怪人さんは泣き虫で

 ターン!

 長い銃身から飛び出した一発の弾丸が青空に吸い込まれていく。
 微かに聞こえた悲鳴が銃声の中に融けて、リカはビルの裏口側の角に身を隠した。

 カシャン。

 ボルトハンドルを操作して飛び出した薬莢。もう一度操作してカートリッジの弾丸を装填すると、所々煙が立ち昇る大通りを見据えながらライフルを構えて息を潜めた。

 タラララララッ!
 タララララッ!

 サブマシンガンの銃口から小気味いい破裂音。
 リカの隠れる銀行が入っていたビルの前では、置き去られた白い乗用車の陰に隠れたミキとノゾミが大通りを挟んで撃ち合っている。

 ターン!

 リカのいる隣の建物の角からカオリがライフルの引き金を引いた。
「ぁ…!」
 タタタッという音の向こうで最期の声。真正面のビルの3階にいた兵士が窓から消えた。

 カシャン。

 カオリのライフルから薬莢が飛び出す。
 リカはふっと息を止めて引き金を引いた。

 ターン!

 ズンと肩から広がる衝撃。
 ビルの屋上からミキとノゾミを狙っていた兵士の頭からぱっと赤い血が飛んだ。
 カシャンと空の薬莢を吐き出して、また装填する。
 隣の方からも微かに乾いた金属音が聞こえて、カオリのライフルがすぐさま火を噴いた。

 ターン!

 カオリが身を隠す建物の通りを挟んだ正面のビルの外階段から兵士が転がって落ちていく。踊り場で止まった彼はもう動くことはなかった。

 タタタッ!
 タタタタタタッ!

 放り投げられたように転倒した軽トラックの陰からマコトがアサルトライフルの引き金を引く。
 大通りの向こうのビルの角からパチパチと火花。

 タタタタタッ!
 ドンドンドン!

 乗用車を貫く弾丸。
 ミキとノゾミは銃を構えて焼けた歩道に伏せると、音が止まったのを見計らって自分の達の後ろのビルの入り口側の角に下がった。
「マコト!」
 ノゾミがカートリッジを取り替えるマコトを呼ぶ。
 ミキが親指で自分が身を隠しているビルの角の壁を指す。

 タタタッ!

 その隣ではレイナが歯を食いしばってサブマシンガンの振動を身体で受けている。
 軽やかな音の数だけ飛び出す薬莢。
 マコトはレイナとサユミに一言声をかけると低い姿勢のまま駆け出して、同時に身を低くして走ってきたノゾミとがっと腕をあわせてミキの隣についた。
「援護頼むね」
「はぃ!」
 軽トラックの方へ行く前に、真後ろ、ビルの勝手口側の角にいるリカに目をやった。
 ぐっと親指を立ててみたら、同じように親指を立ててニッと笑って見せるリカ。そこにマコトも加わって、いつのまにカオリも親指をぐっ…と。
「ノッてんな。あの二人」
「うん。そーみたいですねぇ」
「負けてらんねぇ…」
 ミキはポケットからロリポップを取り出すと、マガジンを取り替えるよりも早い手つきで包装を剥いで銜え、剥ぎ取ったポップなビニールをポケットに押し込んだ。
「よっしゃ」
 口の中に広がるエスプレッソの苦味。

 ドーン…!

 少し先の方から砲弾の音が聞こえる。

 ミキは低い体勢のまま一気に走り抜けて軽トラックの後ろにつけた。

 タタタタタタッ!

 サユミのアサルトライフルが兵士の腿を貫く。
 崩れるところをノゾミのサブマシンガンが上半身に3つほどの真っ赤な穴を開けた。

 タタタッ!

 引き金を引いたまま事切れた兵士のマシンガンが空を撃つ。
 ミキはサユミにグッと親指を立ててみせると、そのまま後ろを指差した。
 サユミもうなずいて後ろ、カオリが身を隠すビルの通りに面した側、マコトの向かい隣まで下がった。

 タタタタッ!
 ドーン!
 タタタタタタタタタタタッ!

 残り少なくなってきた敵の部隊に味方の車両による砲撃。
 軽トラックをバリケード代わりにしたミキとレイナ、ノゾミの攻撃。

 じりじりと頭の上から身体を焼く太陽。
 長袖の無地のサンドカラーのサバイバルジャケットの下を滑っては染み込んでいく汗。
 雲ひとつない青空。
 通りの向こうをぼかす煙の色は重たい灰色。

 キュラキュラと甲高い音が聞こえる。
 レイナがくるっと後ろを向いて、なにやら指先を上に向けてくるくると回して、
「援護到着!」
 ピタリとカオリから向かって左手を指し示した。
「下がれ!」
 カオリが声を張る。
 ミキはレイナとノゾミを先に下がらせて、背中のディパックから手榴弾を取り出すと、ピンを引き抜いて思いっきり投げつけた。
 高い軌道を緩やかに描いて、カツンと大通りの4車線道路のど真ん中らへんに落ちた手榴弾が、

 ドンッ!

 カッと閃いて炸裂した。
 その隙にミキも下がると、ビルの角に身を潜めた。

 カタタタタタタタ…。
 キュラキュラキュラキュラ…。

 近づく戦車。
 ドン、ドンと地面に低い振動。

 ドーン!

 ドーン!

 アスファルトが弾け飛ぶ音。
 ますます数を増やして立ち上る煙に空の色が淡くなっていく。

 リカはライフルを空に向かって構えたまま、自分の隣を走って戻ってきたサユミの息遣いとマコトの足音を聞いていた。
 ミキがリカの真後ろに腰を下ろす。
 地を這う振動に焦点がぶれてぎりと唇を噛み締める。
 つーっと顎を滑り落ちた汗。
 煙にかすんだ空に向かってライフルの引き金を引いた。

    *

 13時28分。
 制圧終了。

 奪い取った街の入り口を戦車で閉鎖して、掃討作戦に取り掛かる兵士達の顔は緊張していた。

 しっかりとした統制と的確な判別。
 両手を挙げている者には保護を。
 逆らうものには死を。
 それがルール。

 逃げ遅れ、潜んでいた人たちはおとなしく両手を上げる。
 突きつけた銃口で一箇所に集めると、安全を保障することを約束する。
 敗残兵を捕虜として保護しながら、警戒して歩く街角。
 無線でカオリがやりとりをしながら、そんなこんなでぴりぴりとした緊張は終わらない。
 捕虜と保護した住人を巡回して回るトラックに引き渡す。

 まだ太陽は張り切っていて、決して軽くない銃を手に身体はいい加減にしろと訴え始めている。
 チームで歩く最後列でカオリとリカはスリングでライフルを肩にかけ、安全装置に親指をかけたままハンドガンを手に後ろを警戒する。
 ミキとノゾミとレイナがサブマシンガンを手に先頭を歩き、間のマコトとサユミもハンドガンに持ち替え辺りを見回す。

 足元にははっきりと鮮やかな真っ黒い小さな影。
 風一つ吹かない街は夏だというのに埃っぽい。
 たぶん普段でも静かであろう住宅街の午後はひどく静かで、肌を細かく突き刺すように緊張感を煽り立てる。

 ガレージや庭から飛び出していったタイヤの痕跡。
 進入した午前5時はすでに暑かった。
 生活観が残る庭先を横目に見ながら、はぁ…とノゾミが息を吐く。

『…この街は…』

 投降を促す放送が頭の上をへろへろと通り過ぎる。
 掃討作戦に切り替わってからすでに3時間。もう夕方だという頃合なのにひどく暑い。
「全員静止」
 カオリの声にぴたりと足を止めて振り返る。

 ここは最前線に最も近い街。前々からその危険があったせいか残っていた住民よりも兵士の方が圧倒的に多い。
 もう住人や敗走兵もあらかたいないだろう。
 街から出ることは難しいし、抵抗しなければ撃たなくて済む。

 周囲の様子を確認すると、カオリは無線でこの作戦の現場司令部と連絡を取った。
「はい。…はい。……はい」
 やりとりに耳を傾けながら熱気に揺れる町並みに神経を張り巡らす。
 にゃあ…と塀の上をのんきに歩いていくネコにレイナがびくりと肩を震わせて、サユミがくっくっと笑いをこらえている。
「はい。了解。わかりました」
 無線を切ると、一斉に6人の真剣なまなざしがカオリに集まった。
 それを一つ一つしっかり見据える。
「これから先の予定を確認します」
「はい!」
 きれいに揃った6つの声。
「掃討作戦は現時点で85%完了しているとのことです。2時間後に終了。その後3つの部隊がこの街に残るようです。どの部隊が残るかはこの後正式な辞令があると思いますが、我が部隊は帰還すると考えていてください」
「はい!」
 揃った返事にうなずいて、カオリは話を続ける。
「すでに司令官と統治部隊も到着しているようです。それでは、今から本営に戻ります。各自、気を抜かないように」

 あと少し。
 あと少しで終わる。
 突入部隊が占領統治する部隊と指揮官に完全に街を引き渡して、初めてこの任務は終わりを告げる。まずはその前の第1ステップ。突入、占領。

 隊列を確認して来た道を引き帰した。

 朝から戦闘の緊張感と疲労、そして真っ赤に燃え上がる太陽。
 あまりの暑さに鳥すら飛ばない真夏日を遥かに超した気温の日に長袖とずしりと重たい銃。
「あー。アイス食べたい…」
「のんつぁん…言わないで…」
 マコトが苦しげに呟く。
 ゆらゆらと立ち上る熱気。
 軍用ブーツを履いても焼けるように熱い足元。
「けどさぁ…」
 と言いかけたところで、

 カタ…。

 ノゾミはふと何かの音を聞いた。
「なにぃ!?」
 キョロキョロと辺りを見回しても何かがいるという気配はない。
「ノンちゃん?」
「のの?」
 カオリとリカもノゾミが目をやる方に銃口を動かしながら見渡す。
 ノゾミはふーっと息を吐き出した。
「なんか…いる?」
 全員がその場に立ち止まり、細い路地を背中を合わせてそれぞれに銃口を向けて気配を探る。

 さして広くない道。
 点々と存在する塀の向こうに何があるのかわからない。
 全員が息を呑む。

 カタ…。

 まただ。
 ノゾミははっきりと確認して、くるっと体と銃口を自分の右手に向けた。
「そこっ…!」
 アルミのシャッターが開け放たれている車庫。
 全員がぱっとぽっかりと開いている暗がりに銃口と身体を向けて身構える。
 車の姿はなく、奥には雑然と積み上げてあるダンボールや工具の棚。
 じっと目を凝らしていると、ダンボールの後ろで何かが動いたのがわかった。
 カオリがそっと声をかける。
「出てきなさい。抵抗すると、撃ちます」

 しかし、何の反応もない。

「出てきなさい。何もしなければ安全は保障します。出てきなさい」
 凛としたカオリの声に、ダンボールの後ろの影がざわざわと動いている。
 マコトは目を細めた。
「…コドモ?」
 小さな影が3つ。ごそごそと動いてるのが暗がりの中にはっきりと見えてくる。
 ノゾミがカオリを見ると、カオリは一つうなずいた。
「ねえ! 何にもしないから出ておいで!」
 すると、ノゾミの声に安心したのか、小さな影がこちらに向かってくる。
「…あぁ」
 レイナが少し痛そうに目を細めた。
 出てきたのはボウズ頭の男の子と二人の女の子。まだ5歳くらいだろうか。女の子のうち一人は3歳くらいに見える。たぶんどちらかの妹なんだろう。
 男の子を真ん中にして、しっかりと手を握っている。
 男の子は歯を食いしばってカオリを睨みつけていた。
「…」
 にらむつもりはないが、内心どうしよう…。
 カオリは黙ってその瞳を見返す。
 かっこいいなぁ。
 なぜかヘンに誇らしい気持ちで男の子…いやいや、彼を見据える。
 メンバーも、銃口を向けることへの戸惑いを隠しながら、カオリの様子をうがっている。
 二人の女の子が男の子の後ろに隠れた。小さい女の子がきゅっと男の子のランニングシャツを小さな手で握り締める。

 カオリはよし、と気合を入れた。

「ノゾミ、ミキ、レイナは銃を下げて。あとはそのまま」
 さあ、こっからカオリは悪者だ。がんばれよ。ヒーロー君。
 命令に従って銃を下げると、カオリは銃口を向けたまま冷たく言い放った。
「手を上げて。抵抗したら撃ちます」
「カオリン!?」
 ぎょっとノゾミが振り返る。
「ええっ!」とマコトが目を見開いてポカーンと口を開けた。
 ちらりと横目で見やって、リカがあーぁと小さくため息をついた。その目はありありと大丈夫かなぁと言っている。
「早く!」
 もう一度厳しく言い放つと、ノゾミがたまらず立ち上がろうとした。
「ののっ!」
 リカが慌ててノゾミのジャケットを引っ張って無理やり座らせると、ミキががしっと肩を抱いて動きを封じ込めた。
「ちょっと! リカちゃんっ! ミキティ!」
「いいから。黙って見てなって」
 ドスの聞いた低い声に、ノゾミだけじゃなくサユミとレイナも震え上がる。マコトにいたっては涙目だ。

 カオリは銃口をしっかりと男の子の頭に定めている。
 頭なら当たれば苦しいことはない。
 部隊で狙撃手であるということは、それ相応の腕であるという証拠。外すということはこんな狭いたかが3メートルにも満たない距離ならなんていうことはない。

 ここまで軍規に忠実じゃなくてもいいのだろう。
 でも、ルールはルール。
 あくまでも、軍服を着て戦場にいる以上、軍規がすべて。
 人間である前に軍人なのだ。

 しかし、軍人である前に、人間なんだ。

「手を上げて」

 それに、何でこの子達はここにいるの?
 だいたいこの子たちの親はどこ? 何で一緒じゃないの?
 突入情報を何度も流して民間人の脱出をそれとなく促していたはずなのに。

 考えただけで腹が立ってくる。
 それがしっかりと大きな瞳にあらわれていた。

 ぎょろっとにらむ大きな瞳。
 ぬーんと聳え立つ長い髪の怪物。
 男の子は足元の石を拾った。
「あっちいけーっ!」

 ひゅんっ!

 小石がカオリに向かって飛んでくる。
「あっ!」
 サユミがはっと口を手で押さえて目を見開いた。
 ガシッとカオリの額に当たって小石が転々と足元に転がった。
 男の子はまた石を拾うと、
「やだっ! こーさんなんかするもんかっ!」
 またカオリに向かって小石を投げる。

 ガッ!

 カオリはそれを身体で受け止める。
「カオたん…」
 青い空の中、衰える気配のない太陽に照らされて、カオリの作り上げた無表情の中の悲しそうな瞳が痛々しくリカに映る。
 ミキも苦々しくぎりっと唇を噛み締めた。

 ひゅっ! ひゅ!

「あっちいけーっ! あっちいけーっ!」

 ガッ! バスッ!

 投げる小石を体で受け止めても突きつけた銃口を少しも揺るがすことなく、じっと見据えるカオリ。さっき額に当たってできた傷が赤く滲んで、一筋の血がのったりと滑っていく。
 マコトが口をへの字に食いしばって泣いていて、ノゾミもぎゅうっとリカにしがみついて泣いている。ミキはその背中を撫でてなだめ、リカも銃を構えた姿勢を崩さず、けれどノゾミのすきなようにさせていた。

「あっちいけってばぁ!」

 ひゅっ!

 ガンッ!

 不思議な光景だと、女の子は思った。
 自分よりちょっと歳が上のお姉さんが泣いてる。
 それならそれであることなんだろうけど。
 でも、この人たちはテキなんだよって教えられた人が、えーんって泣いてるんだもん。
 あのおっきい怪人さんも、なんかかわいそう。
 だって、泣きそうなんだもん。

 はぁ…と息を整えて、カオリはぐっと引き金にかけた人差し指に力を込める。

 決まりは決まり。
 戦意無き者は保護。
 たとえ無力でも背中を見せて逃げた者、抵抗する者には……死を。

 たとえ自分勝手でも、物事には決まりがある。
 それがたとえコドモでも、守らなければどうなるのか…。
 守ったなら、どうなるのか…。
 たとえどんなことであれ、オトナが身をもって示さなければ秩序なんてゴミ。

 戦場には戦場のルール。
 夢見が悪くなろうが、後悔しようが、それなりの秩序は大切なもの。

「バケモノっ! ギョロ目怪人あっちいけーっ!」

 ひゅっ!

 ガンッ!

 5個目の小石は左肩に当たって落ちた。
 今、自分の目の前にいるのは一人の男なのだ。
 体を張って弱いものを守ろうとする、いっぱしの男の姿なんだ。

 だから、だから…。

 ぐっとカオリは引き金を引いた。

 パンッ!

 オートマチックのハンドガンのスライドが下がって薬莢ぴょんと飛び出した。
 乾いた音が高く高く青い空に吸い込まれていく。

 男の子が固まる。
 女の子も小さな女の子も固まった。
 泣いていたノゾミもマコトも固まる。
 サユミも固まり、カチンと凍りついたレイナの目の端からほろっと一滴。
 リカとミキはぐっと息を飲み込んだ。

 弾丸は男の子の足元に突き刺さっている。
 コンと地面に叩きつけられた薬莢が涼やかな音を鳴らして、カオリははーっと息を吐いた。
「手を上げて」
 静かな静かな昼下がり。カオリの声だけが響く。
 女の子が震える手で男の子のランニングを引っ張ってにこっと微笑みかけると、ゆっくりと両手を挙げた。
 それにつられて小さな女の子も手を上げる。
 男の子はぐしっと鼻をすすると、手で鼻をこすってカオリをにらみつけたまま両手を挙げた。

 ギョロ目怪人が笑った。

 男の子は涙でにじむ目と悔しさでいっぱいの胸でそう思った。

「全員銃をしまって。すぐに保護して」
「はいっ!」
「はい゛っ!」
 涙混じりの声もあったが勢いよく返事は返ってきて、驚くような速さで銃をしまうと、ノゾミとマコトがぎゅうっと子ども達を抱きしめる。

 カオリはゆっくりとキモチを鎮めるように息を吐くと、がらんともぬけの殻になっている向かいの家の中に入って、塀に寄りかかるとずるずると座り込んだ。
「カオたん」
 リカが心配そうにしゃがみこんで顔を覗き込む。
 塀一枚隔てた向こうではほっとして泣き出した子ども達を必死になってあやす声が聞こえる。
「ゴメンね。カオたん」
「ばか。何であんたが謝んのよ」
「だって……」
 リカの目にうるうると涙が溜まりはじめる。
 カオリはやれやれと笑って両手を広げてリカを抱きしめた。
「リカが泣いたらカオ、泣けないじゃん」
「うそ。カオたん泣かないもん」
「…」
 そう言われると何も言えないじゃん。
 なんだかんだとよくわかってるね。
 鼻声になっているリカの背中をよしよしとさすってやる。
 リカは目を袖で拭って身体をいったん離すと、カオリをぎゅうっと抱きしめた。
「リカ?」
「ゴメンね。カオたん…。ありがと…」
 きつく抱きしめたまま20秒。
 リカはそっと離れると、ゆっくりと立ち上がった。
「…」
 その体を後ろからミキが包み込む。

「ほらっ! 笑って! んばぁーーっ!」
「ナンダコノヤロゥ! いっち! にぃ! さんっ! ダーッ!」
「ダーッ!」
「あっ! ああっ! オガーさん! よけー泣いちゃいましたよぉ!」
「ええーっ!? 違うよ! のんつぁんの変顔のせーだよっ!」
「うぇーーーっ! なんだとぉーッ! マコトっ勝負っ!」
「おおーーーしっ!」

 通り向こうから聞こえるてんやわんやした声。
 リカはふふっと笑って、カオリにも泣き笑いみたいな笑顔。
「よかったね」
「うん」
 ちょっと目じりを押さえると、
「さっ。ちょっと本営の人たちとお話しするね」
 と無線機を動かし始めた。
 リカはそっと腰に回っているミキの手に手を重ねると、少しだけ首を巡らした。
 肩に顎を乗っけてやわらかく微笑むミキと、暑いけど、でもそのぬくもりにほっとする。
「ごめん」
「何が?」
「甘えてる。あたし…」
「…いいのに」
 なんとなく面白くなさそうに唇を尖らすから、リカはアヒルみたいに尖った口にちゅっと口付けた。
「リカちゃん!?」
「ふふっ。甘えてほしいの」
「だから、今してんじゃん」  リカの腰を抱く腕に力が入る。
「…」
「…」
 なんとなく無言で見つめあう。
 そっとミキが目を伏せて、リカの右手がミキの頬を包んで、もう一度……。

「コホン」

 カオリの咳払いにお決まりのようにハッとするリカとミキ。
「あのさぁ、ほっとかないでくれる? カオ、さみしくなっちゃうから」
「ゴ、ゴメンね…カオたん」
 リカが情けないぐらいマユゲを目一杯下げて笑う。後ろのミキもてへへと苦笑い。
 カオリはやれやれまだくっついてる…と思いつつ、
「今、この近くに来れそうな巡回のトラックに来てもらうようにお願いしたから」
 そう言うと、よいしょと立ち上がった。
「さて、チビッコたちの様子でも見に行きますか」
「はーい」
「はーい」

 塀の向こうに出てみれば、まだ大騒ぎな状態で、リカはやれやれとため息をついた。
「なんかさぁ、ののとマコトのにらめっこで泣いてない?」
「うん。泣いてる。っていうか、コワイ」
 ミキがリカに引っ付いたまま同意する。
 子ども達がカオリに気づいて、
「わーっ!」
 って、また大泣き。顔をぐしゃぐしゃにして大洪水。
「あーもう! カオリィ! もーすぐ泣きやみそーだったのにぃ!」
 泣きやませるのに必死なノゾミの容赦ない一言とマコトのおろおろした目。
 カオリはちょっととほほという顔をして、リカとミキに苦笑いして見せた。
「えー。さっきからずっと泣いてんじゃん。もぅ。ノンちゃん、ひどい…。カオも泣きそうだよ」
「だってぇ!」
 カオリは負けじと泣きそうになっているノゾミとマコトの頭をよしよしと撫でると、
「ノンちゃん。ハーモニカ持ってる?」
「ブルースハープ? うん」
 ごそごそとフィールドパンツのポケットから出して見せると、
「何でも吹けるよね?」
「うん…たぶん」
 難しい顔をして首をひねるノゾミの傍らにしゃがむと、ぼそぼそとナイショ話。
 パーッと晴れていくノゾミを不思議そうな目で見つめるマコト、レイナ、サユミ。
「ね。どう?」
「うんっ!」
 ノゾミはマコトの肩を抱くと、レイナとサユミに手招きした。
 円陣を作ってなにやら秘密会議。
 ノゾミはにひって笑うと、
「それじゃ、はりきってぇーいきまーっ」
「しょーいっ!」
 マコト、サユミ、レイナが声をそろえた。

 ノゾミは子ども達ににこっと笑って、ハープを銜えた。

 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。
 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。

 陽気なイントロにリカとミキが「あぁ」と声を上げると、カオリはくすっと二人にウインクして見せた。

 マコトがノリノリで踊りだすから、レイナとサユミもそれに合わせる。どうやら誰が誰というのも決まっているらしい。
 子ども達の泣き声が止まって、イントロをにっこにこで踊るマコトをぽかんと見上げている。

 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。
 パパパパッ、パッパッパ、パパパパッ。

「白あげてぇあげません〜」
「じゃんけんぴょんのぉ」
「じゃんけんぴょんっ!」

「じゃけんぴょんっ!」
 カオリがついつい一緒にじゃんけん。
 小さな女の子がくすっと笑って、グーを出した。

 飛び上がりたい気持ちをダンスに変えて、レイナが弾けるようにハープに合わせて歌う。
 サユミも満開の笑顔でさっきよりも大きな動きで踊りだした。
 マコトにいたっては泣いちゃって、
「おーざがべんじゃぁ」
 濁点混じりになる始末。

「よかったね」
 リカの呟きに、ミキがぎゅっと抱きしめる腕に力を入れて、こくりとうなずいた。
「ね。カオたん」
「よかったですね」
「うん」
 カオリは目に溜まった涙を指でぬぐいながら微笑んだ。
「だって歌うのって、たのしいもん」

    *

 パッパァーーーーッ!

 巡回して保護した人たちを預かる荷台の開けたトラックが到着した。
 ガランとした通りの路肩につけると、子ども達を先に乗せて、あとからノゾミ、マコト、サユミ、レイナのおこちゃま組が乗り込む。
 ミキは3人の子供達に一本ずつロりポップをあげると、よしよしと頭を撫でた。
 それを見ておこちゃま組が騒ぎ出すと、リカが、
「大きいおともだちは我慢しなさい」
 と、腰に手を当ててめっと叱った。
 しゅーんとなる大きいおともだちを見て、子供たちがケタケタと笑った。
 広い2トントラックの荷台に小さな子が7人だと、なんか王様になった気分。
 それだけ広々としているから、この分だとずっと歌って踊りっぱなしだろう。
 運転席の兵士がはしゃぐ子ども達に目を細めて笑う。
「じゃ、いくぞーっ!」
 おーって、元気のいい雄たけび。
「しゅっぱーつ!」
 7人で声をそろえて進行方向を指差すと、運転手はパッパーッとクラクションを鳴らして走り出した。
「カオリィ! あとでねぇ!」
「イイダさーんっ!!」
「イイダさーんっ! またあとでぇ!」
「イーダさぁーんっ!」
  ぶんぶんと手を振って、しばらくしてから夕暮れの空にブルースハープの音がなんとなく聞こえた。
 カオリは振り返していた手を下ろすと、両脇に立つリカとミキの肩を抱き寄せた。
「じゃあ、カオリたちも帰ろうか」
 うなずくリカとミキ。
 相棒が夕焼けの赤に染められて、3人を見守るようにたたずんでいた。

    *

 家族のいる人たちは町の安全と住民の安全を約束して、書類に簡単な記載をして自宅へ。
 家族とはぐれた子供や身寄りのない人はそれぞれ自国の施設で保護をする。

 子ども達はしばらくは施設で過ごすことになるだろう。
 子ども達を乗せたそのトラックのまま施設まで送り届けるように、カオリは無線で事情を話して許可を得ていた。そして、折り返しておこちゃま組をベースキャンプまで送ってもらう。駄々を捏ねられたら泊ってもいいと許可をしてあることまで付け加えていた。
 そして、そのあと、おこちゃま組が歌っている間に、リカとミキに突入前、街の外につけた相棒を取りに行かせていた。
 笑ってくれたとしても、自分が一緒ではどっか緊張するだろうから。
 悪者は、最後まで悪者らしくしないと。
 なんたって、カオはギョロ目怪人なんだから。

 いつ終わるかわからない。
 しばらくはこの国で過ごさなきゃいけないんだったら、少しでも楽しい想い出に残るようにしてあげたいと、カオリは思った。
 充分、怖い思いをさせちゃったのだから。

 相棒が沈む夕日を背に荒れた街道をひた走る。
 リカはハンドルを操りながら助手席に座るカオリに言った。
「カオたん。よかったねぇ」
「うん…」
「笑ってくれたね」
「うん…」
 真っ赤になった目で、だけどへへって笑って出した小さな小さなグー。
「少し休んだら?」
 リカがちらりとシートに深く体を預けてまどろみつつあるカオリに声をかけると、助手席をカオリに譲って荷台へ回って運転席部分とを繋ぐ小窓にひじを乗せて寄りかかっていたミキも、
「着いたら起こしますよ」
 って微笑んだ。
 シートを倒して横になるとカオリはまぶたを閉じてはぁっ…とため息をついて、そういくらもたたないうちに眠りの世界へ。
 リカはミラー越しにミキに話しかけた。
「ごめんね。ミキちゃん」
「リカちゃん」
「なぁに?」
 ミキの不機嫌そうな声にリカがちょっと戸惑った顔をして、ミキにはそれがなんかかわいく思えてつい笑ってしまう。
「それ、今日2回目」
 ポンとリカの肩に手を置くと、
「謝らなくっていいから」
 今度は頭を撫でた。
「もっとミキに寄りかかってよ」
「戻ってからじゃダメ?」
「じゃ、とりあえずそれで了解してあげる」
「ありがと」
 カーステレオから流れるゆったりとしたクラシックが疲れた体を夢の世界に連れて行こうとするから、リカはステレオを消すと、ハンドルをぐるぐる回してウィンドウを開けた。
 夕焼けの赤い光に染め上げられて、ようやく熱が少しだけ抜けた風が心地よく髪を掻き揚げる。
「カオたん…すごかったね」
「うん…」
 無表情でコドモに銃を向けて、なのにココロで歯を食いしばっていた顔は、穏やかな寝息を立ててぐったりと眠っている。
 ミキは腕を伸ばしてつんとほっぺを突いた。
「かわいいね」
「うん」

 今思えば不思議な光景だ。
 必死になってなだめて、笑わせて。
 あの子達の心には何が残るんだろう?

 何をあたしたちはしてあげたんだろう。

 眠っている隊長の姿にふと思う。

 何をあたしたちはしているんだろう。

「ばかだよね…」
 リカは自嘲気味に小さく笑った。

 戦争に意味を求めても、結局のところそこに意味なんてあるんだろうか?

「ね。ミキちゃん」
「ん!?」
 ミキが首を傾げる。
「うん」
 一人で納得したように笑って、ムッとしたミキにポスッと頭を叩かれた。
「ふふ。なんかねぇ。意味なんてあるのかなぁって…思って」
 ミラー越しに見たリカの疲れた笑顔はそれでも明るくて、どうしようもなくキスがしたい。
「意味ねぇ…」
 呟いて、ミキは眠っている隊長に目をやって、ふむとため息を一つ。

 あたしたちは正しいんだろうか?
 どれが正義で、それが悪で、そんな簡単なものじゃない。

「どこ行くんだろうね」
 なんとなく呟いて、ミキは眠気をこらえて運転をするリカの横顔を見つめた。
 相棒が真っ赤な夕焼け雲に背中を押されながら、ガタゴトと揺れる。
 ミキはよっと小窓から身を乗り出すと、唇にしたいところをぐっとこらえて頬にキスをして、すすっとまた小窓のふちに置いて組んだ腕に顎を乗せた。
 きょとんとしたリカの目が、ふーっと見開いて。
「なんか…目が覚めた」
「でしょ」

 相棒がガタゴト揺れる。
 ベースキャンプまではあと少し。
 カラスがかぁーと鳴きながら、藍色に染まり始めた空を飛んでいった。

   *

「よぉ。カオリ。お疲れさん」

 兵舎の玄関の蛍光灯の明かりの下、ドアにもたれかかってユウコがいた。 
「ユウちゃん!?」
 カオリは立ち止まって大きな目を更に大きく見開いて立ち尽くしていたが、
「…ユウちゃん…」
 むぐぅと顔を歪めると、だーっと走り出してユウコに飛びついてぎゅうっとしがみついた。
「…ユウちゃんっ!」
「ん。お疲れさん」
 ポンポンと背中をあやすように叩いて、やさしい口調で労ってやると、もうカオリの瞳からぼろぼろと涙が溢れ出して止まらなかった。
 ユウコがリカとミキにウインクすると、二人はぺこりと深く頭を下げて勝手口の方へと歩いていった。

 『ナカザーさぁん!』
  無線の向こうのリカはすでに泣き声に近かった。
  しっかし、兵士輸送のトラックから本部に直接なんてまた無茶なことを…。
  普通はありえない。よほどの緊急時以外は。けど、それがいかにもリカらしくて、
 『よっぽどのことかいな。で、どうした?』
  それなりにどころかエライ切羽詰まってるようで、けど、まぁ、後でお小言の一つもと思っていたが、
 『…。そりゃ一大事やな…』
  話を聞いたらそんな気もすぐに失せた。
  ミキの必死な呼びかけに、
 『ナカザーさんっ。お願いしますっ!』
 『よっしゃ。任せとき』
  二つ返事ですぐに無線を切って飛び出した。

  それが3時間前。

 ユウコは自分より大きいカオリをしっかりと抱いて、あやすように背中を撫で続けた。
「なんやぁ。ユウちゃんびっくりしたでぇ。あんた…オトナになったなぁ」
 しかし、カオリはふるふると小さく首を振る。
「ちがぅ…もん……。カオ、カオ…ひどいことした……」
 ひっく、えぐ…っと嗚咽をあげながら、カオリが少しずつ言葉を紡ぐ。
「だって…銃…向けたもん。…でも…でもね……カオ…」
「うん。わかってる。しゃーないよな。けど、生きとるやん。な?」
 コクリとコドモみたいにうなずく。
 ユウコはちょっとだけ体を離して顔を覗き込んだ。
「あの子達な、楽しそうやったで。みんなで歌うたって、踊って…」
「…うん…」
「ツジちゃんとか、タナカとかミチシゲとかオガーとか、とーぶん帰ってこーへんかもよ。そんぐらい、あの子ら懐かれとったで。他の子たちにも大人気や」
「…ユウちゃん?」
「持ってかないかん書類があってな、施設に寄ってんねん。カオリのこと、ツジもオガーもタナカもミチシゲも…みんな心配しとったで」
 真っ赤になった目からまだまだ涙が溢れては零れ落ちるから、ユウコがそっと涙ををぬぐってやると、カオリは力無く微笑んだ。
「みんなに心配かけて…。カオ…隊長失格だね」
「アホ! なにゆぅてんの」
「…ユウちゃん?」
 ユウコはさっきよりも強い力でしっかりとカオリを抱きしめた。
「あんたは、あんたが考え付く中で、最善の方法をとったんやないの」
「けど…見逃すことだってできたもんっ! カオっ…無駄に傷つけただけだもんっ!」
「せやな。けどな…。戦場や。あそこは戦場や…。見逃すことが正しいのか間違いなのか…正解なんてあらへんよ」

 降伏の意思を見せないものは、結局戦場ではまだ敵なのだ。
 だから、降伏させるように促した。
 オトナゲない。
 しかし、見逃したから、それが正しいと言えるのか?

 戦場には、何があるかわからない。

 だから、考えた。

「うっ…くっ……ユウちゃん…」
 ずるずると崩れ落ちるカオリを支えながら、ペタンと座り込むと小さく丸まった背中を包むように抱きしめた。
 軍規に沿うのは真面目過ぎるかもしれない。
 けれど、だからこそ、カオリらしい。
「うちな、カオリのこと…誇りに思うで…」
「…ユゥちゃ…ん…」
 ぎゅうっと袖を掴んでいた手が背中に回って…。
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
 カオリは思いっきり子供のように声を上げて泣いた。
「あーあー。こりゃツジなんかには見せられへんなぁ」
 ユウコは苦笑いして、
「ギョロ目怪人は泣き虫やな」
 と言ったら、カオリに無言でべしっと背中を叩かれた。
 まぁ、そんだけの元気があるなら大丈夫やろ。
 ほんま、あんた…えぇ仲間に恵まれたな。
 ポンポンとあやして、空を見上げたら満天の星空。
「よぉ…がんばった」

 ひゅうと星が流れて一つ、二つ。
 きらりきらりと瞬いて消えた。
 明日も晴れるだろう。
 ゆっくり休めるような広やかな青い空とさわやかな風を期待して、ユウコはまた一つ流れた星にささやかな願い事をしてみるのだった。        

 


(2004/7/5)

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