンジンの音は低く低く、時々ガクンと飛び上がっては時速80キロで駆け抜ける夕焼け色の赤い道。 ゆったりと広がる雲はいつの間に群れを成して並んでいる。 疲れきった夕暮れには少し場違いなかわいらしい恋の歌がステレオから流れる。 ちらりと横を見ればミキはなんとなく窓の方を向いたまま目を閉じていた。 スコープの向こうは砂埃で煙っていた。 乾いた血の臭い。 …。 呼吸音すら潜めるように、小さく小さく吐き出した息。 タタタタタタタッ! パララッ! パララララララッ! トトトットトトッ! ひゅーん……。 ダダダダダダッ! ドンッ! ……。 かすかに銃身がぶれて、ぴりぴりと緊張感と苛立ちが交じり合っていく。 ……。 涼しい表情に苛立ちをにじませて、前進を試みながら引き金を引き続けるミキ。 …。 ゆっくりと腹の底からすべての息を吐き出す。 スコープに映る兵士の顔。 ジャキッ。 空の薬莢が飛び出して、新しい弾丸を装てんする。 …。 また息を吐いて、その音すら出さないように今度は息を吸う。 立ち上っていた砂煙はもう冬の風に流されて、覗いたスコープの向こうは青かった。 夕焼けに赤く照らされた横顔。 ようやく地平線の上に見えてきた基地の影。 「はるのうた…」 春の風。 「はるのにおいに、まかせ…」 開け放した車窓から、北の風がリカの歌声を藍色に染まり始めた空へとさらっていった。
「このこいが、そだっていくわ。そっとならば、いいよ……」 ヒトミはそこで歌うのをやめて空を見上げた。 格納庫の方では飛行機のスタンバイで慌しい声が飛び交う。 「はーい! 今行きます! あっ! これ、アイちゃんの、ここのところのチェックもう一度お願いします!」 「あー。なんかなっちおなかすいてきちゃた」 ナツミとマリがヘルメットを片手に格納庫へとのんびりと歩いてくる。 「こらムシ! うっさい! なっちだってこー見えてどきどきしてんだぞー!」 そこから追いかけっこ始まって、ヒトミは元気だなぁと苦笑い。 「アベさーん!」 エリがナツミを捕まえて、そのまま手を繋いで歩き出す。 「えへへへへ」 うれしそうな表情とは裏腹に痛いくらいに強く握りしめる手。 「あー! いいなぁ」 アイはナツミと手を繋ぐと、パッとマリの手を捕まえて繋いだ。 その後ろからアサミとアイ。 「あー。星が見えるー」 そこにリサが走ってくる。 「アイちゃーん、アサミちゃん、ちょっとこれ見てほしいんだけどさー」 バインダーを見せて飛行機についての再確認。 ヒトミは拳を地面から離してパンパンと手を払って砂を落とすと、藍色の空のあちこちに浮き出してきた星を見上げた。 ぶーん…。 2本先の滑走路から別の部隊の戦闘機が飛び立っていく。 ヒトミはまだグラブをはめていない手をじっと見つめた。 小さくもないけれど、決してすごく大きいわけではない手。 …。 すとん。 近づいてくる足音にため息を吐くのをやめて、振り返った。 ぶぅーーーん…。 プロペラ機の低い唸り。 リカとノゾミは手を繋いでピンクで落書きが施されているであろうそれを見つけると、ハンドルの真ん中を叩きつけてクラクションを鳴らした。 パァーーーーーーーーーーンッ! 夜の中に吸い込まれていくクラクション。 いってらっしゃい。気をつけて。 あっという間に夜空は機影をその中に溶かし込んで、それでも二人はしばらくそこから動かなかった。 さらに温度を下げた冬の風が星座を鮮やかに藍色のキャンパスに描き出す。
(2005/5/4) |